【短編】ずっと好きだった幼馴染に振られたので、成り行きで見た目を整えてみた。そしたらなぜかモテモテになって、嫌われてたはずの義理の妹に『大好き』って言われたんだけど、これってどういうこと?

じゃけのそん

第1話

「お兄さ、いつまで髪乾かしてんの? 邪魔」


 朝の洗面所。

 ドライヤーに負けない怒声が、俺の背後から飛んでくる。


「私も使いたいから早くしてくんない?」


 振り返ればそこには、眉間にしわを寄せて俺を睨む妹の柚葉ゆずはがいた。


「俺だって今使い始めたばかりだ。ちょっとくらい待てよ」


「それで遅刻したらどうしてくれんだし」


 まだ時間にはだいぶ余裕があると思うけど。


「チッ……お兄はいつもそうじゃん。マジムカつく」


 舌を鳴らした柚葉は、不機嫌そうに踵を返した。


「早くそのもさい髪どうにかしてよね」


 そしてお馴染みのセリフを吐いては、俺を待たず行ってしまった。


(ったく、なんだよあいつは)


 こうして怒られるのは今日で何度目だろうか。俺が朝シャンをした後は、必ず柚葉にこの手の文句をつけられる。


「別に髪くらいいいだろ」


「は? なんか言った?」


「いえ、何も」


 独り言のつもりだったが、柚葉の首がグインと俺の方を向いた。ドライヤーがうるさいのに、どんだけ地獄耳なんだよあいつ。


「いいから早く済ませてよね」


「はいはい、わかってる」


 柚葉の姿が見えなくなると、自然と大きめのため息がこぼれた。


 いつもの事とはいえ、妹と話すのはどうも疲れる。昔はもっと口調も顔つきも穏やかだったのに、いつからあんなになってしまったのやら。







 柚葉は一つ歳下の義理の妹。


 幼い頃俺の父と柚葉の母の再婚で、一緒に暮らすことになった俺たちは、初めこそ戸惑いはあったものの、今思えば打ち解け合うまで、それほど時間が掛からなかった気がする。


 今こそ俺に悪態をつく柚葉だが、昔は『お兄ちゃん! お兄ちゃん!』言いながら、金魚のフンのようにいつも俺のあとをついて来ていた、可愛らしい妹だった。


 それがいつしかこんな調子に。


「はぁ……まったく。どうしちまったんだか」


 柚葉に初めて会った時の印象は今でもはっきりと覚えてる。なんて可愛い子なんだろうって、ガキだった俺は衝撃にも近い感動を覚えた。


 今でもその面影はあり、側から見たら美人だと言えよう。


 肩上くらいの茶金髪に、キリッとした目。高校一年生にしては体つきも大人で、後輩の中では『学年一の美少女』と噂にもなっているほどらしい。


 しかしそんな美人な妹も、なぜか俺にだけは当たりがきつい。口を開けば『死ね』だの『キモい』だのって、俺は害虫か何かかよ。


「まあ、どうせ妹だしいいけどさ」


 なんて思いながら、俺がのんびり髪を乾かしていると。





「お兄マジで遅い! いつまで乾かしてんの⁉︎」


 再び背後から怒声が。

 気を抜いていたせいか、無意識にびくりと肩が弾んだ。


「あ、ああ。すまん、今終わるから」


「まったく、ほんと早くしてよね」


 ふんっ! と高らかに鼻を鳴らす柚葉。まだ少し濡れていたが、俺はすぐさま洗面所を開けた。


「そういえばお兄。今日期末考査の順位発表でしょ」


「ああ、そういえばそうだな」


「前以て言っとくけど、仮に一位取っても報告とかいらないから」


 まるで俺が一位を自慢したい奴みたいな言い草だ。妹であるお前に、わざわざ報告するつもりはないぞ。


「はいはい。わかってますよ」


「ふんっ、わかったならさっさと行って」


 多少ムカッとはしたが、兄としてここは抑える。

 諦め混じりのため息をこぼし、俺は洗面所を後にした。





 * * *





「まーた羽柴はしばが一位かよ」


「でも藍田あいださんも惜しかったな。あの羽柴と二点差だぜ」


「きょえぇ! うちの学年レベルたけぇ」


 羽柴伊月はしばいつき

 一番上にあったその名前に、俺はホッと胸を撫でおろす。


