別れる力

 三十一日目。

 ザノメエリカ宅には丸岡、松本、犬山、彦根――四名の姿があった。

 事情はすべて伝え、青年も壮年も静かに首肯していた。

「お別れだよ、こわっしー。最後にさ……キミが狭間に来た理由、教えてよ」

 ザノメエリカの、優しくも低めの発声。こわしは重い腰を上げ、一笑を見せた。

 現世と狭間を見据えるような悲しい目つきで、女、壮年、少女の順に目を配り――視線を落としてしまう。狭間に来て五年、胸奥きょうおうにしまい続けた彼の悲しい過去が、ここで解錠されるのだ。躊躇ちゅうちょするのも無理はないだろう。

 そうして次に顔を上げた時、もう開き直りがあった。彼はそっと口を開いた。

「俺は……現世で未成年の女の子に手を出していたんです。それが周りにバレて、警察が家に来たんで、ベランダから脱出して最寄の港まで逃げたんです」

 ――口を開いてすぐ、

「は?」「え?」「ん?」

 三者三様。反応は違えど、聞き手が同じ言葉を胸にしていたことだろう。

『ネタだよね?』

 という、願望を。


「逮捕が嫌で、海に向かって大ジャンプしたんですが、実は俺カナヅチだったんですよ。溺死が自殺扱いになるなんて、不思議ですよね?」

 ――そうか、『空気が凍りつく』という表現は、こういう時にふさわしいのだ。いやはや、勉強になる。春夏冬は目を半分開けながら、首を小刻みに振った。

「しょうもねえ!」

「毅くんは……狭間に居た方が良いね、うん。世の中のために」

 ザノメエリカの反応は至当で、ねこづなが見限る意見を述べたあと、人間の言葉を理解しているかのように、マンチカンまでもが軽蔑のまなざしで毅を睨んでいた。

「てか、え? アタシのこともそういう目で見てたの? え、ヤバくない?」

「いえいえ。エリカさんはお姉さんのような目で見てました、フフッ」

「もはや、なに言ってもキモイわ。おい、こわっしー。お前どんな小説書いてたんだよ? ついでにゲロってけやコラ」

ヤカラモード……。成人男性が中学生と邂逅し、恋愛や兄妹あにいもとも言えない距離感で成長していくラブコメです。どうです、イケてません?」

「イケてねえよ、バーカ! 一生ここでロリコンしてろ!」

 あゝ、どストレートな罵声がここまで清々しいとは。


「ふぅスッキリした。よしアッキー、いざ塔のてっぺんへ!」

「お、おーぅ……」

 ザノメエリカの顔は前だけを向いていた。ほどなく虚無的な笑みを浮かべ、さんざ罵倒した毅と、長年連れ添ったねこづなに対し、

「……今までありがと」

 吐息のごとく言い残し、顔を背けてしまった。彼女なりの、精一杯の別れの言葉である。それに応えるようにふたりの男性は、家から出てゆく小さな背中を、ただ黙って見据えていた。

 春夏冬はふたりに深々と頭を下げ、あすへと足を進めた。

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