第5話 王補佐官の暗躍と濡れ衣


 ◇◆◇◆◇◆


 そこは城のある一室だった。机や本棚など、いかにも執務室といった装いだがどれも華美ではない。しかし見る目がある者なら腰を抜かす程度には良き品々ばかりだ。


 部屋の主は一人、机に向かって書き物をしている。歳は直に六十に届こうかという程。髪はほとんど白く染まり、手や顔には皺が目立つ。だがその鋭い目付きは決して隠居寸前の好好爺などではない。


 明かりは机にある燭台と、宙に浮かんで手元を照らす小さな光球。光量は多くはないが書き物をするには充分だ。必要以上は要らないという、持ち主の無駄のなさを感じさせる。


「…………」


 一つずつ書類に目を通し、時折内容にペンを走らせるとまた次にとりかかる。それは華やかさの欠片もない地味な作業。書類は束になっていてまるで終わる気配はない。


だが、もしこれを一日でも休めばその影響は国内、国外に大きく伝わるだろう。彼、ヒュムス王補佐官ウィーガス・ゾルガが行っているのはそういうことだ。


 コンコン。


 静かな部屋に扉をノックする音が響き渡る。


「入りたまえ」

「はい。夜分遅く失礼します。閣下」


 入ってきたのは少し頬のこけた神経質そうな男。今日時久を取り調べた役人である。


「結果はどうだったね? ヘクター」


 ウィーガスは書類から目を離さずに役人に話しかけた。役人……ヘクターも主の多忙は知っているのでそのまま続ける。


「幾つかの質問をしましたが、『勇者』様方の答えと類似点が多く見られます。彼がである可能性は捨てきれません。無論情報を嗅ぎ付けた密偵の可能性も有りますが」

「宜しい。書類を提出せよ」

「はっ」


 ヘクターは抱えていた書類をウィーガスに手渡した。彼は書類に軽く目を通すと、その内容に少し考え込む。


「ふむ……検査の方はどうだね?」

「現在血から情報の読み取りを行っています。種族や能力のみならず『加護』の有無や詳細まで必要となると、夜を徹しても明日まではかかるかと」

「構わん。多少時間がかかっても良いので正確さを優先させよ」

「はっ。かしこまりました」


 ヘクターは一礼するとそのまま部屋を退出し、再び部屋にはウィーガス一人となった。


「……現れる筈のないイレギュラーの『勇者』か。はたまた只の密偵か。密偵ならば始末するだけだが……」


 ウィーガスはここでしばし黙考し、手渡された書類にもう一度目を通していく。


「トキヒサ・サクライ。いや、異世界風に言えばサクライ・トキヒサか。お前はいったいどちらだろうな……」


 この疑問に答えられる者は未だ居ない。



 ◆◇◆◇◆◇


 三日目、四日目は特筆すべきことはなかった。強いて言えばディラン看守と交渉した結果、一日に払う額が百デンになったことか。代わりに待遇がやや雑になった。


 それとスライムは相変わらずだが、戻り際に一度イザスタさんが「ありがとね♪」とスライムを撫でていったのが印象的だ。更に言えば、イザスタさんの牢にも別のスライムが居た。まさか牢毎に一体ずつ居るのか?

 

 待てよ……このスライム飼ってるのイザスタさんか? あの人ならペットか何か持ち込むことはあり得る。一応聞いてみたが「ペット? う~ん、当たりじゃないけど完全に的外れとも言えないかなぁ」とはぐらかされた。


 大体こんな所か。あとは変わらず牢の中だ。体が鈍らないように体操をしたり、イザスタさんから魔法の講義を受ける日々。


 ただこの牢獄には魔法封じの仕掛けがあって、初心者では魔法の発動自体が出来ないという。なので教わるのは各属性の特徴や使い方。早く出所して実際に使ってみたいものだ。


 あと気になったことと言えばもう一つ。イザスタさんの苗字についてだ。ディラン看守が俺を没落貴族と思ったように、苗字持ちは貴族かそれに連なる者のみらしい。と言っても数代前に貴族でも苗字は残るので、今は平民の者も多いとか。


