8,ティナの我が侭

「なんですか?」

「今日、一緒にお風呂入らない?」

「あ、じゃあぼく掃除しなきゃいけないんで」

「ちょっとなんでスルーするのよ!?」


 スルーしようとしたけど、させてくれなかった。

 おれはちょっと内心で溜め息を吐きながら振り返った。

 

「……なんでいきなりそんな話になるんですか?」

「だってぇ~、シャノンってば最近ずっとわたしと一緒にお風呂入ってくれないじゃない!!」


 と、ティナは子供のようにむくれた。


 いやいやいやいやいや。

 むりむりむりむりむり。

 ぜーーーーーーーったいに無理!!


 いや、これでもけっこう耐えたほうなのだ。

 現在、おれは9歳だ。

 まぁ子供なら親と一緒に風呂に入るのは当然のことだろう。


 ……そう、当然のことだ。

 だから、これまではがなくて、ティナと一緒に入ることも多かった。


 おれとハンナはワンセットで、ダリルかティナのどちらかが一緒に入るという感じだった。うちの風呂は狭いので、さすがに四人は入れないからである。

 ダリルと入る時はいいのだが、ティナと一緒に入る時は本当に困った。


 なんせこちとら中身はジジイだ。ああ、そうだ。おれはジジイなのだ。しかも童貞。子供らしくしなきゃと思ったところでこの事実は変わらない。


 ティナは〝シャノン〟にとっては実の母親だが、だとしても中身ジジイのおれに意識するなというのが無理な話なのだ。


 ……そして、おれは9歳を迎えてから親と一緒に風呂に入ることをやめた。

 さすがにもう無理だ。恥ずかしすぎる。

 おれは「こほん」と咳払いした。


「……母さま、ぼくももう9歳です。来年から学校に行く身なんですから、いつまでも子供じゃないんです。この歳でまだ親とお風呂に入ってるなんて知られたら学校に行った時に笑われちゃいますよ」

「あー、可愛くない。そういうところ可愛くないわ~」


 ティナはものすごく不満そうな顔をした。


「なんでそんなふうにマセちゃったのかしらねえ……赤ん坊だった頃はそんなじゃなかったのに」

「赤ん坊だった頃の話を持ち出さないでください」

「いつもハンナとだけ楽しそうに入ってズルいわよ! わたしも混ぜなさいよ!」


 駄々をこねられた。

 まるで大きい子供だった。


「なら、母さまとハンナで一緒に入ったらいいじゃないですか。そうだ、それがいいですよ。それで全て丸く収まるじゃないですか」


 一件落着。

 と思ったが、ティナは頭を振った。


「それは無理よ。だって、あの子あなたが一緒じゃないとお風呂入らないもの」

「え? そうなんですか?」

「そうよ。わたしと一緒に入ろうって言っても『お兄ちゃんがいなきゃヤダ!』って聞かないもの」

「……」


 ……そうだったのか?

 いや、でも言われて見れば確かにそうだな。おれが親と入るのをやめてからも、ハンナはなぜかおれと一緒に風呂に入ってる。おれが風呂に入ろうとすると必ずついてくるのだ。


 よく分からんが、お風呂はおれと一緒に入るものだと思っているのだろうか……?


 まぁおれもハンナなら別にいいかと思ってそのままにしていたが……でも、そろそろ年齢を考えたら一緒に入るべきではないのかもしれないな。


 一般常識的な区切りがおれにはよく分からんが、少なくとも学校に行くような年齢で一緒に入っているのはどうかと個人的には思うし。


「だからね、シャノンと一緒にお風呂に入ればハンナとも一緒に入れるってことになるのよ。だからね? 分かるでしょ?」

「何を言いたいのかは分かりますけど……でもぼくは入りませんからね?」

「ええ!? なんでよ!?」


 いやだから無理だって!!

 なんと言われようともう無理なんだって!!


「と、とにかくこの話はこれで終わりです! ぼくは掃除してきますんで!」

「あ、待ちなさいシャノン!」


 おれはティナの前から逃げ出し、廊下に出てから思わず息を吐いてしまった。

 ……ふう。ティナってけっこう子煩悩だからな。あれは子離れできないタイプだ。こっちから親離れしないと、いつまでも甘やかされてしまうだろうな。


 ダリルは「お前もそういう年頃なんだな」とすぐに納得してくれたのだが、ティナはそうじゃない。こうして未だに、時折隙を見ては一緒にお風呂に入ろうとしてくることが多い。


 ……確かに、ティナには『子供とお風呂に入るのが楽しみの一つ』みたいなところがあった。よく分からんがそんな感じだったのだ。おれたちとお風呂に入っている時のティナはとても楽しそうだったと思う。


 おれがもう一緒に入らないと言った日の顔は今も忘れられないレベルだった。だから何というかこう、良心の呵責みたいなものはあるんだが……いや、こればかりは本当に無理だ。無理なのだ。


 はぁ……これいつまで続くんだろうな。

 とりあえず掃除でもするか――と、箒を手に持った。


「……ん? あれ、服に穴が空いてるな」


 肘のところに穴が空いていることに気づいた。

 ……ここもティナに繕ってもらわないとダメだな。


 ていうか、さっきティナが着ていた服もツギハギだらけだったよな。あれはおれやハンナの服よりもよほど年季が入っている代物だ。


 決してあれしか服がないわけではない。だが、外行きのためにいくつか「見せられる服」を残しておかないといけないから、ティナはいつも同じ服ばかり着ている。


 おれとハンナの服を街の仕立屋に頼んで新調することはあっても、ティナやダリルが自分の服を新調することはほとんどない。


「うちって本当に貧乏だよなぁ……」


 思わずしみじみと言葉が出てきてしまった。

 例えおれがダリルの跡を継いだとしても、この経済状況は大して変わらないだろう。


 ふと魔王の言葉を思い出していた。

 ――お前が本当に家族のことを思うのなら、選択肢は一つではないと思うがな。

 と。


「……あ、しまった。ティナに色々と訊くの忘れてた」


 結局、おれはティナに色々と訊くタイミングを逃してしまった。

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