第16話 リアルな夢と微睡の現実 ③

 その場では違和感に結論が出ず、モヤモヤを抱えたまま俺は海岸清掃のボランティアを終えた。

 姫野先輩は俺の態度をあまり気にしていなかったけれど、安食あじきちゃんは何か言いたげで、でも他人の目が気になるのか切り出してこなかった。


 実際には経験していない、夢で見た出来事の痕跡が現実に現れている。

 その異変はきっと、さっき安食ちゃんと言っていた、俺がリアルな夢を見ていることに対する違和感と関連があるんだろう。

 ついさっきまではそのことに何も思っていなかった俺だけれど、こう目の前に異常が現れると流石に向き合わずにはいられなかった。


 ただ俺にとっては本当に、眠っている時に見た夢に過ぎなくて。

 それがどんなにリアルで、現実をなぞったようなものだったとしても、けれど夢でしかなくて。

 だからその中から違和感や異変を探ろうと思っても、そもそもが朧げで不確定だと思えるものだからどうもうまくいかなかった。


 だからこそ、安食ちゃんとさっき途切れてしまった話の続きをしかったんだけれど。

 でも海岸清掃が終わってみんなと合流してからは彼女と二人の時間を作るのは難しくて、ズルズルと時間がすぎてしまった。

 午前中には泊まっていた部屋を出なきゃいけなかったし、その片付けをしたり着替えをしたり、それにもう昼飯の時間になっていたりと、みんなでわちゃわちゃとしていてそれどころじゃなかったんだ。


