天使と悪魔は何処にいる?

 これは人間が想像して言葉にしたものであるがいつこの言葉を

使うのだろう、天使みたいとか悪魔みたいとかです。

多様されているのは悪魔の方だろう、そうする事でひどおこないをしたと

認識にんしきさせるために使うのだろう。


 では逆に天使的なおこないをしてるとはどんな行為こういなのか?

誰かを自分を犠牲ぎせいにしても助ける行為

動物を愛する行為

環境を守る行為

仏教で言う善の行為などを書いてみた。


 ハッキリわかった事は天使的の言葉には取り扱い注意である

そこに偽善者ぎぜんしゃだと言う人が存在しているから、何でそうしたと

責めて来る人もいる、だがそんな事を言われても自分のおこないを

貫き通すのを続けること、何を言われてもそれでも気にせずやり続ける

事で、その行為に必ず賛同さんどうしてくれる人も出て来ますし

味方も増えます、情けは人のためにあらずである。


 それよりも軽く使われる悪魔の方が私には何故使いやすいのか

それは人間は欲がありその穴埋めに自分勝手な行為が多いからだと

思います、付け加えるとお金の問題が関係していると思います。


 人間は生きていくのに必要な物があり簡単に言うと衣食住いしょくじゅうです

その事に重きを置いてしまうと困窮こんきゅうした時には周りが見えなくなって

いわゆる悪魔的行為あくまてきこういをしてしまうのだろう。


 悪魔も天使も存在しないあるのは人の中だけである

人間の行為をそう呼ぶのであり人間をそう呼ぶ事でつまり

判断基準はんだんきじゅんになっている。


 アニメではデザインされた悪魔と天使がよくみれる

過去の美術画にも描かれているモデルは人間の空想でしかない

だが世界中でそれを認識している、特に宗教で多く登場する

日本では好きな宗教しゅうきょうを選べるので勿論、無宗教むしゅうきょうの人もいる

だが死んだ時は宗教が入り込んで来る、お墓を建てたり

お盆には先祖をまつ習慣しゅうかんがある。


 本来ほんらいは悪魔も天使も存在しないがいると信じたい気持ちも

捨てきれない、どちらも人間の事なのだが悪魔も天使も。


 悪魔たる物が現代に登場することも無い。

天使が現れて人を助ける事は無い。

やるのは人間である。 


 今回のオチ、悪魔も天使も結局は人間であって存在はしない

あるのは人の心の中にしか存在しないのであって人にたいして

言う言葉ではない、小説の中で充分である。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る