38,魔王の記憶3


「……どうしてこうなったのだろうな」


 ふと、妾は昔のことを思い返していた。

 今は感傷に浸っている場合ではなかったが……なぜか、無性にあの頃が恋しくなった。


 もうすぐ我々は敗北する。

 亜人どもの軍勢はこの城に大挙して押し寄せていた。

 総攻撃だ。

 これで勝敗を決めるつもりなのだ。

 それが分かった。


 ここはかつて、アヴァロニア城と呼ばれていた城だ。

 我々が滅ぼし、我々が支配した王国――その残骸だ。

 

 ……どこで狂ったのだろう?

 なぜ、我々は亜人と戦わねばならなかったのか。

 父上はこうなることが最初から分かっていたのだ。だから、絶対に戦争だけはしてはならないと言っていた。


 しかし、妾はバシレウスだ。

 我が身は、我が臣民のためにある。

 始まってしまったからには、絶対に勝たねばならなかった。


 ……でも、それはできなかった。

 もはやできることはほとんどない。

 女子供を逃がす時間を精一杯稼ぐことだけだ。


 でも、逃げたところであいつらに行く当てなどない。

 我々はこの世界の全てを敵に回したのだ。

 逃げ場所などない。

 これから我が同胞たちに待ち受ける未来を思うと、いっそここで全て殺してしまったほうがいいのかもしれん――とさえ思う。


 だが、それでも、これはただの個人的な我が侭だが――ひとりでも多く生き残って欲しかった。

 この命は、もはやそのためだけにある。


 やがて、〝あれ〟がやってきた。

 あの〝黒い巨人〟が。


 亜人は魔法を使わない。

 だが、その代わり魔法を発生させる道具を使う。

 腕力だけ見れば、本当にか弱い生き物だ。

 一見すると、我々が負ける道理などないように思える。


 ――しかし、これが結果だ。

 連中の言葉で言うなら……〝知は力なり〟というやつか。


 黒い巨人はわたしを見ると止まった。

 ……ああ、知っている気配だ。

 あれには亜人が乗っているようだが、その気配には覚えがあった。

 

 プラネスの民最大の敵――〝勇者〟と〝大賢者〟だ。

 この二人のことを知らぬ者はいない。

 我々が最も怖れた二人だ。

 亜人とは思えないような強さの女と、あらゆる手段で我々の勝利を奪った男。

 

 ……ああ、よかった。

 二人とも生きていたんだな。

 こんな時だというのに、妾はそんなことを思ってしまった。


 二人がヴァージェルとブリュンヒルドだということは、ずっと前から知っていた。

 二人の存在が脅威として突出し始めた頃から、その存在は把握していた。


 妾が〝ミオ〟だと気づいてくれたら、戦わずに済むだろうか?

 いつか約束した再会の喜びを分かち合うことができるだろうか?

 ……なんて、本当に都合のいい妄想を一瞬だけ抱いてしまった。


 巨人はすぐに襲いかかってきた。

 ――ああ、そうか。

 そうだよな。

 だって我々は――〝敵〟だものな。



 μβψ



 妾は負けた。

 本気で戦ったつもりだったが、それでも負けた。

 悔いはなかった。

 むしろ嬉しくさえあった。

 

 ……そう、こともあろうに妾はと思ったのだ。

 全て終わる。

 終わってくれる。

 もうイヤだ。

 戦争なんてしたくない。

 心の奥底ではずっと〝ミオわたし〟が泣いていた。

 バシレウスに泣き言など許されない。

 バシレウスになった時から妾はミオソティスではなくなった。

 だから妾は泣き言など言わなかった。

 でも、心の中にいたミオはずっと泣いていたのだ。


 でも――死んだらそれも関係ないよな?

 ああ、やっとわたしは死ねるんだ。

 もうバシレウスじゃなくていいんだ。

 やっと昔の自分に――ミオと呼ばれていた頃の自分に戻れるのだ。

 

 動けないでいるわたしの前に、巨人から降りてきた男が立った。

 ……はは、ヴァージェルだ。

 わたしはすぐに分かった。

 でも、その雰囲気はまるで別人だった。

 あんなにキラキラ輝いていた目が、今は一切の光を反射していなかった。

 くらい。

 どこまでも深く、どこまでもくらい目だった。


 かつてミオへ向けてくれたあの優しい目は、そこにはなかった。

 ……その目は〝敵〟を見る目だった。

 ヴァージェルはわたしに剣の切っ先を向けた。

 