 二位とわずか二点差とはいえ、何とか今回も一位を死守することができた。


 今回の期末テストは出題範囲が広かった故、テスト前の数週間は死ぬ気で勉強をしたが、どうやら俺の努力を神はしっかりと見ていてくれたらしい。


 これで俺は入学してから7度連続の一位。

 危なげこそあるものの、なんとか『あの条件』をクリアできた。


「ついに俺は瑞稀みずきと——」






「伊月くん。一位おめでとう」


「ひょい!」


 踊るように高揚していた俺の気持ち。それを読んだかのような突然の呼びかけに、思わず素っ頓狂な声が漏れた。


「み、瑞稀か。びっくりしたぁ」


「ごめんごめん。驚かせるつもりはなかったの」


 あはは……と申し訳なさそうに目尻を下げる彼女は、幼馴染の藍田瑞稀あいだみずき


 彼女とは幼稚園からの付き合いで、小中高とずっと学校が同じ上に、10年以上クラスまで一緒という、まさに運命的な繋がりを持つ女の子だ。


 容姿端麗成績優秀。


 今回の期末テストでも俺についで二位という好成績な上、性格も非常にお淑やかで、俺の思い描く理想の女性そのものといった感じの、非の打ち所が無い完璧才女である。


 そんな瑞稀が自ら話しかけてくるなんて。

 もしや俺が待ちわびたアレか⁉︎ アレなのか⁉︎


「ど、どうしたんだよ急に」


「ちょっと伊月くんに話があってね」


「は、話⁉︎ それって……」


「うん。ちょっとここではしづらくて」


 そう言って頬を薄く染める瑞稀。

 この感じからしておそらくは……。


「そ、そしたら場所を移そう。屋上とかいいんじゃないか」


「うん、そうだね。じゃあそうしよっか」


 きっと俺たちはこれから大事な話をする。ならばこんなガヤガヤした場所で、公開的にするわけにもいかない。


 高鳴る胸の鼓動を抑え、俺たちは二人で屋上へと向かった。





 * * *





「それで、話って」


「うん」


 心地よい風が吹き抜ける中。

 俺は我慢できず、少し食い気味に瑞稀に問う。


「も、もしかして『アレ』のことか?」


「そ、そう……だね」


 おもむろに視線を落とす瑞稀を前に、俺は大きく息を飲んだ。心なしか瑞稀の顔の火照りも、さっきより増している気がする。


(来るのか……ついに来るのか……!)


 恥じらう瑞稀の姿に、俺の心臓もバックバク。いつ来るかわからない『アレ』の答えを、今か今かと待ち望む。








「あのね、伊月くん」









「……えっ」








 瑞稀の吐いた一言に、俺の思考は停止した。


「い、今なんて」


「ほんとにごめんなさい。やっぱり私は伊月くんとは付き合えない」


 頭が真っ白になる。


 一体どういうことだ?

 もしかして俺は振られたのか?

 昔からずっと好きだった幼馴染の瑞稀に⁉︎


「つ、付き合えないって……どうして」


「これでも私、凄く考えたの。伊月くんに『次のテストで一位になったら付き合ってほしい』って言われて、私なりに凄く凄く悩んだの」


 悩んだ上でそうってことは……つまり……。


「……その結果がNOってことなのか」


「う、うん。伊月くんには悪いけど、そういうことになっちゃうかな」


 バツが悪そうに視線を逸らす瑞稀。

 彼女から出た言葉は、到底受け入れられるもんじゃない。


 だってあの時瑞稀は、一位になったら付き合ってあげるって。その代わり私もたくさん勉強するからって、そう言ってたはずなのに。


「約束したじゃないか! 付き合うって!」


「ごめん。前向きに考えてはみたんだけど」


 前向きに考えたけど無理でした。

 なんて、そんなの納得できるわけがない。


「理由を教えてくれないか」


 必死に理由を乞う俺に、瑞稀はボソボソとした口調で言った。


「だ、だって伊月くん、髪とか長いし」


「……髪?」


「か、かっこよくないし」


「……瑞稀それって……」


 上手く言葉が出てこない。


 俺の髪が長い?

 かっこよくない?


