【非公開】7月23日 コンサート会場

 もしかすると、“蛍さん”がコンサート会場にいるかもしれない。


 “蛍さん”とコメントのやり取りをしてから、僕は、期待と不安の中にいた。

 普通、そんな偶然、ありえない。だが、信じられない偶然が起こる創作物に毒されていた僕は、万一の可能性を否定しきれなかった。


 恥ずかしい話、"蛍さん"…君からコメントをもらってから、僕は、年齢も性別も分からない君を勝手にあれこれ想像してた。


 馬鹿みたいだなと自分でも思うけど、その馬鹿みたいな行為は全く無意味でもなかった。


 信じられないかもしれないけど、ホールに着いて君が目に入った瞬間、僕は君が“蛍さん”だとすぐに分かった。


 それから後の僕は、大変だった。

 友達の楽譜をめくりながら、君が”蛍さん”だという直感を否定しようとしたり、君がそこにいる事を忘れようとしたり、とにかくなんとか気持ちを落ち着かせるために必死だった。

 だけど、君はあまりにも”蛍さん”で、その直感を否定しきる事は不可能だった。


 ピアノコンサートは二部構成で、途中休憩は20分。君がタブレットを操作するのを見て、僕は“蛍さん”の更新をスマホでチェックした。

 

 蛍さんの更新は無かったけど、シンジョーからコメントが届いていたから返信して、スマホから目を上げると、君が僕の方を見ていた。


 あの時、目が合ったよね、なんて、後から君に確認した事は無い。

 だから僕は、本当の所は違ったかもしれないなと後から思ったりはした。

 でも僕は、その時、君も僕に気付いたような気が、確かにした。


 さっきまで、君が僕を見てるかもしれない、なんて妄想して、動揺していたのに、目が合うと、不思議に落ち着いた。

 ばちゃばちゃ泡立ってた水が、一筋になって、流れる先が決まった、みたいな。そんな感じがした。

 

 君に、話しかけよう。そう決めた。 

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る