いつかのどこかで猫が鳴いた

星乃

再会と出会い

天城遥香あまぎはるかです。よろしくお願いします」


――これは夢なのだろうか。教卓前に立つ彼女を見た瞬間、そう思った。




「ねえ、遥香ちゃんだよ!遥香ちゃんに会えた!」


 興奮気味にまくしたてる私に、沙綾さあや雪穂ゆきほは苦笑を浮かべた。


「遥香ちゃんって、あんたがしつこいぐらいに名前出してた、あの遥香ちゃん?」


 沙綾に聞かれ、前のめりになって頷く。


「そうなの、そうなんだよ!」


 小学生の頃、学級委員長で何でも完璧にこなし、その上明るくて友達もたくさんいて、先生達にも褒められてばかりいた遥香ちゃんは私の憧れだった。教室の隅っこで静かに読書していた私みたいな奴にまで気さくに話しかけてくれたのだ。

 遥香ちゃんの笑顔は、みんなを明るくする。小学生の頃の私は、それがまるで魔法のようだと遠くから見て思っていた。


「良かったねぇ、菜瑠美なるみちゃん。この高校を受験したの、確か遥香ちゃんがいそうだから、だったよねぇ」


 雪穂がいつものゆったりとした話し方で微笑むと、沙綾が呆れたように言う。


「向こうから転校してきたわけだし、そもそも下調べとかしてないからまだましだけどさ……なんかその考えストーカーっぽい」


「失礼な……!私は至って純粋な気持ちで、勘を頼りに遥香ちゃんのいそうな女子校を選んだんだよ!?純粋だったからこそ、願いが叶って遥香ちゃんに再会できたんだよ、きっと」


「はいはい。それより、その大好きな遥香ちゃんに話しかけにいかなくて良いの?」


 沙綾は私の言い分を適当にあしらうと、複数人の女子に囲まれている遥ちゃんの方を見た。遥香ちゃんは小学生の頃と変わらない、あの明るさで、もう既にみんなと馴染んでいる。


「いや……私はまだいい。そもそも覚えてもらってないかもしれないし……」


「話したことあるんでしょ?それなら多少は記憶に残ってんじゃない?」


 遥香ちゃんとは、確かに話したことはあった。でも、遥香ちゃんはみんなと平等に接していて、クラス全員と友達だと言っても過言ではないレベルだった。私にとって遥香ちゃんが憧れの存在で特別な人であったのとは逆に、遥香ちゃんにとって私はその他大勢の一人にしか過ぎなかっただろう。


「話したことはあるけど、その可能性は限りなく低い……」


 私が肩を落としていると、雪穂が穏やかに言った。


「大丈夫だよ、菜瑠美ちゃん。もし覚えてもらってなかったとしても、これから同じクラスなんだし、いくらでも仲良くなれるよ」


 雪穂の優しい声に諭され、私は幾分元気を取り戻す。沙綾と雪穂の、飴と鞭のバランスがとても良い。雪穂の穏やかで優しい雰囲気はいつも癒やされるし、沙綾ぐらい厳しく言ってくれる人がいないと私はダメになってしまうかもしれない。二人とも、高校生になってできた私にとってかけがえのない友達だった。


「雪穂の言うとおりだね。……よし、タイミングあったら話しかけに行ってみようかな」


 言いながら、再び遥香ちゃんの方を見る。笑顔で明るく話す彼女は、やっぱり昔のままで……懐かしさと再会の嬉しさで胸がいっぱいになった。



 放課後になり、二人とも用事があるらしく、私は一人で帰路についた。元々いつも三人で帰っているというわけではないけれど、今日は遥ちゃんのこともあるからか一人でいると妙にそわそわしてしまう。

 にわか雨が降る中、折りたたみ傘を開いてしばらく歩くと、どこからか猫の鳴き声がした。川の方からだ。興味をひかれて鳴き声の方へ近づいていく。

 少々ぼろくなったコンクリート橋の下の河原へ降りていくと、女の子がいた。その子が、猫と楽しそうに戯れている。私と同じ制服を着ていた。くりっとした大きな瞳に、目尻が上がっているのにキツい印象を感じさせない。それでいて驚くほどの小顔の持ち主で、スタイルも良く、まるでファッション雑誌に出ているモデルさんみたいだと思った。

 見とれるようにその場に棒立ちでいると、不意に女の子が私の方を見る。その腕に抱きかかえられたままの猫も、同じように私の方を見た。


「あなたも、猫が好き?」


 一瞬、何を聞かれたのか理解できなかった。すぐに頭をフル回転させて答える。


「うん、好き……猫、好きだよ」


「えへへ……良かったね、たろまる」


 女の子は嬉しそうに微笑んで、たろまると呼んだ猫の頭を撫でた。


「あなたが飼ってる猫なの?」


「ううん、さっきここで会ったばかりだよ」


 それにしては、とても懐いているように見える。私の疑問を察したのか、彼女はごく当たり前のことのように言った。


「私ね……みんなに愛される体質なの。動物みんなに」


 一瞬すごいことを言うなと思ったけど、動物に……か。

 そうこうしているうちに、雨脚が強くなって遠くから雷鳴が聞こえてくる。

 今は橋の下だから良いけれど、川の側であるこの場所へ猫を置いていくのは危ないだろう。元々ここにいたらしいたろまるをどうするべきか……。


「よし。たろまる、一旦うちに来る?」


 彼女の問いかけに、縞模様の猫は返事をするように「にゃー」と鳴いた。そのたろまるの様子を見て、彼女は徐に制服の上着を脱ぎ、たろまるを包み込むと、そのまま歩き出そうとする。


「ま、待って!そのままじゃ濡れちゃう」


 私は慌てて駆け寄ると、持っていた折りたたみ傘で彼女とたろまるが濡れないようにした。


「でも……それじゃ、あなたが濡れちゃうよ?」


 雨のせいか少し潤んだ瞳で問う彼女に、私はぶっきらぼうに言う。


「いいから……さっさとあなたの家まで行こう」


「……うん、ありがとう」


 申し訳なさそうにした、控えめな笑みだったのにとても可愛いと思った。もっと、彼女の本当の笑みを知りたい……初対面の女の子にこんなことを思うのは可笑しいだろうか。そんなことを思いながら、私は一人と一匹が濡れないよう傘を差し続けた。

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