 それは確かにそうだけど。

 でも……。


「……でも俺は昔からこうじゃないか——!」







 怒声にも近い俺の言葉に、瑞稀は無言で首を振った。


 今思えば俺は、フラれて当然なのかもしれない。

 だって瑞稀は、俺なんかと違って完璧なのだから。


 きっと俺みたいな地味な奴とは、端から釣り合いっこない相手なんだ。



 ——早くそのもさい髪どうにかしてよね。



 ふと、今朝のことを思い出す。

 柚葉に言われたあの一言、今になって心に刺さる。


 素直に髪を切っとけばよかったのかな。


 勉強だけじゃなく運動もして、身体とかも鍛えて、かっこよくなるような努力をすればよかったのかな。


 なんて、今更後悔したところでもう遅い。


 俺はずっとテストで一位になることばかり考えてきた。でもそれに執着し過ぎた故に、男として大切なモノを見失っていたのかもしれない。


(そりゃ俺みたいなブサイクとは付き合いたくないよな……)





「えっと、そういうことだから」


 ポツリとそう言い残し、足早に去っていく瑞稀。

 振り返った時の彼女の表情。申し訳さなそうな声音。それら含めて全部。きっと俺はこの失恋を一生忘れないと思う。






 * * *






「……だぁぁぁぁあぁぁぁ!!」


「もうお兄! さっきからうっさい!」


 リビングのソファに顔を埋め悶えていると。すぐ横でテレビを観ていた柚葉に怒られた。


「仕方ねぇだろ、落ち込んでんだから」


「そんなの知らないし。こっちはテレビ観てんの!」


 そりゃ怒る気持ちも……まあわかるけど。


 俺だって好きだった幼馴染にフラれたんだ。少しくらい悶えさせてくれたっていいだろうに。


「やるなら部屋でやって!」


「へいへい」


 正直動くのはだるかったが、俺は言われた通りよれよれと立ち上がった。そしてまた怒られる前にリビングを去ろうとすると。


「ねぇお兄」


「ん」


「えっと、その」


 なぜか柚葉に呼び止められた。

 てっきりまた罵倒されるのかと思ったけど。


「何だよ。気難しそうな顔して」


「え、えっと……」


 なぜかモジモジと手を遊ばせ、もったいぶっている。いつもは常にガンガン来るのでこんな柚葉は珍しい。


「言いたいことがあるならハッキリ言え」


「……その」


「ん」






「もしかしてだけどお兄、テストの順位悪かった?」


「は?」


 何を言い出すのかと思えば。

 テストの順位?


「いや、普通に一位だったけど」


「え」


「ん」


 俺が素直に答えると。

 柚葉の顔がみるみるうちに真っ赤になる。


「もうっ! 報告すんなって言ったじゃん!」


「はっ⁉︎ お前が聞いて来たんだろ⁉︎」


「うっさい! 死ね! バカ兄貴っ!」


「お、おい……! テレビのリモコン投げんな……!」


 なぜか急に凶暴になった柚葉。

 俺は全く意味がわからないまま、逃げるようにリビングを後にした。





 * * *





 瑞稀にフラれてから3日が経った。

 悲しさこそまだあるものの、あの時ほどしんどくはない。


「髪が長い……ね」


 ベッドに横になっていた俺は、ふと瑞稀の言葉を思い出す。


 どれほどのもんなのだろう。

 興味本位で前髪を指で摘んでみると。


「もうこんなに伸びてたのか」


 余裕で食べれるくらい長かった。

 これじゃ毎日柚葉に文句を言われるのも納得できるな。


「切ったらかっこよくなる……なんてことあるわけないか」


 漫画じゃないんだし、そんなのありえない。


「でも、今よりかはマシか?」


 そう思って、前髪を上げて鏡を見てみれば……数ヶ月ぶりに見た自分の素顔がそこにはあった。


 眉は手入れをしていなくてボサボサ。おまけに額には、長い前髪のせいでニキビが。


 お世辞にもかっこいいと言えるような顔面じゃない。


「これじゃフラれても仕方ないよな」


 クラスの男子と比較すればその違いは明白だ。今時こんなもさい奴を好きになる女子はいないのだろう。


 思えば随分と長い片思いだった。

 小学校の頃からだからもう10年くらいか。

 幼い頃は遊びでよく夫婦役をしてたんだけどな。


「あーあ……終わっちまった」


 夫婦どころか付き合えずもせずに撃沈。

 まあこれだけブサイクなら当然なんだけど。


 きっとこのままいけば、いつかフラれたことなど忘れてしまうのだろう。


 そして自然と瑞稀との関わりも薄くなって、幼馴染であることすらどうでもよくなって、高校を卒業したら、だんだん会うこともなくなるんだと思う。


「なんか……嫌だなそれ」


 想像すると胸がギュッとなった。

 だけど今更どうすることもできない。


 だって俺は地味でブサイクで、勉強しか能のないダメ男なのだから——。







「……にい、お兄ってば!」


「……柚葉⁉︎ どうしたいきなり」


 俺が一人考え込んでいると。

 いつの間にか部屋の入り口には柚葉がいた。


「いきなりじゃないし。てかぼーっと鏡なんか見て何やってんの?」


「い、いや。大したことじゃないけど」


「はぁ……もう何でもいいけどさ。呼んだらすぐ返事してよね」


「すまん」


 幼馴染にはフラれ、妹には怒られ……ほんとダメな男だよ俺は。


「それで、何だよ」


「私今から友達と出かけてくるから」





 …………え。





 何を言われるのかと思えば。

 友達と遊びに行く?


