第2話 水着姿の美少女たち ①

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 海へは電車で一本、一時間弱の道のりだ。

 シーズンド真ん中だから混むだろうということもあっての早めの出発のお陰で、なんとかみんなで座席に座ることができて。

 だから、というわけでもないけれど、俺は案の定ガッツリと眠ってしまった。


「うっしー先輩、そろそろ着きますよ」


 耳元で優しく囁かれた声に、ゆっくりと意識が覚醒する。

 電車のリズミカルな振動と、空調の効いた車内の居心地の良さ。それから甘く芳しい香り。

 このままこの場で安穏と微睡んでいたいと、俺の怠惰な理性が覚醒を拒む。


 俺を柔和に包む布団に顔を埋め、俺は起床を促す声に抗って体を縮めた。

 ふわふわと柔らからで良い匂いがして、夏場とはいえ温かみが心地いい極上の布団だ。

 この至福の微睡から抜け出すなんてそう簡単にできることじゃない。

 困ったように声が続いている気がするけれど、今の俺にとっては知ったことではなかった。


 さあ、全て身を委ねてしまおう。

 そう思って再び意識を完全に手放そうとした、その時。


「それ以上は、あんまり気分が良くないかな」

「…………ッ!?」


 不意にぐいっと腕を引かれ、俺は意識を強制的に引き上げられて。

 いささか乱暴とも言える勢いの良さに、俺は半ば跳び上がるようにして目を覚ました。

 慌てて首を振ってみれば、未琴先輩がいつになく平坦な視線で俺を眺めているのと目が合った。


「おはよう、たけるくん」

「お、おはよう、ございます……」


 すぐ隣に座って俺の二の腕をガシッと掴んでいる未琴先輩が、普段通りの淡々とした声色で口を開く。

 反射的に挨拶を返しつつ、けれど彼女が醸し出す重圧に俺は言葉を詰まらせてしまった。

 いつもと変わらない穏やかな笑みを浮かべているように見えて、どことなくいつもよりも重苦しい雰囲気を感じる。


「尊くん。寝ちゃう時に私に寄りかかってくれなかったのは百歩譲っていいとして、でもはどうかと思うな」

「ん? えーーーっと…………」


 未だ少し朦朧とする頭で未琴先輩が言わんとしていることを考える。

 今の俺は未琴先輩に強く引き寄せられている状態で。ということはつまり、寝ている時は逆だったってことか?

 おずおずと未琴先輩とは反対隣に顔を向けてみれば、苦笑いをしている安食あじきちゃんの姿が窺えた。


 どことなく顔が赤い気がする。

 ……とても、嫌な予感がした。


「俺、めっちゃ寄りかかってた?」

「……はい。まぁそれは全く問題なかったんですけど……」


 恐る恐る尋ねてみれば、安食ちゃんは少し困ったように頷いた。

 何か嫌なことがあった風じゃないけれど、しかし少し恥ずかしそうにしている。

 そんな彼女を眺めながら、俺はさっきまでの自分の微睡を思い起こして。

 そして、事態を理解した。


「もしかして俺がぬくぬくと埋もれていたのって、安食ちゃんの髪……?」

「は、はい……。うっしー先輩に寛いで頂けたのは嬉しいんですけど、流石にちょっと恥ずかしかったです……」


 なるほど。だからとってもいい匂いがしたのか────じゃない! 何をやっているんだ俺は!

 いくら安食ちゃんの髪が包み込むようなふわふわヘアーだからって、それは流石にまずいだろう!