 その辺りも訊ねたのだが、イザスタさんは少しだけ困った顔をした。


「う~ん。実はこれ偽名なのよねん。なんていうかその……仕事上本名は都合が悪いっていうか。最近はずっと使っているから、ほとんどこっちが本名みたいなものね」


 非常に稀だが名前を知ることで相手を呪う能力があるそうで、それ対策で普段は偽名を使っているのだという。


 そんな相手と関わる仕事って何だろうか? 肝心の苗字についての方も、あるけど内緒。ねっ♪ とはぐらかされ、結局謎が深まっただけだった。


 そんな感じで毎日を過ごし、アンリエッタとも毎夜話してはいるが進展はなし。早く釈放されないかと指折り数えて待っていたのだが、問題が起きたのはその次の日の事だった。





 異世界生活五日目。


「おい。良い知らせと悪い知らせ。どちらから聞きたい?」


 いつも通りの日。今日も隠す気もなく堂々とやってくるイザスタさんと一緒に昼食を食べようとした時、食事を運んできたディラン看守がそう急に尋ねてきた。


「え~と、それじゃあ悪い知らせから」


 出来れば良い知らせだけ聞きたいが、こういうのはセットになっているのがお約束。それなら心に余裕がある内に悪い方を聞こう。


「もしかして判決が延びるとか? そうなるともう支払う金がないからまた値引き交渉をお願いしたいんですが。もしくは牢屋内での仕事を斡旋してもらうとか」


 検査で変な結果が出たかな。別の世界の人間だから不思議じゃないけど、これ以上ここに留まるのは勘弁してほしい。


「いや。刑自体はほぼ確定だ。あとは書類の作成を待つばかりだな」

「じゃあその書類に物凄く時間がかかるとか?」

「それも違う。実はな……お前は相当な極悪人ということになっているぞ」

「……はい?」


 一瞬思考が止まる。……極悪人? 俺が? 確かに人様(特に元の世界で待たせている“相棒”や妹)に迷惑をかけたことは結構あるけど、こっちに来てからは何もしてないぞ。……してないよな?


「情報によると、お前は城に侵入して重要書類を奪い、衛兵と争いになって数名に怪我を負わせ逃亡。その際居合わせた城仕えの女性に性的暴行を加え、食糧保管庫に放火している所を衛兵に捕まったとある」

「なっ……なっ!?」

「あらら。トキヒサちゃんそんな悪い子だったの? お姉さんちょっとショック」

「いやいやちょっと待ってくださいよっ!? 俺そんなのやっていませんっ! 何かの間違いですっ!」


 二人に弁明しながら俺自身パニックになっていた。話を聞くだけでも不法侵入に窃盗に公務執行妨害、傷害に婦女暴行に放火。……う~む。これ極悪人じゃね?


