今日、少なくとも一人の人に、少なくとも一つの喜びを与えてあげられないだろうか。
そして、しろうさぎさんとピクシーさんの間に生まれた沈黙。
その沈黙を近くで二匹を見ていたゴブリンさん達が破ります。
「うゔぁゔぁ。(ピクシー、心配、静か)」
「うゔぁ、うゔぁ。(心配、心配)」
「ゔぁゔぁゔぁゔぁゔぁ。(水、用意、あげる)」
「ん? 何よ、ゴブ……ヒック」
「ゔぁゔぁゔぁ。(水、飲んで)」
「……水?」
「ああ。ゴブリンさん達はきっとピクシーさんを心配して……」
「ふん。余計なお世話よ……ゴクゴク、ぷはぁ。……うさぎ、ごめん、私ちょっと酔い冷ましてくるわ」
「え、あ、うん……でも、一人で大丈夫? フラフラじゃない?」
「大丈夫、大丈夫。どうせ、空飛んでるの私だけだし。……と、さっきの話だけど……あれは忘れて。ああは言ったけど、実はそんなに気にしてないからさ。私は私、お節介で世話好きなピクシーさんよ」
「…………」
そう言うとピクシーさんは空をフラフラと漂いながら森の奥へと飛んで行きます。その背中を心配そうに見守っていたしろうさぎさんでしたが、彼女の姿が見えなくなると膝の上に本を置きペラペラとページを捲りながら真剣な表情で何かを探し始めたのでした。
──森の奥、小高い丘の崖の上で雨に打たれながら遠くの景色を眺めるピクシーさん。
「……何やってんだろ、私」
ピクシーさんは思っていました。
最近の周りのモンスターさん達の変化、それはたった一つの言葉をきっかけに生まれたまるで奇跡のようで、例えるならそれは『生まれ変わる』と言っても過言ではないような出来事なのだと。
もしかしたら。
ひょっとしたら私も。
彼女からそんな一言を貰う事が出来たなら……
「……そしたら、ここから見える景色も変わって見えるかな……」
そんな淡い期待を胸に今日までピクシーさんはしろうさぎさんの隣りにいたことを振り返ります。そう思う一方で、変えられないこともあるとピクシーさんは知っていました。それはしろうさぎさんが動物で、自分がクォーターのピクシーであることのようにです。
「……ほんと、残酷ね……」
そう言うと雨と一緒に頬を伝ったのは一粒の涙。
ピクシーさんは一匹、声も上げずに雨と一緒に泣きました。
そんな彼女の元へ同じく雨に打たれながらやって来た一匹の動物。
その手にびしょ濡れになった本を持ったまま。
彼女はピクシーさんの少し手前で立ち止まると静かに言いました。
「今日、少なくとも一人の人に、少なくとも一つの喜びを与えてあげられないだろうか……」
その言葉にピクシーさんは涙顔のまま振り返ります。
「……グスっ。何よ、それ。しろうさぎ」
「今日、少なくとも一人の人に、少なくとも一つの喜びを与えてあげられないだろうか」
真剣な眼差しでそう繰り返すしろうさぎさん。
そんなしろうさぎさんの目を見つめながらピクシーさんは言います。
「……それが、私を救ってくれる……言葉?」
その問いかけにしろうさぎさんは静かに首を横に振ると言います。
「ううん、違う。それが……私にとっての、私の知ってる、私の大好きなピクシーさん」
「……え?」
「……私、気づいていましたよ。ピクシーさんは今日、私に作ってくれたんですよね……動物の私に、森の
「…………」
「自分だって一匹ぼっちなくせに他の動物の事を考えたりとか、他のどのモンスターさんに出来るんでしょうね? 世界中探し回ったってそんなモンスターさんなんかきっといませんよ……世界でただ一匹、ここにいるピクシーさんだけですよそんなモンスターさんは……だから……いるんですよ。世界にただ一匹だけ。だけど確かに、イタズラ好きじゃない、心優しい世話好きなピクシーさんがここにいるんです」
「……でも、それでも……私は……」
「だから、もしもこの先もピクシーさんが自分の事を大嫌いだって言うんなら、そんなピクシーさんの事が大好きな私を大好きだって言って下さい。私が笑顔でずっと側にいますから、そんな私にどんな時も笑顔をくれてるピクシーさんをピクシーさんは大好きになってあげて下さい」
「……そ、そんなの、ズルいよ、うさぎ……グスっ。私、変わらなくても良いの……?」
「はい。変わらなくても良いことも、この世界にはきっとあると私は思います」
「……うさぎ……」
「それに、その証拠に、ほら──」
そうしてしろうさぎさんが手を伸ばした先。
そこにはピクシーさんの事を心配してここまでやって来た森中のモンスターさん達の顔がありました。
「ピクシーさん」
「ピクシーさん」
「ゔぁゔぁゔぁゔぁゔぁ。(ピクシーさん)」
その姿を見たピクシーさんは小さく呟きます。
「……あんた達……バカ……ありがと……」
最後にそう小さく呟いたピクシーさんの言葉は降りしきる雨の音の中へと静かに溶けて消えていったのでした──
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