「……えっと、それで?」


「だから友達と出かけてくるって言ってんの」


「ああはいはい……友達と出かけて来るのね」


 言ってることはわかるけど……なんでそれをわざわざ俺に?


「お兄も暇なら髪でも切って来なさいよね」


「はいはい。わかってるよ」


「ふんっ」


 なんでこいつはいつも不機嫌なんだか。

 もしかして俺に何か恨みでもあんのか?


「髪切れば少しはかっこいいってのに……」


「えっ? 何だって?」


「……っさい死ね!」


 バタンッ!!


 罵倒と共に思いっきりドアを閉めた柚葉は、バタバタと足音を立てて行ってしまった。


「何なんだよ一体……」


 急に部屋に来たと思ったら謎の報告するし。おまけに顔を真っ赤にしたと思ったら『死ね!』とか言うし。


 それにあいつ、かっこいいとか何とかって……。


「……わからん」


 瑞稀以上に付き合いは長いけど、未だに妹の柚葉のことは理解できない兄であった。






 * * *






「今日はどのようになさいますか?」


「え、ああ、ええっと……この雑誌みたいな感じで」


「かしこまりました〜」


 言われるがまま来てしまった。


 いつもは柚葉の言うことなど軽くスルーするのだけど、俺は無意識のうちにネットで美容室を調べて、気づいた時には椅子に座らされて、髪型の注文をしていた。


「お客様随分と髪長いですね〜」


「そ、そうですね」


「どれくらい切られていないんですか〜?」


「多分4ヶ月とか、そんなもんですかね」


「え〜! それは大変ですね〜! 痒くはなかったですか〜?」


「い、いえ。特には」


「そうなんですか〜、あははは〜」


 みたいな会話の元、髪をカットされて30分。ネットでの評判が良かった店なだけあり、いい感じの髪型が完成した。


「凄くお似合いですよ〜」


「そ、そうですか?」


「はい! 見違えます〜!」


 美容師が言うならそうなのだろう。

 確かに鏡を見れば、そこには知らない自分がいた。


(俺ってこんな顔だっけ)


 もっとブサイクかと思ってたけど。

 髪型のせいだろうか、そこまで酷くもない気がする。


(これなら瑞稀にリベンジだって……)


 ……いや、ないない。

 髪を切ったくらいで調子に乗り過ぎだ。

 その前にこのニキビを何とかしないと。


(帰ったら柚葉に相談してみるか)









