第一幕

はじまりのはじまり

第1話

「意外と早かったな」

 自動改札を通り抜けると、券売機の隣に由紀也が待ち構えていた。

 げ、と思わず声に出しそうになるのを堪え、なんとなく辺りを窺ってから奴の元に近付く。

「……遅れるから、待ってなくていいって言ったろ」

「先に行く必要もないだろうが。どうせ同じ場所に行くのに。行くぞ」

 待っていた割に僕を置いてさっさと歩き出す由紀也の背を追い、僕も渋々その後を歩き始めた。

 

 地元から快速急行に乗り、ここいらで一番大きいターミナル駅で乗り換え、そこから三つ目の鈍行しか止まらない小さな駅。その昔、小さな山城だか古墳があったとかなかったとかいう小高い丘陵地の頂上に、その学校は建っている。

 県立梅桃(ゆすらうめ)高校。通称梅高。

 そこが、僕と幼馴染の由紀也が三年間通うことになる……いや、不本意ながらも通うことになってしまった学校だった。


「しけたツラだな、相変わらず」

 むっつりと黙り込んでいる僕に、由紀也は半ば呆れた口調で言う。

 僕より十センチ以上高い身長故か、同じものを着ているとは思えないほど制服を着こなしているのがまた悔しい。並んで歩きたくないから先に行ってくれと頼んだのに。

「もう少し喜べよ、せっかく第一志望に受かったんだから」

「由紀也はいいよな、最初から梅高が目標で、ちゃんと実力で合格したんだし」

「おまえだってそうだろ」

「僕は違う。だって、僕がこの学校に受かったのはなにかの手違いなんだから」

 

 梅高は偏差値七十を越える県内屈指の進学校だ。

 一方僕の学力は調子が良い時で中の上。模試の結果はずっとD判定で、普通なら絶対に合格出来るはずのない雲の上の学校だった。

 受験したのは僕というより親の希望であり、由紀也君も受けるんだからと無理矢理願書を提出させられた。

 最初から記念受験のつもりだったので、結果は勿論予定通りの不合格。裏本命だった中堅私立にはもう合格していたのでよしこれで卒業を待つばかりと安心し切っていたら、その日の午後なにをまかり間違ったのか梅桃高校から補欠合格の知らせが来た。

 親からしてみればまさかの大金星、金の掛からない県立高校でおまけに昔から僕の世話役だった由紀也も一緒となれば最早言うことはなかったらしく、昨日だってわざわざ休みをとって二人揃って入学式に来たくらいだ。

 こんな具合にこの上なく親孝行の進路に進んだ僕だったが、それが幸せな高校生活の始まりだったかというと、けっしてそうではない。

 進学校の勉強についていけるのかという不安もあったし、ださすぎる制服のこともある。

 そして更に言うなら梅高には『華』がない。

 ――要するに、男子校なのだ。

 考えれば考えるほどこの学校には頭の痛い材料ばかりが揃っていて、僕はこの数週間、憂鬱な気持ちから逃れられずにいた。

「分かんねえな、高校なんて所詮三年しか通わないんだから、どこに行ったって同じだろう」

 漫画もドラマもさほど嗜まない由紀也は高校生活イコール青春という図式が成り立っていないらしく、隣で嘆き続ける僕をまるで理解出来ないという顔で見てくる。それもまた、僕が憂鬱になる要因のひとつだ。

「おまえみたいな冷血漢には分からないんだよ。その『所詮三年』の間に、一生に残る思い出がどれくらい出来ると思う?」

「思い出なんて自分で残すもんだろう。じゃあ大事なのは周りの環境じゃなくておまえの心がけ次第なんじゃないのか」

 ぐうの音も出ない正論。

 でも僕はなにも正論で諭されたい訳じゃない。それを由紀也は分かっていない。分かろうともしてくれない。


 そもそも、最初から梅高には良いイメージがなかった。

 全員が眼鏡を掛けているとか、雨の中でも参考書を手放さないとか、私服のファッションセンスが壊滅的だとか、勉強に命を賭けたちょっと特異な奴らばかりがいるとまことしやかな噂を聞いていた。

 頭が良い奴と変人は紙一重、青春時代をわざわざ男だけで過ごそうと言うのだから推して知るべし、元より頭のネジが一本飛んでしまった奴らばかりが居るのだと確信していた。

 そんな環境で、いったいどんな心がけをしろというのか。うっかり入学を許可されてしまった一般生徒代表として、僕は当然の危惧を口にしているだけなのだ。


 すると、愚痴をおとなしく聞いているのに飽きたらしい由紀也が「おまえさ」と口を挟んだ。

「そんなに嫌なら、なんで梅高に行くって決めたんだよ」

 じろりと睨まれ、思わず言葉に詰まる。

「なんだかんだ言ったって、最終的にここを選んだのはおまえ自身だろ」

「そ、そうだけど……」

 数ある憂鬱を飲み込んでまで、何故最終的に梅高進学を決めたのかと問われれば、僕はこう答える。

 『親に言われたから』。

 『先生に勧められたから』。

 『友達に羨ましがられたから』。

 ――『そうすることが、一番周囲との軋轢を生まずに済むと思ったから』。

 気まずく黙り込んだ僕を見て、由紀也は大きくため息を吐く。

「なら、いい加減腹括れよ。いつまでもぐちぐち言うな。おまえのそういう所、たまに苛つく」


 同じマンションの一つ下のフロアに住んでいる由紀也は、物心付いた時からずっと母親と二人暮らしをしている。

 看護師をしているおばさんはすごく優しい人だけど、おじさん――由紀也の父親はギャンブルにハマって借金をこさえ、あまつさえ飲み屋の女の人と蒸発をしたというとんでもない人間だった。

 決して裕福ではない母子家庭に育った由紀也は年齢プラス十歳の速度で精神が成長し、リアリストで堅実家、そして、やけに老成した男になった。

『中卒で就職するよりも無利子の奨学金を貰って大学に行く方が将来的に一番家計の助けになる。将来から逆算して県立トップの梅高に進学するのが一番金が掛からない』

 由紀也がその考えに行き着いたのは小四の頃のことだ。


「……ごめん」

「別に、謝ってほしい訳じゃない」

「でも、ごめん、僕」

「いいよ、もう」

 ぐい、と拳を向けられ、僕もそれに倣ってこつんとぶつけ合わせる。昔から、これが僕たちの仲直りの合図だ。

「早く行こうぜ。遅刻しちまう」

 颯爽と歩くその背中に一切の迷いはない。

 現状を把握し自分の能力を客観的に捉え、由紀也は思い描いた未来に向かってきっちり一歩ずつ進んで行く。優柔不断で決断力のない僕とは正反対だ。

 昔から、僕はこの優秀な幼馴染のことが誇らしくて羨ましくて。

 そして同じくらい、憎たらしいとも思っていた。

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