〖非公開・蛍〗9月10日 水槽の中の逡巡

 初めてコンサートで話した日から、ほとんど毎日、コウくんは私の病室に来てくれたね。


 煌くんの通う、県立蘆屋高校から病院までのキツい登り坂を、自転車で登って来てくれている、と聞いた時は、本当にびっくりしました。

 日焼けして、汗を滲ませながら外からやって来る煌くんは、一年中、暑くも寒くもない、水槽みたいな病棟の中で暮らしている私には、まるで別世界の人でした。


 煌くんが私のところに来てくれている事で、煌くんが私に好意を持っている、と、画面の向こうの皆は思っていたけれど。

 当の私は、煌くんが、可哀想な病人を見捨てるに忍びなく、博愛の精神で会いに来てくれているんじゃないかと勘繰ってもいました。


 それなら、本当にごめんなさい、と思っていました。


 出会い頭に取扱いの難しい事情を話してしまった事を後悔しました。

 でも、やっぱり言わなくちゃいけなかったと思ったりもしました。

 そんな、わりと由々ゆゆしき問題を、足りない頭で”ああでもないこうでもない”と、こねくり回し、それでいて、皆の言うとおり、煌くんが私に好意を持ってくれてるんじゃないかと淡い期待を胸に抱いてもいる自分が、本当に恥ずかしくて。


 煌くんが帰ってしまった後の病室では、いつも一人でジタバタしていました。


 煌くんは実際、何を思って通ってくれているのだろう。

 知りたい、と思いました。

 でも、煌くんの気持ちを尋ねるなら、まず、私はどう思って煌くんを毎日ドキドキしながら待ってるのか言うべきじゃないの、と思いました。

 でもでも、私の気持ちを伝えるなんて、そもそもあわれまれてしまっていたら、きっと、すごく断りにくい!脅迫も良いところなんじゃないのーなんて、考えて考えて考えていました。


 結局、“私が病気の事を話したから、心配して来てくれてるなら、心配してくれなくて大丈夫だから”と言う事にしました。

 我ながら、なんて狡猾こうかつ台詞せりふなんだろうと思うけど、何分、恋する乙女のする事なので、多めに見て下さい。


 でも、いざ口にしようとすると、なかなか言葉にできなかった。

 煌くんの答えが怖かったんです。


 そんな時に、病院で仲良くなった子が、亡くなりました。


 もう駄目だ、と思いました。


 だから、煌くんに、一緒にお月見をしよう、と言いました。


 お月見した日。初めて1時間以上、煌くんと一緒にいて、でもやっぱり小説の話ばかりして。


 空が藍色になり始めてから、病室を出て、並んでのぼりかけの大きな月を見上げたら、ああ、もう十分だな、と思いました。


 私は思い出だけで、残りの時間を幸せに過ごせる。

 そう思いました。

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