第21話 未琴先輩と夏祭りデート ② m-4

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 いつもの溌溂した笑顔はそこになく、が浮かべているのは滲むような焦燥だった。

 けれど彼女自身もそれを飲み込みきれていないのか、戸惑いもまた多く窺える。

 しかし内から湧き上がる切実な想いは確かなようで、向けられた瞳は揺るぎないものだった。


「な、なんのことだよ。有友、一体どうしたんだ?」


 それでも現状を理解できない俺は、そう尋ねることしかできなかった。

 有友が何に慌てて、何に気付こうとしているのか。それが全くもって俺にはわからなかった。

 俺は未琴先輩の手を放さないままに有友をまじまじと見つめる。


 それを受けた彼女は懸命に呼吸を整えようと肩を揺らしている。

 しかしその中でも俺を見つめる視線だけは全く外れなかった。

 綺麗にまとめ上げられていたはずの金髪が、今は乱れて汗を滲ませている。


「ごめん、うっしー。アタシも今、まだよくわかってないんだけど。でもここ最近ずっと変な感じがしてて。それが日に日に増してる気がしてさ。今、サイコーに気持ち悪い感じがすんだよね」

「そんなことを言われても……」


 有友の言葉は要領を得なくて、何を伝えたいのかさっぱりわからない。

 けれどそれは彼女自身も同じようで、うまく言葉にできないことをもどかしそうに歯噛みしている。


 ただ、有友がデタラメを言っているわけじゃないということは、なんとなくわかった。

 根拠は何もないんだけれど、彼女の中にある強い意志はきっと何かを掴んでいるんだと、そう感じられる。

 だから俺ははっきりしない有友を無碍にすることはできなかった。


「よくわからないけど、今日は私がたけるくんと過ごす日なんだよ?」


 なかなか話が進まない中、未琴先輩がそっと口を挟んだ。

 その声色は特に怒っているようではないけれど、静かな牽制が含まれているように思えた。

 深みを持った重い瞳が、じっとりと有友に向けられている。


「ごめんね、みこっち先輩。デートの邪魔をするつもりはなかったんだけどさ」


 目を合わせただけで怖気付いてしまいそうになる、そんな未琴先輩の視線を真っ向から受けても、有友は姿勢を崩しはしなかった。

 むしろ真っ向から立ち向かおうとするように、しっかりと踏ん張って向かい合う。

 真剣な表情の中になんとか普段通りの笑顔を浮かべて、余裕を取り戻そうと振る舞っていた。


「デートの邪魔は、するつもりなかったんだよ。でも今感じるこの違和感は、どうしたって無視できなくってさ。そんでもってその違和感の中心は、今ここにある、そんな気がしたから」

「ふぅん、そう。でも全部そんな気がする、なんだね」

「そ。結局はアタシの勘でしかないんだけどさ。でもアタシたちとしては、それこそが大事だからさ」


 しっとりと伝う汗を拭いながら、有友はニィッと笑みを浮かべる。

 段々と落ち着きを得てきたのか、その笑顔には自然さが戻ってきていた。

 けれど逸る気持ちは収まっていないようで、とてもそわそわとしている。


「アタシだけじゃどうしたって、なんか変だなってところまでしかわかんなかった。でもその違和感のど真ん中に向かって、アタシとうっしーの繋がりが伸びてたから。だからアタシは、それを辿ってここまで来たんだよ」


 有友は胸のあたりで拳を握った。

 自らの心を抱くように、大切なものを握りしめるように。

 そして、俺のことをゆっくりと見つめてくる。


「ごめんね、うっしー。こんな乱入しといて、アタシ満足な説明できなくてさ。でも、今確実に何かが起こってて、それをわかってるのにアタシじゃ正体が見えなくて。でもきっと、うっしーなら気づけると思うんだ」

「俺が? さっぱりだよ。こうやってお前が何かを言ってくれてても、全くわからないんだ」

「うん。これはとっても精巧で、ちょっとやそっとじゃ気づけない違和感。でもアタシとうっしーの繋がりがあれば、きっと本当を見つけられると思うんだよね」


 そう言って笑顔を浮かべる有友は、俺に全幅の信頼を向けてくれている。

 みっともなくキョトンとすることしかできていない俺を、心の底から信じている。

 その気持ちに応えたいと思っても、どうしてもその違和感とやらを見つけることができない。


 今、何が変だっていうんだ。何が起きているっていうんだ。


「でも、まだ何にもわかってないんだよね。ならその謎解きは後でもいいんじゃない? 今はせっかくのお祭り。私はもう少し尊くんとゆっくりしたいんだけどな」


 向き合う俺たちに未琴先輩が不満げな声を上げた。

 淡々と冷静に声を上げているけれど、しかし言葉はとてもはっきりと意思を示している。

 確かに、彼女の言うことは尤もだ。けれど有友は首を横に振る。


「わかってない。まだ何にも。けどね、みこっち先輩。今ここで違和感の正体を突き止めておかなきゃ、きっとこれからもっと大きく。そんな気がしてしょーがないんだよ」

「そう。確証はないけど、確信はあるって顔だね。それほどまでにあなたにとって今は、すごく気持ち悪いんだ」

「そう、そうなんだよ。正しいとか間違ってるとかじゃ、ないんだと思うんだけどさぁ。でも、そう。気持ち悪いんだよね。なんかこう……胸の奥が妙にざわざわーっとしてさ、なんかちがうーって叫ぶんだよ」


