第12話 夏の夜の海岸で ❷
その引っ掛かる単語をどこかでも聞いたなと思って、昼間見た夢の中だったと思い出す。
『
でも今、未琴先輩の口からは確かに『人魚』という言葉が飛び出した。それも、とても現実味のある言い方で。
「未琴先輩、それってどういう────」
「そうだ、私の話をしたんだから、
まるで実際に見たことがあるかのように、それこそを恐れているんだと言わんばかりに口にされた言葉。
突っ込まずにはいられなくて疑問をこぼした俺だけれど、それは未琴先輩にあっさりと遮られた。
何かを憂うわけでもなく、特に誤魔化しを含んでいるわけでもなく、しかしそれでもその話をこれ以上広げるつもりはないという意志を感じさせられた。
「俺の話って、別に面白い話なんて持ってませんよ?」
「なんでもいいよ。私の知らない君のことが聞きたいな」
言葉こそ普段通りの淡々とした穏やかさだけれど、向けてくる瞳には揺るぎなものを感じさせてくる未琴先輩。
そんな彼女の厳かな視線を向けられては、その意思に反する会話を続けることなんて俺にはできっこない。
仕方なくシフトした話題に反応すると、未琴先輩はすりすりと体を寄せてきた。
「例えばそうだなぁ。尊くんの今までの恋愛経験について、とか」
「俺にそんなものがあるとでも?」
「そんなに自信たっぷりに言われてもね」
今まで虚しい青春を送ってきた俺に、盛り上がる恋バナなんてなんて存在しないんだ。
むしろなんの成果も無いどころか惨めさと情けなさを露呈するような今までを、俺に好意を向けてくれている人に話すのはあまり気が進まない。
それを誤魔化すように去勢を張ってみたけれど、未琴先輩は全く動じなかった。
「もし誰とも付き合ったことがなくても、誰かしら好きになったことくらいはあるでしょ? どういう子を好きになって、その子とどういうふうになったとか、そんな話でもいいよ」
「そこまで搾り出させなくても。ホント、大した話なんてありませんよ?」
「いいよ、なんでも。肝心なのは、君がどう過ごしてきたかを知ることなんだからね」
俺の肩に頭を預けたまま、未琴先輩はしっとりと俺のことを見つめてくる。
そのクールな視線の中には静かな好奇心がゆらゆらと揺らめいていて、とても誤魔化せそうにもなかった。
彼女に興味を持たれてしまった時点で、俺には話さないという選択肢は存在していない。
俺は観念して小さく溜息をついた。
「本当に面白味なんてないですよ。俺は今まで誰とも付き合ったことはありませんし、告白をしたことも、ましてされたことなんて一度もなかったんですから」
「じゃあ私たちが初めて?」
「そ、そうですね。厳密に言えば、未琴先輩が初めてです」
改めて俺はこの人に好きになってもらえたんだと自覚すると、妙に気恥ずかしくなった。
未琴先輩もまた、嬉しそうに口元をほんのりと緩める。
「なんだか意外だね。今は四人の女の子から一斉に言い寄られてるのに、つい最近まで全くそんなことなかっただなんて」
「むしろ俺にとっては現状が予想外で意外なんですけどね。俺は元々モテたことなんか一度もない、浮いた話なんて全くない男でしたから」
「まぁでも、色恋ごとに疎い私でも、尊くんがモテそうな男の子かと言われれば違うかなとは思う」
「え、俺未琴先輩に好いてもらってるんですよね?」
手厳しい発言に不安になって、思わず情けない声を上げてしまう。
そんな俺に未琴先輩は目を細めた。
「だってほら、君って優柔不断ではっきりしないし、どちらかというと弱気だし。見た目も決して悪くはないけど、だからって特別整ってるわけでもない。器量も甲斐性もないし、それに……」
「俺の悪口すらすら出てき過ぎじゃないですか!? もしかしなくても実は好きなんかじゃないんじゃないですか!?」
「好きだよ。好きだから、悪いところもちゃんと見てる。それに、君がそれをなんとかしようと思ってるって知ってるから、容赦なく言えるんだよ」
「そ、それは……」