「柚葉、ちょっといいか」


「何」


 ドア越しに柚葉の声が飛んで来る。

 あいつの部屋に来たのは何年ぶりだろう。

 ただの妹とはいえ、何だか少し緊張する。


「いやその……ちょっと相談があってだな」


「相談? お兄が?」


「ああ。よかったら部屋に入れて欲しいんだけど」


 腰を低くして頼むと、ドアがゆっくりと開いた。そして顔を出した柚葉と目が合ったその瞬間。


「えっ……ええぇぇ⁉︎ お兄、どうしたのそれ⁉︎」


 柚葉は目を見開いて大声をあげたのだ。


「ああこれか。お前に言われた通り切ったんだよ」


「切ったって、ええぇぇ⁉︎」


 驚き過ぎだろ。

 とは思ったけど、このリアクションが普通なんだろう。


 だって俺中学からロン毛だったし。

 ここまで短くしたのはガキの頃以来だからな。


「どうだ。変じゃないか」


「べ、別に変じゃないけど」


「そ、そうか」


 難癖付けられるかと思ってたけど。

 柚葉のこの反応は、正直意外だった。


「それで。相談って?」


「ああ、それなんだけど——」





 そして俺は柚葉にとある相談をした。


 それはもちろんこの額にできたニキビの治し方。柚葉ならそれらしい解決策を知ってると思い、恥ずかしながら美人の妹を頼ることにした。


 俺を嫌っている柚葉のことだ。

 もしかしたら話すら聞いてもらえず追い返されるかもしれない。


 なんて多少の不安はあったけど。


「これは洗顔クリーム。で、これが寝る前につける乳液ね」


 意外にも柚葉は、親身になって対応してくれた。


 これを使えば大丈夫。

 と、二つの美容品を渡される。


「いいのかよ。お前の貸して貰って」


「気にしなくていいって。私には違うのあるから」


 さすが美人女子高生。

 その見てくれの裏には、そこはかとない努力があるというわけですね。


「悪いな。それじゃ遠慮なく借りるぞ」


「べ、別にお兄のためじゃないし。ニキビをそのままにされるとダサいから、仕方なく貸してあげるだけだし」


「はいはい」


 なぜか頬をうっすらと染め、トゲトゲしてくる柚葉。


 素直にどういたしましてでいいのに。

 借りた手前なんだけど、やっぱりよくわからない妹だ。






 * * *






 柚葉から借りた美容品は凄かった。


 あれほど目立っていたニキビは1週間ほどで薄くなり、今となってはもう、ニキビがあった痕跡すら残っていない。


 髪に続いてニキビまで改善できるとは。

 ここまで来ると、俺の性格上徹底的にやってやりたくなる。


「なあ柚葉、剃刀貸してくれないか」


 ある時はボサボサだった眉を整え。


「お兄どこ行くの」


「ん、ランニング」


 やがて俺は早朝のランニングまで始めた。


 やればやるほど自分が見違えるように変わっていく。


 それがいつしか楽しくなってきて、俺はついに勉強の時間を削ってまで、身体を動かしたり、美容に効くことをしたりと、冴えない自分を変えるために必死になって努力した。






 その結果。






「ねぇねぇ、羽柴ってあんなにイケメンだったっけ」


「うっそ! マジ別人じゃん!」


「あの変わりようは流石にやばいっしょ!」


 夏休みが明けた頃には、学校中から注目されるほどに、全く違う自分へと変化していたのだった。






 * * *






「お兄」


 二学期が始まって1週間が経った頃。

 俺がトイレに行こうとしていたところ、階段付近で柚葉に声をかけられた。


「何だよ。珍しいなこんなとこで」


「別に珍しくもないでしょ」


 入学して以来一度も声をかけてこなかったくせによく言う。


 それにここは二階だぞ。

 どうして一年生の柚葉がこんなところに。


「ん」


 よく目を凝らしてみると。

 何やら柚葉の背後には二人の女の子が。


「その子達は?」


「友達」


 俺が指摘すると、隠れていた二人はひょこっと姿を現した。


「わざわざ友達連れて何の用だ?」


「いやその」


「ん?」


 バツが悪そうに目を逸らす柚葉に困惑していると。


「あの! 柚葉のお兄さんですよね⁉︎」


 突如として、柚葉の後ろに控えていた二人が、俺に詰め寄って来た。そして何を言われるのかと思えば。


「「握手していただいていいですか⁉︎」」


「へっ?」


 ピッタリと声を揃えてそんな一言を。

 これには思わず素っ頓狂な声が漏れる。


「あ、握手?」


「「はい!」」


 瞳をキラキラと輝かせる様子からして、どうやら冗談じゃない。俺は別に学園に潜む有名俳優でもアイドルでもないのだけど……。


「おい柚葉。これはどういう」


「どうもこうも、お兄と握手したいんだって」


 いやだから……それが何でなのかを聞いてるんだけど……。


「俺ってこの子達と面識あったっけ」


「知らないし」


「じゃあ何で握手なんて——」


「だから知らないっ!」


「えぇ……」


 純粋な質問だったんだけど。

 なぜか柚葉は唇を尖らせそっぽを向いてしまった。


「あの! よかったら握手を!」


「ああ、はいはい」


「キャァァァ!!」


 そんな中俺は握手を迫られたが。

 手を触れた瞬間、なぜか黄色い歓声があがる。


 それは二人目の子も同様だった。


「「ありがとうございます!」」


「いやいやこれくらい」


 そして深々と頭を下げる二人。

 かなり唐突だったけど悪い気はしない。

 何だか本当にアイドルにでもなった気分だった。






 ズシッッ——!