 そうこうしているうちに、さっきの違和感もなんだか霞んできてあまり気にならなくなってきている自分がいた。

 デジャビュや正夢を見たときのようなぼんやりとした感覚で、気のせいと言って吹き飛ばせる程度のシコリ。

 目の前のみんなとのやりとりや楽しみに飲み込まれて、そのうち俺はあんまりそのことを考えなくなってしまていた。


「私、ちょっと小腹が空いちゃいました。うっしー先輩、一緒にかき氷でも食べに行きませんか?」


 しばらくみんなと海で遊んでいた時、安食ちゃんがふとそう言った。

 すぐ近くに他のみんながいるけれど、俺の隣にひっそりと近寄ってきてみんなには聞こえない声量で。

 じゃあみんなも誘おうかとうっかり言いそうになって、でも彼女の控えめな視線に慌てて口をつぐんだ。

 これはそういうことじゃないんだ、と。


 頷きながらみんなの方を窺ってみれば、あさひと姫野先輩が未琴先輩に水を掛けまくって絡んでいた。

 対する未琴先輩は、どうしたらそうなるのかわからないけれど、ちょっとした波を起こして反撃をしていて、みんな俺たちの方を見てはいなかった。

 その機に乗じて、安食ちゃんと一緒にこの場をこっそりと離脱する。


「なんだか抜け駆けしているみたいでちょっとドキドキしますね」


 俺の手をちょっぴりと握りながら、安食ちゃんはそう言ってはにかんだ。

 確かにみんなの目を盗んで二人でだけで環を抜け出すのは、少しの背徳感と同時に高揚感があった。

 それを普段は控えめな安食ちゃんが意図してやったかと思うと、ちょっと意識してしまう。


「きっと後で先輩たちに怒られちゃいます」

「まぁでも、こういうのってやったもん勝ちだし。たまにはいいだろ」


 ぺろっと舌を見せた安食ちゃんの無邪気な仕草に、俺は思わずドキッとしながら肯定の意を示した。

 みんながある程度文句を垂れるだろうことはもう仕方のないことだし、安食ちゃんは普段みんなに押されがちだから、こういう機会は積極的に一緒に過ごしたい。

 俺が手をしっかりと握り返すと、安食ちゃんは安心したように頬を緩めた。


 ビーチに並ぶ店の中には、かき氷を売りにしているちょっとお洒落なカフェがあった。

 安食ちゃんはちゃっかりリサーチ済みだったみたいで、SNS映えしそうなゴテゴテで大盛りなかき氷を二つ注文して、二人でシェアしながら食べることにした。

 氷も山盛りなことながら、フルーツやらアイスなんかもたっぷり盛られたかき氷は、いかにも写真を撮ってくださいと言わんばかりの煌びやかさで。

 けれど安食ちゃんはスマホを構えることなく意気揚々とかき氷に食らい付いていて、その生き生きとした様子がとても愛らしく、俺はついつい顔が綻ぶのを抑えられなかった。


 思えば、安食ちゃんは何を食べる時も食べ物を撮ったりすることはない。

 あさひだったらすぐパシャパシャしているし、女子高生ってそういう奴が多いとは思うけれど。

 でもそれは安食ちゃんの食に対する関心の現れだと思うし、俺はそういう彼女が好きだ。


 だから、そうやって楽しそうに食べている安食ちゃんの様子を俺が写真に収めるのが、彼女との食事ではちょっとした習慣になっている。

 そうすると大抵安食ちゃんはぷくっと膨れるんだけれど、でもそんな様子がまた可愛らしいし、それに別に怒るわけではないからついよく撮ってしまうんだ。


「ふわぁ〜おいしかったぁ。もうちょっと食べたいところですけど、あんまり食べすぎると寒くなっちゃうのが悩ましいところですね〜」


 二人で頼んだ二つの大きなかき氷の四分の三を平らげた安食ちゃんは、そう言いながも満足そうに息を吐いた。

 大きいとは言っても量は彼女が食べるにしては少量だし、確かに腹を満たすにはもう少し数が必要になるんだろう。


「────あのですね、うっしー先輩。こうしてこっそりお誘いしたのは、かき氷を食べたいだけじゃなくてですね……」


 もう一つくらい頼んじゃうかと提案しようと思っていると、安食ちゃんは手をもじもじさせながらそう切り出した。


「さっき、お掃除をしている時の話の続きを、したいと思いまして」

「あ、そうだった。ごめん、途中になっちゃってたよな」


 言われて、俺はようやくそのことを思い出した。

 俺だって彼女と話したいと思っていたのに、目の前にことに流されてついつい忘れてしまっていた。

 あの違和感についてもっと考えなきゃいけなかったのに。


「実はそれ繋がりで、お見せしたいものがあるんです」


 そう言うと、安食ちゃんは防水のポーチから一本の棒を取り出し、テーブルの上にそっと置いた。

 よく見てみればそれはアイスの棒のようなもので、しかも『当たり』の印字がされていることが見て取れた。


「……!」

「見覚えありますよね……?」

「それは昨日の夜、未琴先輩から────」


 そう言いかけて、また妙な違和感が俺を襲った。

 この当たり棒には見覚えがある。

 


 そう、俺の記憶が言ったけれど。

 でも昨日はそんなことをしていない。

 バーベキューをした後は風呂に入って、みんなで枕投げをした後はすぐ布団に入ったんだから。


 俺は実際にその出来事を過ごしていない。

 でもどうしてそんな記憶があるのかといえば。

 そんな一幕を夢の中で見たからだった。


「さっき部屋の片付けをした時に見つけたんです。今朝は食べる時間なんてなかったでしょうし、昨日も食べてないですよね」

「食べて、ない……それは、実際はあるはずない物だ……」


 ごちゃごちゃし出した頭を抱えて、俺は記憶をまさぐりながら答える。

 俺自身が現実として経験していない出来事の痕跡が今、どうしてだか目の前に存在している。

 今までは夢だと全く意識していなかったのに、こうしてその実在を目の当たりにすると途端に現実と夢の記憶が入り混じりだした。


 一体何が起こってるっていうんだ……。


「やっぱりこれは、うっしー先輩の夢の出来事の産物。さっき真凛先輩が見つけた貝殻と同じですよね」


 俺の反応を見て、安食ちゃんはポツリと言った。


「私にもはっきりとしたことはわかりませんが、きっと何かが起こっています。少なくともうっしー先輩は、今私たちが過ごしているものとは違う、もう一つの合宿を過ごしているんじゃないでしょうか」

「それって、もしかして……」


 安食ちゃんの指摘に、俺は今までに経験した似たような出来事を思い起こした。

 時間が巻き戻されたことによって四日間を何度も繰り返し、強いデジャブを感じた時のこと。

 二週間ほどの期間を二つのルートで過ごし、二重の記憶を持つに至った時のこと。


 こうして実際には経験していないはずの、夢の中での出来事がこちらに現れているのも、それらと同じ状況だってことなのか?