そう口にする未琴先輩からは、確かに悪意の類は全く感じない。
叱咤激励をしているかのような、好意を含んでいるからこその容赦ない指摘だ。
厳しいお言葉にはちょっぴり傷ついたけれど、そう言われればその好意を嬉しくも思えた。
「────まぁそういうことなので、俺には恋愛経験と呼べるものは全くないんですよ」
ちょっぴり照れてしまったのを誤魔化すように咳払いをして、逸れた話を元に戻す。
「それでも何度か、身近な女子とそこそこ仲良くなったことはあったんですよ。ただ告白する勇気なんて出ないままにぬるま湯に浸かって、そのままなあなあになるのがザラでした。全てに於いて相手側から告白されたことはないので、結局脈なしだったってわけですが」
恋愛経験には換算されない、恋バナ未満の事柄だ。
その時々は割といい感じになった気になっていただけに、結果何にもならなかったという事実が俺をどんどんと臆病にしている。
だからこそ今、こうして好意を向けてくれている人がいても奥手になってしまっている。というのは言い訳なんだろうか。
「なるほど。なんていうか、尊くんらしいエピソードだね」
俺の情けない身の上話に、未琴先輩はどことなく嬉しそうにそう言った。
「今までそうだったからの今って言われると、ちょっと納得できるよ。尊くんは慎重になりすぎてるんだね」
「良い言い方をすれば、そうですね。実際はまぁ、おっかなびっくりというか、ネガティブというか……」
「でもそうやって挑んでこなかった君が、今はちゃんと私たちに向き合おうとしてる。それには自信を持っていいんじゃないかな?」
未琴先輩はそう言うと、するすると腕を絡めてきた。
柔らかく滑らかな肌が俺の腕にしっとりと重なって、とても心地がいい。
そのまま手と手が合わさって、ほっそりとした指が俺の指の間に食い込んだ。
「今は、今までとは違うよ。私は────それにみんなも────君のことが好きだから」
「……はい。はい。わかってます。それが嬉しくて、でもだからこそ慣れないことに戸惑ったりしちゃうんですけど」
「まぁ今までみたいにずっと答えを出しあぐねてたら、愛想をつかせちゃう子が出るかもだけど」
「それは、嫌ですね……しっかりしないと」
今思えば、今までもそうだったかもしれない。なんて思ってしまったり。
いい感じになった子たちは俺が告白するのを待っていて、でもしてこないから、脈がなかったんだと諦めたのかも。
いや、流石にそれは自惚れすぎか。未琴先輩も言っていた通り、俺はそもそもモテるような男じゃないんだから。
でもこれもまた未琴先輩が言った通り、今は違うんだ。
みんなはちゃんと俺のことを好きだと言ってくれた。
そんなみんなに呆れられたくはないし、だからこそ俺はいつまでもヘタレてはいられない。
ついつい、絡んできた未琴先輩の指に巻き付き返していた。
「今のこの状況は、今まで恋にすらならなかった俺にとっては夢のようですから。ちゃんと、頑張ります」
「うん。でも、これは夢じゃないよ。紛れもない現実。私たちの確かな現実なんだから」
腕が絡まり、指が合わせって、心も重なっていくような気がした。
静かな夜の空気の中で扇風機が風を掻き回す音だけが響いて、すぐ隣にいる未琴先輩の存在感がひしひしと伝わってくる。
こんなしょうもない俺を好きなってくれて、弱さにも寄り添ってくれるその存在が、とても頼もしい。
時々怖いし、俺の手に余るくらいに猪突猛進だし、彼女の芯の強さにはとことん敵わないけれど。
でもそのまっすぐな気持ちはいつも俺に強く響いて、だからどんなに遠く感じても目が離せなくなるんだ。
そんな未琴先輩に好意を向けてもらえているからこそ、安易な気持ちでは答えられないと思ってしまう。
彼女のその気持ち、在り方に相応しい意思と覚悟を持ってる自分になって、然るべき返答をしなきゃいけないんだ、俺は。
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