「痛っ! 何すんだよ!」


「ふんっ」


 なぜか柚葉に肘打ちされた。

 こいついつの間にかフグみたいな顔してるし。どうしていつもいつも急に機嫌が悪くなるんだよ。


「「柚葉のお兄さん! さよなら!」」


「はいはい、さよな……」


 ギロッ——。


「…………」


 おまけに最後は睨まれた。

 手を振られたのでただ振り返そうとしただけなのに。


(もう、何なんだよあいつは……)


 自分から絡んで来て機嫌悪くなるとか。

 本当に意味がわからな過ぎて困る。


「てかあの子達、結局何だったんだ?」





 * * *





 それからというもの。

 どういうことか俺は、女の子に話しかけられる機会が増えた。


 一応面識のあるクラスの女子から、全く面識のない先輩や後輩まで。校内を歩いていると、必ず誰かしらに声をかけられては、握手や連絡先の交換などを求められる。


 初めこそ『なんかアイドルっぽいな』なんて、軽く捉えていた俺だったが、こうも何度も声をかけられると、以前の自分との温度差に、戸惑いを超えて恐怖心すらも覚えた。





 そして——。





「付き合ってください!」


「えっ?」


 ついには告白までされてしまった。

 全く話したことがない一年生の子にだ。


(確かこの子はこの間の)


 顔をよく見れば、あの時の柚葉の友達だった。

 あれ以来全く絡んだりとかはしてないはずなんだけど……。


「先輩のことが好きなんです!」


 恥じらいながらもまっすぐに向けられるその瞳。この感じからして、おそらく冗談とかではなさそう。


(どうなってんだよほんと……)


 一体絶対何が起きてるというんだか。

 こんなモテモテ展開、別に望んでいなかったのに。


「ごめん」


「え……」


「君と付き合うことはできない」


 こんなセリフも、本当は言いたくなかった。


 俺はただ、勉強以外能のない自分を変えたかっただけで。髪が長い、かっこよくないと俺を振った幼馴染の瑞稀に、少しでも認めて欲しかっただけで——。






「あの子、泣いてたな」


 何もない放課後の屋上にたった一人残される。


 今の俺にあるのは彼女への同情。そして想いに応えられなかったという、確かな申し訳なさだけだった。


 あの時の瑞稀もこんな気持ちだったのだろうか。だとするなら振る側も、相当辛いもんなんだな。


「……帰るか」


 とはいえ、いつまでも引きずってはいられない。溢れ出る罪悪感に蓋をして、俺は一人家までの道を辿った。





 * * *





「ねえお兄」


「んー」


 リビングでテレビを見ていると。


「今日かえでに告白されたんでしょ」


「ブッッ!!」


 何の前振りもなく柚葉にそう言われた。

 焦り過ぎて麦茶吹き出しちゃったよ。


「ねぇ汚い」


「おまっ……何でそれを⁉︎」


「何でって、梓は私の友達だし」


 そういえばそうだけど。

 てかあの子梓ちゃんっていうんだな。


「だからって何でお前が知ってるんだよ」


「相談されてたの、梓に」


「相談? 告白のか?」


「そう」


 なるほど。

 道理で最近色々と質問されてたわけだ。こいつにしてはやけにしつこいなと思ったんだよ。


「振ったのは別にいい。でもあの子は本気でお兄のこと好きだったから」


「それはまあ……わかってるけど」


 あの子の落ち込んだ顔を見ればそんなのはわかる。わかってるけど……どうしてだろう。


 友達が失恋したというのに、柚葉の表情が少しホッとしているようにも見える。普通はもっと同情して、落ち込んだりするものなんじゃないのか?


