第17話 リアルな夢と微睡の現実 ④
「二人とも急にいなくなっちゃうから、みんな探してたよ」
外野を完全に意識から外していた俺たちは、不意の登場に大層たまげてしまった。
特に今は俺の身に起きているであろう異変についての話をしていたから、特に。
未琴先輩は至って普段通りで、淡々とした口調も涼やかでのどかな笑みも通常運転だ。
けれど、俺たちにとってはそれこそが少し不安を煽って、息を飲まずにはいられなかった。
「す、すみません。急にかき氷を食べたい気分になりまして……」
「別にいいけど、だったら声をかけてくれてもよかったのに」
俺の返答に未琴先輩はそう答えると、テーブルの上に取り残された俺の手に指を重ねた。
手の甲を撫でるように指を這わせながら、流し目で安食ちゃんへと視線を向ける。
そのちょっとした仕草もその深い闇のような瞳だと迫力があって、安食ちゃんは僅かに体を小さくした。
「デートもいいけど、せっかくみんなで海に来ているんだから。もう少ししたら帰る時間だし、そろそろ合流しない?」
「そ、そうですね……」
またしても話が中途半端に途切れてしまった俺としては、もう少し安食ちゃんとの時間を取りたいところだけれど。
でも未琴先輩が言う通り、あんまりみんなから離れているというもの忍びなくある。
それに、みんなと過ごす楽しさを未琴先輩が見出し始めているのを見ると、それを大事にしたいという思いもあった。
向かいに座る安食ちゃんは完全に萎縮してしまっていて、未琴先輩のことを直視できていない。
そもそも大人しい性格の彼女は、さっきのようにこっそり抜け出すならまだしも、他の女子の前で堂々と俺を掠めるようなことはできないんだろう。
いや、さっき俺だけを誘ったことだって、彼女にとっては相当勇気が必要だったに違いない。
「未琴先輩、すみませんが先にみんなところに戻ってもらえませんか? 俺たちもちょっとしたらすぐに合流するので」
「……?」
手をそっと放して返答すると、未琴先輩は真っ直ぐに俺へとその黒い瞳を向けてきた。
不機嫌そうではないけれど、ささやかな笑みを浮かべたフラットな表情からは重い空気を感じる。
水を滴らせる未琴先輩は、濡れそぼった髪の色っぽいさも相まっていつになく美しい。
その麗しさは気を抜けば吸い込まれてしまいそうで、傾倒してしまいそうな自分が確かにいる。
でもそんな魅力に必死に抗って、俺は真っ直ぐに彼女を見返した。
「そんなにお待たせはしませんから、後少しだけ。ちょっと、安食ちゃんと話の途中だったので」
「……そう」
短い返答。淡白なその相槌は何を意味しているのはわかりにくかった。
相変わらずその深淵のような瞳は俺から外れないし、淡々とした笑みの中で線を書いたように流麗な眉が、少し歪んでいるような気がしなくもない。
とても綺麗で美しすぎるが故に、その揺るぎない佇まいにはとても恐ろしいものが感じられた。
俺が他の女子と関係を深めることを認めた未琴先輩は、決して俺の行為そのものを咎めることはしないだろうけれど。
でもだからってそれを全て快く思うわけはないだろうし、表に出さないだけで機嫌を損ねている可能性は高い。
けれど今は、これ以上安食ちゃんとの時間を途切れさせたくなかった。
「────そ、そういうことなので……」
もう一押しした方がいいかと口を開きかけた時、安食ちゃんがバッと立ち上がった。
「そういうことなので、し、失礼します……!」
らしくなく声を張り上げたかと思うと、安食ちゃんは未琴先輩の脇をするりとすり抜けて俺の手を掴んだ。
未琴先輩がリアクションを取る前に俺のことをグッと引っ張って、彼女から逃げるように駆け出す。
俺もまた呆気にとられつつも、けれど慌ててそれに従って足を動かした。
店を飛び出す最中に背後を窺ってみれば、取り残された未琴先輩はこちらを見てポツンと佇んでいた。
その姿を見ているとなんだか申し訳なさでチクリと胸が痛んだけれど、でもそれは先導する安食ちゃんに目を向けることで蓋をした。
どちらかを立てればどちらかは立たない。後でフォローしておくことにしよう。
「す、すみません……急に、こんなこと……」
しばらく砂浜を駆けた後、足を緩めた安食ちゃんは息を切らしながら謝ってきた。
それでも握った俺の手は決して放さなくて、むしろより強く指を絡めてきた。
その小さな手はさっきとは違った意味で震えている。
「神楽坂先輩に怒られちゃったら、ごめんなさい」
「いや、いいよ。俺ももう少し君といたかったし。むしろ強引に連れ出してもらえてよかった」
俺じゃ飛び出す選択はできなかったし、話し合いを続けていた中で強く攻め込まれたら打ち崩せなかった可能性は捨てきれない。
そういう意味ではこうして強引ながらも離脱できてよかった。
俺の返答に安食ちゃんは心底ほっとしたように胸を撫で下ろすと、ニコッと控えめに笑った。
「でも、安食ちゃんがあそこまで強気に出たのは意外だったよ。それに助けられておいてなんだけど」
「それはだって、うっしー先輩が私といたいって言ってくれたから……。私だって、ちょっとは勇気出します」
「そっか。ありがと」
赤らめながら顔を伏せた安食ちゃん。
その勇気を振り絞るのがどれだけ大変だったかは、その震えをみればよくわかる。
特に未琴先輩相手であれば、他の二人よりもおっかないと思う部分もあっただろうし。
しばらくトボトボと歩いていると、いつの間にかひと気の少ない辺りに来ていた。
あんまりビーチから離れてもあれだからと、俺たちはちょうどよく日差しを遮っている木陰に腰を下ろした。
