結合識疾患
十八歳の時に
私の成長は歌う事だった、進路は決めていた
ボーカル専門学校そこで私の夢を
はずだったカレッジで(二年制大学)で耳に
それは悪化を重ねた、クリスマスを
両耳が
それを聞いて
ペンを
だけど私はテストの始まりを待っていたすると
一人ずつそれらを書き終えて部屋を出ていった
私はテストの始まりさえ聞こえなかった
それは最終日だった
ついてなかった、帰宅の車内で
「お父さんの声がどんな感じだったか思い出せない」
同じ日々にはもう帰れない今まで望んでいた事が
全て消えた、だけど
耳が聞こえないのにどうやって歌を歌う事ができる
想像も出来ない、ため息をついた。
娘の音楽は
問い続けたよ娘に何ができるかを、でも言うしかない
今まで娘を見ていてわかる事がある、娘は心から音楽が好きだ
「また、始めてみよう」
「お父さんそれは、頭がおかしいって!」
だけど私はギターチューナーを手に取りメモに書いた
今音楽は音ではなくそれは
だけど
だって私は
四歳から歌ってた
それから
歌う方法を記憶を
チューナーを
感じる、床から伝わる
自分で書いた曲は『TRY』
聴覚を失い諦めた、だけどもっとやりたかった
そして取り戻した。
昔には戻れない
青い空を
乗り越えて見せる
そして取り戻すの、できるなら、そうできるなら
もう
この道しか知らないから
それが私!
望んだ道じゃない、その道の景色でもない
でも考えるのはやめた
今日・・・だからもう一度
もう一度、もしできるなら
会場は
みんなが思わなかったであろう、それほど
昔にも聴覚を失った作曲家がいたそうベートーヴェンである
彼も同じく途中から耳が聞こえないのにもかかわらず
記憶から曲を作り耳が聞こえなくても、指揮者をして
練習中に後ろのピアニストに
「そうじゃない!」
と言ったという、誰しもが驚いた
耳が聞こえなくても振動で分かったみたいだ
あの有名な曲『運命』いわゆる第九も耳が聞こえない状態で
作曲した、貧しくて生活も困難だからこそ
その偉業を成し遂げたと言える。
指揮者として演奏が終わった後、観客からの拍手にも
気づかなかったという、もうこんな事を出来る人存在しない
とまで言われたが
だが彼女はギターを弾き更に声を出し歌ったのは
それは奇跡ではなく諦めたくない気持ちと音楽が
心から好きだったから出来たと私は思います。
『どんな不幸が訪れても、心さえ折れなければ不可能なんて言わせない』
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