 ……これで全ておしまいか。

 わたしは抵抗しなかった。しても無駄だったし、そんな魔力も気力もなかった。

 こいつに殺されるのなら、それも悪くない――わたしは目を閉じた。


「……?」


 だが、いつまで経っても剣先は動かなかった。

 目を開くと、ヴァージェルは躊躇っていた。

 こともあろうに、こいつは〝魔王〟を殺すことを躊躇っていたのだ。

 決してわたしがミオだと気づいていたわけじゃないと思う。

 そう、こいつは単純に――きっと〝人〟を殺すことを躊躇っていたのだ。


 ……ああ、そうだったな。

 お前はそういうやつだったな。

 虫も殺せなかったお前が、今までそうやってたくさん殺してきたんだろうな。

 誰かを殺す度に自分の心を殺して、そんな目になってしまったんだろうな。


 そんな目になってもまだ殺すことを躊躇うなんて――はは、やっぱりこいつは戦士に向いてない。とんだ〝おちこぼれ〟だ。


 一瞬、本当に自分がミオだと言ってやろうかと思った。

 でも、やめた。

 ……そうだな、そもそもこいつがわたしのことを覚えているとは限らないしな。


 本当に子供のころのことだ。

 わたしだけが大切な思い出だと思っているが、こいつやブリュンヒルドにとってもそうとは限らない。子供のころの些細な思い出になってしまっているかもしれないし、とっくに忘れてしまっているかもしれない。


 でも、もし覚えていたら?

 もしミオのことを覚えていたら――こいつはどうするだろう?


 ほんの少しだけ口が動きかけた。

 だが、すぐに閉じた。

 ……いや、そんなことをしても誰の為にもならない。


 もし本当にわたしの妄想が叶ったとして……それがいったい誰の為になるというのだろう?

 わたしが生き延びて、それが誰の為になってくれるというのだろう?


 〝魔王〟が存在し続ける限り――この戦争が終わることはない。

 そして、わたしは〝バシレウス〟である限りこの戦争を終わらせることはできない。


 何もかも終わらせてしまうには――ここで〝魔王〟が死ぬしかないのだ。

 わたしはヴァージェルの剣を素手で掴み、その剣先を自分の喉元に当てた。青い血が剣先を伝い、わたしの首に滴った。


 ヴァージェルが驚いた顔をした。

 わたしはせいぜい〝魔王〟として振る舞った。こいつがわたしのことを〝ミオ〟だと気がついたり、思い出したりしないように。


「……どうした。殺さぬのか? いま、ここで妾を殺さぬと――この戦争は終わらんぞ?」

「……ッ」


 ヴァージェルの顔つきが変わった。

 覚悟を決めた顔だった。

 それは〝恨み〟が全てを凌駕した顔でもあった。


 はは、昔よりお前らの言葉がうまくなっただろう? 今のわたしなら、お前に伝えたいことの全てを伝えられるだろう。まぁその機会はなさそうだが。


「――最期に、何か言いたいことはあるか?」


 ……ああ、そうだ。それでいい。

 わたしは〝魔王〟だ。

 もう〝ミオ〟じゃない。

 お前の恨みは――これで全て終わる。


 そう、これで終わりだ。

 これで終わるぞ、ヴァージェル。

 お前はもうそんな顔をしなくていいし、わたしも解放される。

 これで、全部終わるのだ。

 ああ、本当に嬉しい。


 思い返せば、こいつには本当にたくさんの〝借り〟があった。

 度が過ぎるほどお人好しで、泣き虫のくせにお節介で、わたしにたくさん優しくてくれて、たくさんあの笑顔を見せてくれた。


 楽しかったなあ。

 本当に楽しかったなあ……。


 今でも鮮明に思い出せるよ、お前のあの笑顔は。だってあの笑顔は――今もわたしにとっての、かけがえのない宝物だから。

 あの石だって、いつも肌身離さず持っていたんだぞ。いまもここにある。

 いつか会えたら、この石をお前たちに見せるんだって、ずっと持ってたんだ。

 そうしたら――わたしがミオだって、気づいてくれるかなって。

 また三人で、あの時みたいに手を繋いで、笑い合えるかなって。

 

「――感謝する」


 それは本当に、心からの言葉だった。

 

 ヴァージェルの剣が、わたしの喉を貫いた。

 わたしの前世は、そこで終わった。

 ……ああ、これでようやく解放された。


 そう思ったのに――〝人生〟ってやつは、どうやらそう甘くはなかったようだ。

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