「何でそうなったか知りませんが、最初の不法侵入は……いつの間にか来ていたから仕方ないにしても、それ以外はデタラメです」

「だろうな。少なくとも衛兵に怪我人は居ない。そんな危険人物ならとっくに拘束されているからな」

「じゃあ、何で俺がそんなことをやったって話に?」

「それもあるが今の問題はそこじゃない。問題なのは、それによって罪が一気に重くなったという点だ」


 罪か。もしこの濡れ衣がまかり通ったら……。一瞬俺の頭にイヤ~な物がよぎる。磔・火あぶり・ギロチンで首と胴体が泣き別れとかだ。いやいや流石にそんなことはないよな。


「これにより、お前は特別房に移送されることになる」

「特別房?」

「簡単に言うと極悪人用の牢屋だ。ここは基本的に軽犯罪者用の牢屋だからな。だから差し入れも出来る訳だが特別房はそうはいかない」

「そんなに酷い場所なんですか?」

「そうだな……ここの暮らしが天国に思える。その上そこから出所した奴はほとんど居ない。何故なら」


 そこで看守は少し間をおくと、声を潜めながら呟いた。


「何故なら、大抵一年経たずに獄中で死亡するからだ」

「イヤじゃぁぁぁぁ!!!! そんなとこ行きたくないよぉぉぉ!!!!」


 魂の叫びpart2。そんな場所に放り込まれるなんて異世界生活六日目にして早くも大ピンチだ。このままではえらいことになる。


「じ、冗談じゃないですよっ!? 何か手はないんですかディラン看守!!」

「まあそう慌てるな」


 慌てて無罪を主張する俺に、ディラン看守は淡々とした態度で答える。


「ねぇ看守ちゃん。意地悪しないで話してくれても良いんじゃない? 有るんでしょ? 良い知らせが」


 いよいよ困り果てていた俺にイザスタさんが助け船を出す。確かにまだ良い知らせを聞いていない。もしやこの濡れ衣を晴らす算段とか。


「さて、良い知らせだが……喜べトキヒサ・サクライ。明日は祭のため囚人にも恩赦が出て食い放題だ。今日の朝支払った分は次回に持ち越される。一日分浮いたぞ」

「わ~い食べ放題だ~じゃないですよ!! これじゃあおもいっきり最期の晩餐的なものですって。他に何か無いんですか?」

「有るぞ」


 事も無げにそう言うと、ディラン看守は荷車から紙のような物を取り出して広げてみせた。また待遇の値段表か? 今さら待遇を良くされても。


「えっと何々、『上に無罪又は減刑を掛け合う 千デン』『一日釈放(見張り付き) 一万デン』『出所 方法により金額は応相談』ですって。意外に安いわね」

「えっ!? !?」

「出来るぞ。と言ってもこれで出所する囚人はほぼ居ないが。僅かな時間を大金払って釈放されるより、時間をかけて罪を償った方が良いからな」


 イザスタさんが読み上げた驚きの内容を、ディラン看守は落ち着きはらって説明する。


「でもそれじゃ金持ちの悪者とかすぐに自由の身になりませんか?」

「なれるな。ただし、そういう分かりやすい悪党には見せないことにしている。見せるのはあくまで奴だ」

「……つまり金を払えば助かるんですね」

「確約は出来ないが、貰った分は手を尽くす。俺は金にはうるさいんでな」


 どうするか。正直ちょっと怪しい。いきなりあらぬ罪を着せることでパニックを起こさせ、そこに金で助かるという救いの糸を差し伸べる。信じて金を払ったらそのままとんずら。詐欺の手口で良くある。


 だが金を取るにしてもこんなやり方をする必要はない。ただ待遇に関する料金を値上げすれば良いだけだ。となると、


「と言っても手持ちがないんですが。所持金は精々あと四百デン位しか」

「それでは足らんな。上に掛け合うだけでも千デンからだ。他に払うあては有るか?」


 手持ちにはないがあてはある。『万物換金』でスマホを換金すれば良いのだ。だがここで使うともう本当に手持ちの金が無くなる。


「後で払うからこの四百デンを手付金に、というのはダメですか?」

「ダメだ。内容が内容だからな。これまでの差し入れとは訳が違う。全額前払いだ」


 看守は譲ろうとしない。上に掛け合うということはそれだけリスクもある。場合によっては上司の心証も悪くなるかもだし、黙認されているとは言え危ない橋だ。それでも構わないと思わせるぐらいのメリットがいる。


「話は以上だ。次はまた夕食の時にでも」

「あっ! ちょっと待って看守ちゃん」


 イザスタさんに呼び止められ、ディラン看守はもうちゃん付けは諦めたのか疲れた顔をして振り返る。


「聞き忘れていたんだけど祭って何? 囚人に恩赦が出る程なら有名なんでしょうけど、それにしてはそんな祭が明日有るなんて聞いたことないわ」

「それは昨日急に決まったことだから当然だな。だがこれから記念日になる可能性が高い。何せ『勇者』が現れたことを大々的にお披露目するらしいからな」

「へぇ…………『勇者』ねぇ」


 その瞬間、イザスタさんの顔色が僅かに変わった。勇者と言うと俺が割り込む筈だった人達のことか?


 しかし俺が着いたのはその人達から数日後だとアンリエッタは言っていた。仮に三日のズレがあったとすると今日までで合わせて八日。それが今になってお披露目? それくらいの時間は必要なのかもしれないが……なんか引っ掛かる。


「お披露目ってくらいだから、街を練り歩いたりでもするの? それともお城でパーティーとか?」

「さてな。詳しくは知らん。ではそろそろ俺は行くぞ。サクライ・トキヒサ。特別房に移送されるのはおそらく二日後だ。それまで何か要望が有れば言え。金を払えば出来るだけのことはしよう。イザスタはさっさと出所しろよ」

「……はい」

「ハイハイ。了解よん」


 ディラン看守はそう言うと、今度こそ荷車を引いて立ち去っていった。ガタガタという音が少しずつ遠ざかっていく。


「さてと。それじゃあアタシも一度戻るわね。やることもあるし」


 バイバ~イと手を振りながら、自分の昼食を持って穴に入っていくイザスタさん。通り終わるとすぐにスライムがまた壁に擬態し、俺の部屋は一気に静かになった。


「……ふぅ」


 俺は軽く溜め息をついてそのまま座り込む。話がこんがらがってきた。整理すると、ディラン看守を信じるなら二日後にその特別房という場所に移送される。罪状は覚えのない冤罪だが、一度入ってしまったらおそらく晴らすことは難しい。


 待遇もかなり……いや、話しぶりから推測するに物凄く悪い。獄中で死者が出るレベルとなると俺も命の危機で、そして間違いなくゲームを一年でクリアするのは不可能になる。特別房に入るのは確実にアウトだ。


 ならどうする? ディラン看守は金さえ払えば出来るだけのことはすると言っていた。スマホを換金する? それにしたって出来るのは精々減刑を上に掛け合ってもらうだけだ。時間稼ぎにはなっても根本的な解決は出来ない。


「……ああもうダメだ!! こういう事は俺には向いてない。腹も減ってきたし、まずは何か食べてからだ」


 俺はひとまず昼食を摂ることにした。腹ペコでは頭が働かないからな。現実逃避とも言うが。

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