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「萩野、今日はなんだか綺麗じゃないか? どうした?」


 午後、打ち合わせに向かう車の中で、社長の勝俣かつまたが開口一番に言った。仕事ぶりじゃなく容姿を褒められるなんて滅多にないことだ。同乗している弓削も異論はないようで柔らかな表情をしている。みさをは嬉しくなって、心の中で奈美江に礼を言った。


 奈美江は動画サイトで見るような変身メイクをみさをに施し、ちょっとマシどころか別人のように綺麗に仕上げてくれたのだ。しかもあの短時間で。奈美江にそんな才能があったとは知らなかった。会社員なんか辞めてメイクアップアーティストになればいいのに……。


「今回のプロジェクトには社運がかかっているからな。気を引き締めてかかってくれよ。まぁ、国内ではうちのライバルになるような会社はないけどな」


 いつものことだが、相槌があろうとなかろうと勝俣は大声で延々と喋り続けている。それに加えタブレットをいじることも忘れない。全国の幹部たちに逐一指示を出しているのだろう。


 さすが十人以下のベンチャーからスタートしたこの会社Win-tecウィンテックを、日本一のIT企業にまで育てた敏腕社長。止まったら死んじゃう生き物なのかと思うほどよく働くし、とにかく声が大きくて圧が凄い。もし勝俣が家族や恋人だったら気が休まらなくて疲れるだろうが、社員としては心強い存在だ。


 そして、勝俣の精力的な活動は仕事だけに留まらない。女性関係も派手で、有名なモデルや女優と次々に付き合っては写真週刊誌にすっぱ抜かれている。おかげでITとは無縁の人々にまで社名が知れ渡り、いい広告になっているのだが、もしそれを計算づくでやっているのだとしたら、恐ろしい人だ。


 携帯に着信が入って、「あー、ご無沙汰しています!どうもどうもー」勝俣の声の音量がさらに上がった。みさをは電話相手の鼓膜が心配になった。


 勝俣はガハハハと豪快に笑いながら電話を切った後、タブレットに目を移しながら、


「萩野、おまえは最近どうだ?」と唐突に聞いてきた。顔は笑っていない。


「特に……変わりありませんが」


 すっかり気を抜いていたみさをは驚いて、声が上擦ってしまった。


 弓削はみさをが会社に泊まり込んでいたことを、勝俣に報告しただろうか。大事な案件を前に余計なことに時間を使うなと叱られるんじゃないか。不安が頭をかすめる。


「いろいろ悩みもあるんじゃないか? おまえももういい年だし。え-っと、あれだ、婚活とかしてるのか?」


 勝俣はセクハラにあたりそうな発言を平気でして、ニヤリと笑った。


「いいえ、特には……」


 なんだ。ただの世間話か。みさをはほっと胸をなでおろした。


「そうか。困ったことがあったら、なんでも弓削に言えよ。こいつはそのために居るんだからな」


「はい。分かりました」


 これ以上話を広げたくなくて素直に返事をしたものの、みさをの心の中にはモヤモヤが残った。


 先月、勝俣が突然アメリカ帰りの弓削を連れて来て、紹介された時にも同じことを言われたが、どういう意味なのかいまいち理解が出来ていなかった。弓削はプログラマーではないので、細かな仕事の相談が出来るわけではないし、だからといって雑用を頼んでいいわけでもないだろう。


 みさをが「コーヒー買ってきて」なんて偉そうに命令したら、きっと弓削は顔をひきつらせるにちがいない。そんな姿を想像したら少しおかしくなった。


 それともプライベートで弓削とみさをが仲良くなればいいと思っているのだろうか。勝俣の性格からしてそういうお節介を焼くことがないわけではないが……まさかね。


 勝俣の横で静かに座っている弓削にこっそり目をやったが、能面のように無表情で、何を考えているのか全く分からなかった。

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