どうかその嘘が、いつの日までも嘘のままでありますように。
それから時は流れ。
森の妖精と森に捨てられた人間の赤ん坊が出会ってから五年の月日が経った頃。
「──うわぁ……」
森の一角にある綺麗な花畑の上。
そこに居たのは一輪の花の上に重なる二匹の蝶々を目を輝かせて見つめる一人の少女。
手には風に吹かれ廻る一本の赤い風車。
そんな彼女の艶やかな黒髪にそっと降りて来て止まった小さな光。
その光は少女の頭にちょんと座ると柔らかな口調で言いました。
「気になる?」
その声に少女は小さく頷くと答えます。
「うん。何してるのかなぁって……」
その問いかけに光を消して妖精は静かに答えます。
「今この二匹の蝶々はね、交尾をしているの」
「……交、尾?」
「そう、交尾。そうやって重なりながら、交じり合って、新しい命を今ここで育んでいるの」
「……新しい、命?」
「そう。新しい命。何もないところにお父さんとお母さんでかける魔法。可愛い可愛い私達の子供が生まれて来ますようにって」
「へぇ……交尾かぁ……。お母さん、交尾ってなんだかとっても素敵な魔法だね!!」
「そうね。とっても素敵な魔法だと、私も思うわ」
この世界において、かつて今の今までこんな事があったでしょうか?
そこに居るのは一人の人間の少女と一匹の妖精、モンスターです。
一人と一匹の間に流れる穏やかな時間。
いつからかあたりまえになっていた二つの種族間での争いの関係もここにはありません。
「──あっ!?」
そんな一人と一匹の目の前で二匹の蝶々は空へと舞い上がります。
「行っちゃった……」
「ふふふ。そうね。でも、きっとまた会えるわ」
「うん……きっとまた会いたいな。今度は蝶々さん達、三匹で、一緒に!!」
「そうね」
五年前、あの雨の降る日。一人の人間の赤ん坊を助けた妖精は森中のモンスター達に一つの嘘をつきました。『この子は人間だけどただの人間じゃない、アイツらが言うところの魔女の子だ』と。それを聞いたモンスター達は人間にもモンスターにもなれない異質の存在、魔女の子を見ると『それなら仕方がない』と少女をこの森に置くことを許しました。そうして人間でもモンスターでもない魔女の子として少女はこの森で妖精に育てられて来ました。
そしてそれは今日もまた同じで、妖精と少女は花畑から場所を移すと森の開けた場所で魔法の特訓をします。
「──それじゃあ、今日の特訓よ。準備は良い?」
「はい!! お母……じゃなかった、先生、大丈夫です!!」
「うん。それじゃあ、いつもみたいに先ずは目を閉じて、心を落ち着かせて……」
「はい!!」
「心の中でイメージして、私は空を飛べる……」
「はい!! 私は空を飛べる……私は空を飛べる……私は空を……空を……」
そう言うと決まって妖精は少女の回りをクルっと一周します。
すると少女の体にキラキラと降り注ぐ光の粒。
と、次の瞬間。
少女の体はふわりと少しだけ宙に浮き上がります。
「──どう?」
妖精の声に閉じていた目を開くと少女は叫びます。
「浮いてます!! 今日も私、浮いてます!!」
「うん。今日もあなたは空に浮いてるわ」
「はい!! 私、小さいけど魔女なんです!!」
「そうね。それじゃあ、次は昨日の続き。今度は自分の意思でそこから動くの」
「はい!! 動け……動け……動け……うっごけぇぇぇ……」
そう言うと決まって妖精は何もしません。
すると少女の体を包み込んでいた光は次第にその輝きを失って。
と、次の瞬間。
少女の体はちょこんと元いた位置に足を着きます。
「……っぷぁっ!! ダメだぁ……今日は、イケると思ったのにぃ……」
「うふふ。大丈夫よ、焦らなくて良いわ。あなたはまだこんなに小さい女の子なんだもの」
「……でも、私、やっぱり魔女だから。早く飛べるようになりたい……です……」
そう言って下を俯く少女に妖精は優しく微笑みながら言います。
「そう。それじゃあ、頑張ってもっと特訓しなくちゃね」
「うん。じゃなかった……はい、です!!」
そうして再び特訓を開始する一人と一匹。
……妖精は思います。
いつまでこんな事を繰り返してこの子を救う事が出来るのだろうかと。
いつか来るかもしれないその時に。
私はどんな言葉をこの子にかければ良いのだろうかと。
日が経つにつれて胸の中で膨れ上がるのはまだ見えない未来への恐怖心なのでした。
ですが、それでも妖精はその恐怖心を振り払うかのように今出来る事を必死にやり続けます。
その先に、まだ知らない新しい道があると信じて。
その胸中を少女に決して悟られることのないようにひた隠しながら……
そんな彼女達の姿を見かけると森のモンスター達はいつも声をかけてくれます。
「──おっ、今日もお前達は特訓か!? 精が出るなぁ、頑張れよ、ちびっ子魔女!!」
「はい!! じゃなかった……トロールさんだから、お、押忍、です!!」
「おうよ!! じゃあな、頑張れよーー!!」
「お、おーーーーっすっ!!」
──ちょこん。
そして大きな返事と共に地面に足を着いた小さな魔女。
彼女は空を大きく仰ぐと全力で顔を歪めその悔しさをあらわにしたのでした。
「っくぅーーっ!!」
それは誰かの為にとついた一つの嘘。
いつか本当になる事のない、そんな嘘。
どうかその嘘が、いつの日までも嘘のままでありますように。
そう心の底から願うような日々がここにはあったのでした。
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