 また時間が巻き戻ったり、世界が重複したりして、今認識している現実とは違うことがどこかで起きている、と……?


「とは言っても、まだこれだけじゃ確証にはなりません。たまたまうっしー先輩の夢によく似たものが、何かの偶然であっただけというのも、否定はしきれませんから」

「そ、そうだよな。夢のものが現実に現れるなんて、流石に突拍子もなさすぎるし」

「はい。ただそうした、たまたまや気のせいと同じと言えるものが、『感傷的心象エモーショナルの影響力・エフェクト』という能力の結果なんです。だからこの違和感は、ちょっと無視できなくて」


 安食ちゃんはそう言って小さく眉を寄せた。

 気にしなければ無いようなもので、偶然と片付けてしまえるような出来事を、意図的に起こせる現象。

 それこそが『感傷的心象エモーショナルの影響力・エフェクト』で、だからこそ実証が難しいのだということは、昨日彼女が説明してくれたことだった。

 その時は、だからこそ考えすぎる必要はないという話だったけれど、今においてはだからこそ視野に入れておく必要があると考えるべきということだ。


 ただ、合宿に来てから見た夢を思い起こしてみても、特段変なところは見当たらない。

 この合宿を思い起こすような内容の中で、ちょっと現実とは違うことがあるというだけだ。

 そんなこと普通だって見る可能性のあるもので、それ自体には何も異変を感じることはできなかった。

 だからこそ俺は、さっきまで全く気にしてこなかったのだから。


「────あれ、でもどうして安食ちゃんは俺の見た夢のことをわかるんだ?」


 頭を悩ませる中で、ふと俺はその疑問に立ち返った。

 清掃活動中に話していた時は聞けずじまいだったけれど、思えばそれも気になることだ。


 どうしてその当たり棒が夢の産物だとわかったのか。

 ハートの貝殻のことだって、安食ちゃんは何かわかっている風だった。

 それにそもそも彼女は、俺がリアルな合宿の夢を見ていること知っていたんだ。


 俺がそう尋ねると、安食ちゃんは僅かに俯いた。

 そういえばさっきも答えにくそうにしていた。


「……実は私、うっしー先輩が見た夢、見たんです。だからどんな夢の内容か、知ってて……」

「……? ちょっと意味がよく……」


 とても申し訳なさそうに、同時に恥じらうように、安食ちゃんは小さく口を開く。

 言い訳をしようとしているというよりは、説明すること自体を憚っているような感じだった。


「大丈夫。言える範囲で、ゆっくりでいいから」


 テーブルの上でもじもじとさせている手は小さく震えている。

 チラチラと俺を窺う眼差しもまた、どこか怯えるようで。

 俺がその手をそっと握ってやると、安食ちゃんは微かに息を飲んだ。


 それから僅かに瞳を潤ませて、縋るような視線を俺に向けてきた。


「私がうっしー先輩の夢の中身を知ってるのは、私の、能力のせいなんです。覗き見るつもりはなかったんですけど、でも知ってしまって……」


 子供のように小さな手のその指が、恐る恐る俺に指に絡まる。


「その夢の存在自体に、とっても違和感がありました。私がそれを見たことが、多分あの貝殻やこの棒をこちらに現してしまった原因なんだと……思うんですけど。でも本来、そんなことはできないはずで。だから多分、異変はその夢そのものにあると、思うんです」


 言葉が飛び散りながらも、安食ちゃんは懸命に口を回す。

 言わんとしていることは恐らく、あの夢自体を解き明かさなきゃいけないということだ。

 でもじゃあ、その夢の産物が現実に現れたことにどうして彼女が関係するのか。


 安食ちゃんの『感傷的心象エモーショナルの影響力・エフェクト』とは何なんだろう。


「あの……えっと、その……私……」


 細かく追求したくなるのを堪えて黙って次の句を待つ。

 安食ちゃんは口をパクパクさせながら、俺の手を強く握った。


「私……私の、能力は……まざ────」

たけるくんと楓ちゃん、こんなところにいたんだ」


 安食ちゃんが今まさに肝心要を口にしようとした、その時。

 突然、未琴先輩がスルッと現れた。

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