日向の熱せられた場所とは違って、砂がひんやりとしていて心地がいい。
「────えっと、うっしー先輩」
少しばかり二人で波打ちを眺めてから、安食ちゃんがおずおずと口を開いた。
下の方から不安交じりの視線が見上げられる。
「私、うっしー先輩にはうっしー先輩のままでいて欲しくて。だって私は、今のうっしー先輩のことが好きだから」
並べた肩がコツンとぶつかる。とても小さな、細い肩だった。
「確かにうっしー先輩はちょっと頼りないところも、優柔不断なところもありますけど……」
「そこはやっぱりそこは外せないか」
「はい。それはもう観念してください」
敢えて茶々を入れてみれば、安食ちゃんはカラッと笑みを浮かべた。
でも不安を伴う真剣な瞳は変わらない。
「でも私にとってはそれも含めて、だからこそうっしー先輩だから。そういうところも全部受け入れた上で、私は先輩のことが好きなんです。だから、変わらないで欲しいんです。特に、変な風には」
「…………」
「昨日からのうっしー先輩にある違和感には、そういう不安がありました。先輩が見ている夢が、先輩を濁している気がして。私はそれが怖かったんです」
膝を抱えながら、けれど決して俯くことなく、安食ちゃんは俺を見つめ続ける。
そこにあるのは彼女のひたむきな思いだった。
「私は、うっしー先輩が見ていた夢の内容を把握しています。そしてそれを、客観的に見ています。だから、先輩が夢に過ぎないと思っているものの、その違和感が際立ってわかってしまって」
「それが、安食ちゃんの『
「はい。でも、ごめんなさい。今はそれをどうやって説明していいかわからなくて」
「いいよ。言えることだけ言ってくれれば」
安食ちゃんの能力がどんなものかはわからなけれど、とりあえずそれによって俺の夢を理解したということだ。
客観的にそれを見られたからこそ、俺が見逃していた、気にもしていなかった異変に気付いていたんだ。
「夢の中のものがこちらに現れたことは、多分問題じゃありません。ただ、現実ではないはずなのに、それほどまでにリアルなものがこことは別に存在する。それこそが問題なんじゃないかと」
「俺が見ていた夢。それが現実にとても似通ったリアルなもので、でもただの記憶の再現とは違う別物だということ。それこそが……」
言っていることはわかるけれど、やっぱり実感は薄い。だって夢は夢だから。
普通に生きいれば誰でも見るもので、通常気にする必要もない取るに足らないものだから。
でも今はそう言って無視をしていちゃいけなんだ。
「はい。だからきっと、その違和感を解消するためには、夢の中でどうにかするしかないかもしれません」
「え?」
俺が首を傾げた時、安食ちゃんが腕をぐいっと引っ張った。
不意のことに俺はされるがままに体を傾けて、いつの間にか伸ばされていた彼女の脚の上に倒れ込んでしまった。
華奢ながらも柔らかい太ももが俺の頭を受け止めて、安食ちゃんの優しげな顔が見下ろしてくる。
「あ、安食ちゃん!?」
「夢と現実の差異が、うっしー先輩の中にシコリを生んでいるんだと思います。だから、夢の中でその違和感の正体を見つければ、きっとこの異変を解き明かせるんじゃないかと」
「で、でも、そううまくいくか? 夢なんて、意識的にどうこうできるものじゃ……」
「普通はそうですけど……でもその夢が作為的に生み出されているものだとしたら、異変を感じた今なら干渉できるようになるかもしれません。やってみる価値はあります」
不意な膝枕への驚きと、突飛な提案にダブルで驚く俺をグッと自分の膝に押さえながら、安食ちゃんは確かな口調でそう言った。
夢の中にダイブして問題を解決しよう、なんて漫画みたいなことが本当にできるかは定かじゃない。
でも何もせずにこのままでいるよりは、何か対策を講じるべきなのかもしれないのは確かだ。
ただそれにしても、安食ちゃんに膝枕をされているという現状がかなりインパクトが強い。
女子の膝枕へのドキドキ感と、小柄な少女に縋っている背徳感、それと彼女自身が持つ包容力に対する安心感がごちゃ混ぜになって心がぐるぐると渦巻く。
ちょっぴり現状の異変を忘れてしまいそうになる自分がいた。
「それでも、現実の意識や気持ちをどれだけ持ち込めるかはわかりません。でも、ちょっとでも今この時を覚えられていたら……」
色んな意味でハラハラしている俺の頭を、安食ちゃんは優しく撫でてくれる。
その柔らかさ、穏やかさが俺の心を急速に落ち着けていく。
安堵がどんどん増していって、穏やかで心地よい感情に包まれていくのがわかった。
「夢の中でも、私を頼ってください。私は、いつだってうっしー先輩の味方です。どんな時だって私は、うっしー先輩のことを受け止めますから」
「安食、ちゃん……」
柔らかい太ももに包まれながら、優しくゆったりと頭を撫でられて。
そして片方の手が俺の目元を覆って穏やかな暗闇をもたらした。
極楽のような安心感に包まれて、急速に精神が平坦になっていく。
母親に子守唄を歌ってもらって微睡む赤子のように、安食ちゃんに身を委ねてしまう。
俺の全てを受け入れて、許して、抱きしめてくれる温かさが心地いい。
「訳がわからなくても、自信がなくても、不安でも、弱くても。いいです、大丈夫です。私がついてます。だから先輩は、自分を見失わないでください」
ゆっくりと意識が遠のいていく。
その中で、安食ちゃんの柔らかい声だけが俺の意識を満たした。
「私の大好きな……
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