「あとは私が慰めとくから、お兄は何も気にしないで」


「お、おう」


 そう言うと、柚葉はむくっと立ち上がった。


「部屋戻る」


 そして腑に落ちない疑問だけを残して、リビングを後にしたのだった。






 * * *






 ピンポーン。


 家のチャイムが鳴った。

 柚葉は二階なのでここは俺が出るしかない。


「はい、どちら様で——」


 玄関を開けた俺は、その人物を前に思わず目を見開いた。





「い、伊月くん。こんにちは」


「……瑞稀。何でお前が」


 あろうことか。

 そこに立っていたのは幼馴染の瑞稀だった。


「め、珍しいな瑞稀がうちに来るなんて」


「うん、これお母さんに頼まれたから」


 差し出された瑞稀の手には回覧板が。


「悪いな。わざわざ届けてもらって」


「ううん。全然大丈夫だよ」


 回覧板を受け取ると、しばらくの沈黙が生まれる。


 そういえば瑞稀と話すのは、告白したあの日以来だった。もう気にしていないとはいえ、ちょっとだけ気まずい。


「あがっていくか?」


「う、ううん。回覧板届けに来ただけだから」


「そ、そうか」


 心なしか瑞稀の話し方も少し歯切れが悪い気がする。やっぱりこの子もあの時のことを気にしてるんだな。


「そういえば伊月くん」


「ん、何だ」


「二学期になってから変わったよね。クラスの子達が噂してたよ」


「……ま、まあ、色々あってな」


 瑞稀に振られたからとは口が裂けても言えない。


「それってもしかして……私のせい?」


 ギクッ。


「やっぱりそうなんだね」


「い、いや……別に瑞稀のせいってわけじゃ」


 わかりやすく肩を落とす瑞稀。

 きっとこの子なりに罪悪感を感じてるんだろう。


「私があんな酷いこと言ったから、伊月くんは頑張って自分を変えたんだよね」


「酷いなんてそんな。瑞稀が言ったのは事実だから」


「例え事実だとしても、それを幼馴染の伊月くんに言うのは酷いよ」


 あの時の俺は確かに落ち込んだ。

 落ち込んで落ち込んで、地味な自分を嫌いにもなった。


 でも。


「瑞稀がいてくれたから俺は変われたんだよ」


「えっ?」


 俺が今の俺になれたのは、きっと瑞稀のおかげ。地味で冴えない俺に本音でぶつかってくれたから、だから自分を変えようって思うことができたんだ。


「俺に言ったよね、『かっこよくない』って」


「う、うん」


「そりゃあの時は落ち込んだけどさ。でもその言葉のおかげで、俺は変わるきっかけが掴めたんだ」


 あの時瑞稀に振られなかったら。

 きっと俺は今でももさい俺のままだったと思う。


 あの時瑞稀に振られなかったら。

 俺はこの先、勉強しか能の無いつまらない人生を歩んでいたと思う。


「だからありがとな」


「伊月くん……」


 名前も知らない女の子に、声をかけられるのはまだ慣れない。でも、勉強以外で周りからの注目を浴びる今の環境は、決して嫌いなわけじゃない。


 だからありがとう。

 俺を変えてくれて本当に感謝してる。

 今だから言えるこの感謝を俺は瑞稀に伝えた。


「これからもっと自分を磨いて、瑞稀にふさわしい男になれるように頑張るからさ」


「それってつまり……」


「うん、俺は今でも——」







 バタン!







 後ろで物が落ちる音がした。

 嫌な予感を覚え、恐る恐る振り返ると。


「ゆ、柚葉……?」


「柚葉ちゃん?」


 そこには柚葉が立っていた。

 だがなぜか俯いてこちらを見ようとしない。


「プ、プリン落ちたぞ」


 俺が指摘してもビクともしない。

 一体どうしたんだろう。


 そう思っていると——。


「……そういうことだったんだね」


「えっ?」


 ボソボソと虫が鳴くような声で何かを呟いた。


「お兄が今のお兄になったのって、そういうことだったんだね!」


 やがて、柚葉は殴るようにそう言い捨てた。そして落としたプリンをそのままに、勢いよく階段を駆け上がってしまった。


「い、伊月くん? 柚葉ちゃん大丈夫?」


「あ、ああ……」


 瑞稀には心配をかけたくなかった。

 でも去り際のあの顔を見たら……。


 ……お世辞にも大丈夫とは言えなかった。






 * * *






「柚葉。おい柚葉」


 瑞稀が帰った後。

 俺はまっすぐ柚葉の部屋を訪れた。


「いるなら返事くらいしろって」


「うっさい死ね!」


「んん……」


 こうして先ほどから何度も何度も呼びかけているが、帰ってくるのは最近あまり聞かなかった罵声ばかり。


 話をしようと言っても、鍵を閉めたまま出て来てくれない状態だった。


(やっぱ聞かれてたよな……)


 この様子からしておそらくは。

 そもそも柚葉が一階に降りて来ていたなんて。瑞稀との会話に夢中になって全然気がつかなかった。


 気づいていたらあんな話、堂々としなかったのに。


「少しでいいから聞いてくれ!」


「お兄から聞く話なんて無い!」


 これだけ怒っているということは、きっと困惑したのだろう。


 俺と同様、柚葉も瑞稀とは幼い頃から仲がいい。


 それ故に兄である俺が、ちゃんとした報告も無しに告白して、おまけに振られて気まずくなってたなんて、全てを知ったらどうなることやら……。





 ……なんて、俺が頭を悩ませていると。





「そもそもお兄が悪いんでしょ⁉︎ 人を勘違いさせるようなことして!」


 ドアの向こうから、柚葉の声が飛んでくる。


 ん? 勘違い? 

 一体何の話だ?


「あのぶっさいお兄がやっと変わる気になったと思ったから手伝ったのに、どうせ全部瑞稀ちゃんの為だったんでしょ⁉︎」


 手伝う? 瑞稀のため?