 電車で眠りこけて女子に寄りかかるだけじゃなく、そのおぐしにぐりぐり埋もれるなんて……。


「ご、ごめん安食ちゃん! 俺、寝ぼけまくって失礼なことを……!」

「いえいえ、いいんです。うっしー先輩ですから、別に嫌じゃなかったですし! でも、匂いとか気になるので、ハラハラはしましたけど……」


 俺が慌てて謝ると、安食ちゃんははにかみながらも気にした素振りを見せずに首を横に振った。

 女子にするべきではないとんでもない失礼を働いた俺を、責める気なんてまるで見えない。

 その寛大な心に、申し訳なさと合わせて平伏したい気持ちでいっぱいになった。


「本当にごめん。どうやって詫びればいいか……」

「全然気にしないでください。寄りかかっていいですよって言ったのは私ですし。ただ、汗掻いてるし、臭くなかったのならいいんですけど……」

「そんなのとんでもない! むしろとってもいい匂いで────」

「尊くん」


 むしろ俺に寄りかかられて嬉しかったと言わんばかりに、包容力のある余裕を見せる安食ちゃん。

 けれど僅かに見せる恥じらいに、俺がついつい余計なことを口走りそうになった時、未琴先輩が再び腕をぐいっと力強く引いた。

 不意を突かれた俺はグラっとバランスを崩して、半ば倒れ込むように未琴先輩の膝の上に体を仰向けに傾けてしまった。

 じっとりと俺を見下ろす静かな重みのある瞳と、視線がばっちり交わる。


「それ以上はダメだよ」

「す、すみません……」


 有無を言わせない未琴先輩の言葉に、俺は大人しく口を閉じた。

 いくら安食ちゃんがいいと言ってくれていたって、失礼なことをした事実に変わりはないし。

 それにいい匂いだったとはいえ、女子に香りの感想を伝えるのもナンセンスだろう。

 安食ちゃんの優しさに甘えて、危うく失態を重ねるところだった。


 萎縮する俺に未琴先輩は小さく微笑んだ。

 どことなく怖い。


「そんなに女の子に甘えたい気分なら、このまま私の上で寝ててもいいよ? 膝枕好きだよね?」

「大変魅力的なお誘いですが、流石にこの場ではちょっと。反省して、甘ったれずにちゃんと自分でお座りしますので、どうかお許しを頂ければ……」


 落ち着いた声色ながらも、どこか凄みを感じさせる未琴先輩の言葉。

 無意識とはいえやんちゃをしてしまった俺にお灸を据えようとしているのか、とても視線が手厳しい。

 俺がいけないのはわかってるけど、でも安食ちゃんは怒っても嫌がってもないんだし、未琴先輩がそこまで責めてこなくても。と思わなくもない。


「年下の女の子に甘ったれちゃうような君には、私の膝はご不満?」

「決してそういうわけでは……!」


 淡々と、けれどどっしりと言葉を振り下ろしてくる未琴先輩に対し、慌てて否定の声を上げる。

 これはもしや、俺が安食ちゃんにした失礼を責めているというより、俺が彼女とベタベタしていたことにご不満というのとなのか?

 いや、未琴先輩がそんなあからさまな嫉妬みたいな態度をとってくるとは思えないし、また俺をからかって楽しんでおられるだけかもしれない。


「ちょっとちょっと、しれっと自分のイチャイチャタイムにしないでよ〜」


 これが二人きりの場なら、その押しに甘んじて膝枕をしてもらう展開もいい。

 けれど流石に電車内という公衆の面前でそれを行う勇気は俺にはなかった。

 はてさてどうしたものかと頭をフル回転させていた時、未琴先輩の向こう隣に座る姫野先輩が声を上げた。


「みんなでいる時にうっしーくんを誘惑しようとしたって、そうはさせないんだからね」

「別に誘惑してるつもりはないよ。それに、だったら楓ちゃんもアウトじゃないの?」

「さっきまでのは不可抗力。でも今の神楽坂さんのは自分から仕掛けてからダーメ!」


 姫野先輩はそう言うと、両手で俺の顔を覆って未琴先輩の視線を遮った。

 未琴先輩のまじまじとした直視を免れたのは助かるけれど、女子の柔らかな手が顔を塞ぐのは、それはそれでまた別のドキドキが俺を襲った。

 おまけに押さえられているものだから体を起こすこともできなくて、かなりカオスな状況になっている。


「もう、神楽坂さんはすぐにうっしーくんにベタベタするんだから。みんなでいるんだから、そうそう二人の世界になんて入らせないよ」

「尊くんの隣に座れなかったからって、そんなに拗ねなくてもいいのに」

「別に拗ねてないし! まぁいいよ。これから行くのは海だしね。きっとうっしーくんは私に釘付けになってくれると思うし〜」


 視界が塞がれた俺の頭の上で、未琴先輩の姫野先輩の言葉がバチバチと飛び交う。

 二人とも口調は穏やかで、まぁ友達同士の会話と言えなくもないけれど、お互いに相手への牽制が感じられる。

 取り合われていると思うと優越感を覚えなくもないけれど、この状況を周りの人はどう見ているのかと考えると、もう一生この手を退けないで欲しいと思ってしまった。


「まーまー二人ともその辺で。うっしー困ってるから」


 二人の言い合いにあさひのが声が割って入るのが聞こえた。

 その助け舟にホッと安堵していると、俺を押さえていた未琴先輩と姫野先輩の手がそれぞれパッと離れ、同時に俺の上体がぐいっと持ち上がった。

 俺が起きあがろうと思うよりも早く動き出した体に、あさひが『みんなアタシレッド・ストの運命の人リングス』を使って助け起こしてくれたのだと理解する。


 けれど、それは能力を使っているあさひ本人と、その影響を受けている俺にしかわからないことで。

 俺たち以外からしたら、俺がただ自力で起き上がっているようにしか見えないんだ。

 だから安食ちゃんは、先輩二人に組み敷かれていた俺が起きあがろうとしているのを助けようと、身を乗り出して手を差し伸べてくれた。


「…………!」


 けれど勢いとタイミングが合わず、俺は安食ちゃんの手をすり抜けてしまって。

 そのまま体と体がぶつかって、けれど俺と彼女の体格差から半ば覆い被さるように衝突してしまった。

 それほど勢いがあったわけじゃないから痛みはなかったけれど、真正面から抱き合っているような感じになってしまう。


「安食ちゃん、大丈夫!?」

「へ、平気、です……」


 思わぬ衝突に慌てて声をかけると、つっかえながらも答えが返ってきた。

 俺の胸に埋もれてしまいながらも、その小さな体で俺をしっかりと受け止めている。

 前にもヨタヨタしていたところを受け止められたことがあるし、安食ちゃんは見かけによらずどっしりと軸が据わっているのかもしれない。


「うっしー先輩のことなら私、いつでも受け止めてあげますから」

「ありがとう。でもごめん、不注意で。安食ちゃんに怪我がなくてよかった……」


 不可抗力とはいえ、いつまでも自分よりも小柄な年下女子に覆い被さっているわけにもいかないから、俺は体を離そうとした。

 けれど何故だか体が全く動かない。いや、答えは明確だ。俺を受け止めた安食ちゃんの腕が、しっかりと俺の背中を押さえている。

 不慮の衝突では最早なく、完全に抱きつかれている状態に変貌していた。


 俺の胸に埋めた顔を離さないまま、安食ちゃんはポツリと嬉しそうに言った。


「うっしー先輩って、やっぱりおっきいですね」


 他の三人が声を上げる前に、電車は目的の駅に停車した。

 それがなかったらどうなっていたかなんて、想像したくはない。

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