 自分の抽象的な表現にニシシとはにかむ有友と、そんな彼女を静かに見つめている未琴先輩。

 そこに明確なやりとりはなかったけれど、未琴先輩はある程度意図を汲み取ったようだった。

 少しの間有友を見つめてから、「仕方ないなぁ」と息を吐く。


「それがあさひちゃんにとって正解かはわからないけれど、好きにしてみたらいいよ。恋愛に乱入はつきものだしね。あなたがどうやって状況を切り開くのか、見せてもらおうかな」


 そう言うと、未琴先輩は有友に向けていた静かな圧力を緩めた。

 依然彼女のことをまじまじと見つめているけれど、威圧的な雰囲気はもうそこにはない。

 けれど俺の腕は未だにしっかりと捕まえているから、簡単に渡すつもりはないようだった。


 それを受けて、有友は覚悟を決めたように俺に向き直った。

 そこに浮かんだ笑顔には、どこか緊張が含まれている。


「マジでごめんね、うっしー。今日のうっしーはみこっち先輩を選んで、デートしたかったのにさ。それを邪魔するつもりは本心からなかったんだよ」

「それはわかってるよ。お前はそんな無粋なやつじゃない。だから、お前が俺に伝えたいこと、ちゃんとわかってやりたいんだけど……」

「仕方ないよ、アタシもはっきりしてないからさ。でも、このアタシの中のモヤモヤをうっしーにそのまま伝えられれば、アタシたちが繋ぎ合えれば、きっと何かが見えてくるってそう思うんだ」

「…………?」


 未だに有友が俺に何が言いたいのかさっぱりわからない。

 けれど彼女の言う通りにしていれば、決して悪いようにならない、そんな気がした。

 根拠なんて何もないけれど、でもそれは俺たちが今までに培ってきた信頼だ。

 いつもにこやかに俺の手を引っ張って、輝かしい道に導いてくれる、有友 あさひへの信頼だ。


 有友は、誰よりも周りの人間を大切にするやつだ。

 どんな奴を相手にしたって、彼女が友達と呼ぶ人相手に不義理を行うなんてことは考えられない。

 関わった全ての人間を運命の人だと言ってのける彼女は、恋敵であろうと友達として大切にしてしまう。

 だからこれは、未琴先輩を謀ったり、陥れたりするようなことじゃない。


 だからこれは俺や俺たち、延いては世界を思ってのことなんだろう。

 そう思えるからこそ、そう信じているからこそ、わけは全くわからなけれど、俺は有友を信じられた。


「わかった。お前に全部任せる。俺は何をすればいい」


 何もわからないけれど、不安は何もない。

 あるとすればそれは、その違和感の正体について。

 俺は今何に気づけていないのかという、未知への恐怖。

 けれどそれも、有友と一緒ならきっと乗り越えられると信じてる。


 俺が全幅の信頼を寄せてそう言うと、有友は嬉しそうにニカっと笑った。


「アタシのことを信じてくれれば、それだけで。まぁ強いて言えば、アタシのことを感じてて欲しいな」


 有友はそう言うと、徐に俺へ向けて手を伸ばした。

 けれどいくら声が届く距離とはいえ、このベンチと公園の入り口では流石に距離がある。

 その手は俺に届かず、ただくうに晒されるだけ。

 そんな中有友は、ゆっくりと握り込むように拳を閉じて、それからぐっと腕を引いた。


「────────!?」


 その瞬間、ベンチに腰掛けていた俺の体が勝手に立ち上がり、足を動かし始めた。

 未琴先輩の腕をするっとすり抜け、一歩また一歩と有友に向けて歩み出す。

 俺自身は、全くそんなことしようと思っていなかったのに。


 まるで有友に手繰り寄せられているかのように、腕を引かれるような感覚と共に体が動く。

 とても奇妙な感覚で、けれど全く嫌な感じはしなくって、むしろそうしたいと後から気持ちが追いついてくような気さえして。

 けれどやっぱり、自らの意思とは違う体の動きに妙な違和感を覚えた。


 そして何故だか俺は、この違和感の正体にとても覚えがあるような気がした。


「『みんなアタシレッド・ストの運命の人リングス』」

「ッ……!?」


 ────そう思った瞬間、俺の口が勝手に知らない言葉を紡いだ。

 それを聞いた有友はハッと息を飲んで、より一層俺を強く見つめた。


「やっぱり、そういう可能性があったんだ。実在してたんだ。違和感の向こう側には、それが……!」


 そう呟くように言いながら、有友が更に強く腕をくうで振るう。

 それに釣られるように俺の体もまた歩みを早め、彼女に向けて一直線に進む。

 まるで俺たちの手が、見えない糸で繋がっているように。


「うっしー、アタシたちはいつだって繋がってる。だってアタシたちが出会ったのは運命なんだから。赤い糸で繋がっているんだよ。だから、いつだって、どこにいたって、絶対にうっしーを見失わないよ。だから、うっしーもアタシを見失わないで!」


 有友のその想いが、言葉と共に感情もダイレクトに伝わってきている気がした。

 深く、強い絆で結ばれているような、そんな感覚が……。


「全部アタシが手繰り寄せてあげる。絶対に放さないから! だからこっちに来て、うっしー!」


 そう、有友が強く叫んで。俺はズルズルと引き寄せられるように彼女に向けて近づいて。

 そして俺が公園の入り口まで辿り着いた瞬間。

 俺は、『俺』とぶつかった。




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