 こいつは一体何を言ってるんだ。


「私がいくら口で言っても変わろうとしなかったくせに、幼馴染の瑞稀ちゃんに言われたらそうやってすぐに言うこと聞くんだ! 私が言っても変わらなかったのに!」


「お、おい待て柚葉。お前はさっきから何を……」


 全く訳がわからず困惑していると。


 バタン! 


 ドアが開いて、ようやく柚葉が……。





「……えっ」


 ……出て来てくれたのだけど。

 その顔を見て、俺の思考は完全に停止した。


「な、何でお前泣いてんだ」


 あろうことか。

 柚葉は泣いていたのだ。


 顔を真っ赤にして、その鋭い目つきの瞳からは大粒の涙が溢れている。

 あれだけ嫌っていた俺の前なのにだ。


「お兄はそんなに瑞稀ちゃんがいいわけ⁉︎」


「いやその……って、はっ⁉︎」


 いきなり何を言われるかと思えば——はっ⁉︎


「私だって……私だってお兄の幼馴染なんだよ⁉︎」


「い、いやいや。お前は俺の妹だろ」


「妹でも幼馴染なの!」


 妹でも幼馴染って……。

 そりゃ俺たちは義理の兄妹だけどさ……。


「幼馴染の前に俺たちは兄妹だろ? それにそんなに瑞稀がいいのって、一体どうしちまったんだよお前」


 こんなこと言うなんて柚葉らしくない。

 もしかしてどこかに頭でもぶつけたのか?


「どうしたもこうしたもない! 瑞稀ちゃんばかり幼馴染扱いして、なんで私のことは同じように見てくれないの⁉︎」


「瑞稀と同じように? 俺が柚葉をか⁉︎」


「そうだよ!」


 むぅ〜っと、頬を膨らませる柚葉。


 この感じからしてかなり怒ってるんだろうけど……相変わらず柚葉の言っていることは、ちんぷんかんぷん過ぎて、全く理解が追いつかない。


「そ、そもそもお前、俺のこと嫌ってたろ。何で急にそんな話になるんだよ」


「べ、別に嫌ってないし! ただちょっとムカつくだけだし!」


「俺を嫌ってるからムカつくんだろ。毎日毎日突っかかって来やがって」


「はぁあ⁉︎ お兄が髪を切ろうとしないのが悪いんでしょ⁉︎ 私にはあんなに反発してたくせして、すーぐ瑞稀ちゃんのいいなりになっちゃってさ!」


「あ、あれは……瑞稀に少しでも認めてほしくて……」


「瑞稀、瑞稀って……お兄はいっつもそう! 最近は他の女の子にも鼻の下伸ばしちゃってさ! ホントありえない!」


 すると瑞稀は、俺に指を突き立てて言った。


「私はこんなにもお兄のこと大好きなのに、ちっとも見向きもしてくれないじゃん!」


「そりゃ瑞稀は昔から好きで——って……」






 ……ん。






「お前今なんて?」


「……っっ!」


 俺が冷静に聞き返すと、あれだけ威勢のよかった柚葉が急に目を丸くする。そして今までになかったくらい顔を真っ赤っ赤に。


「……なあ柚葉。今俺のこと好きって——」







「う、うっさい死ね! バカ兄貴!」


 聞き間違いかと思い、俺が尋ねると。沸騰寸前の顔でそう吐き捨てた柚葉は、大焦りで部屋に篭ってしまった。


「もう二度と顔見せんな!」


「それは流石に酷くない⁉︎」


「酷くない! てか話しかけて来ないで!」


「えぇ……」





 こうして一度は途絶えた俺たちの言い合い。


 部屋に篭った柚葉からは、しばらく何の音沙汰も無く、結局あの言葉の真意を聞けないまま、ずるずると時間だけが過ぎていった。


(『好き』って……まさかな)


 今思えば今日の柚葉はおかしかった。

 訳のわからないことばかり言って、泣くほど感情的になるなんて。


 あれほどまでに焦っている柚葉の姿を、俺は初めて見たかもしれない。


 普段は俺に牙を向いてばかりのあいつだが、それは好きだから故の行動なのか? それともその態度通り俺を嫌っているだけなのか?


「んん……わからん」


 なんやかんやあったけど。

 やっぱり妹の柚葉のことだけは、どうしてもわからない俺であった。

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【短編】ずっと好きだった幼馴染に振られたので、成り行きで見た目を整えてみた。そしたらなぜかモテモテになって、嫌われてたはずの義理の妹に『大好き』って言われたんだけど、これってどういうこと? じゃけのそん @jackson0827

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