許す力

 二十五日目。

「たのもう! エリカちゃんに話がある! だで!」

 近所迷惑さながらにザノメエリカ宅を訪ねると、

「だはっ……! アッキー、今日は激しいな」

 普段の笑みを見せながら、家の中へ招いてくれた。

「ま、落ち着きなよ。SMSくれりゃあ茶菓子くらい用意したのに」

「スマホ使ったことないよね?」

「でもさ。マジメな話、キミのことは会った時からずーっと興味あったよ?」

 ザノメエリカは、どれだけの愚痴をも受け止めてくれそうな包容力を醸している。ぺったんこな胸に飛びこんで泣きじゃくっても、許してくれそうな。

「ん? 今アタシの胸見て、なんか思った?」

「思ってないです!」


 どこからか桜の花びらが侵入してくると、ローテーブルの上にはらりと落ちた。春夏冬あきない家は未だに屋根も壁も穴だらけだが、ザノメエリカ宅はセキュリティが穴だらけである。

「で、何用かい? 深刻そうな顔してさ」

 春夏冬は、なにもかも打ち明けようと、息巻いてザノメエリカを訪ねた。というのに、「いや……」見事に口ごもってしまった。

「アッキーさ、実は現世に戻りたいんじゃない? お姉さんに話してみ?」

 不意に、本心を見透かす言葉が桜の花びらの横に転がり、春夏冬の胸が締めつけられた。襟を正し、正座をし、それでもなお、「わたし……」と渋っていた。

 両手でスカートの裾を握りしめ、膝小僧ばかり見据え、唇をパクパクしていても、かさずにじっと待ってくれているザノメエリカ。

 その姿勢に折れて、

「わたし、探してたの。ずっと、【家族の居場所】を」

 ようやっと、現世での辛苦しんくを口にした。

「家族?」

 初めてだった。過去を他人に語ろうと思えたのは。

「十五歳の時さ、休日に父、母、姉――家族四人でドライブに行く予定だったんだけど、わたしが寝坊助ねぼすけで出発時刻が遅れちゃったの。なんせ前夜は、執筆に夢中で夜更かししちゃって」

 狭間に来る以前から口上を考え、予行演習まで実施したように、淀みなく、すらすらと言葉が出てくる。

「で、姉に叩き起こされて眠い目をこすりながら車に乗りこんで、無事に出発したんだけど……高速道路に入って十分もせずに、暴走するハッチバックが、追い越し車線からウチの車に突っこんできたの。それでクラッシュして……」

 ザノメエリカが無言で何度も頷いている。続きを語る合図である。

「我が家は四人仲良く、同じ病院に搬送された……はずなのに」

 目線を上に向けると、それに合わせてザノメエリカが目を細めた。

「わたしは、あちこち骨折して包帯だらけになった。けどそれ以来、お父さんやお母さん、お姉ちゃんにも会えてなくて。今どこに居るんだろ……それを知りたくて、ずっと【家族の居場所】を検索し続けてたんだ。でも全然ダメ、が十年間ずっと出てこない。でね、答えを求めるんじゃなくて、答えを自分なりに考えてみたの。まだ探してない場所は、どこかなって。それが、こないだの出来事」

「まだ探してない場所? まさか……それで雑居ビルっ――」

 ザノメエリカは、途中で春夏冬をおもんぱかるように急ブレーキをかけた。

「十年前のあの日、執筆を『あしたやろう』で妥協すれば寝坊しなかった。結果は違った。あれから執筆の熱意は消え、惰性で駄文をつづるだけになったの」

「そんなこと……」

「わたしはだけで、自分で考えようとしなかった。ネットの情報なんて、使い捨ての知識。今日調べてあす忘れる。それが現代人の頭の中なの」


 十年分をぶちまけた春夏冬。沈黙の末、真っ先に放たれたのは、

「アッキーは、やっぱ現世に帰るべきだよ」

 ザノメエリカの優しさだった。

「違う! わたしには現世に帰る資格なんてない! そんな価値なんて――」

 敏感に反応したのは、己を認められない春夏冬の独善だった。

「セルフコンパッション。自分を許すことが、前に進む力だよ。資格とか価値とか、んなの他人が勝手に決めてることっしょ」

「命を無駄にする女なのに……自分を許せると?」

「本当は死にたくなかったんじゃない?」

「それは……」

「自分への言い訳ばっか考えるより、スパッと許しちゃうほうがイイの。大体、こうして狭間で彷徨さまよってんだから、まだチャンスがあるんだよ。ネガティブを受容し、現世でやり直せばエエがね」

 狭間には本がない。本を書く者も居ない。

 狭間にあるのは、ここに送られた者たちが現世から持ってきた知識、そして狭間で住人たちが培った思想とか観念とか、あるいは信念とか――

 では、彼女が口にした意見は誰のものだろう。

「知識は使ってなんぼ。じゃないとノーミソの肥やしになるだけ」

 彼女が過ごした三十年は、生半可な時間ではなかっただろう。現世で過ごす三十年より、うんと気が遠くなりそうだ。


 ――しばらくして、春夏冬の心はだいぶ落ち着いてきた。

 それを皮切りに、話題の矛先を変えた。

「エリカちゃんは、どうして今になって現世に帰ろうと?」

「正直アタシも、おのが業と向合えず長居してたのかも……。一緒に、現世に戻ろ? 無事に戻れたらさ、アタシの本を手に取ってほしいな。もち新品だで?」

「エリカちゃん……さん」

「だっは……! ところで令和ってどんな世界?」

 それはネットワークを知らない無垢な質問だった。春夏冬は考える素振りを見せ、

「少数の馬鹿が戯言を叫ぶと、その意見を一般人が鵜呑みにしちゃう世界かな」

 皮肉めいた、それでも真っ当な表現を口にした。

「だはは、超ウケる! なにそれファンタジーすぎ!」

「そうだね。ふふっ、現実は案外フィクションなのかも」

 ザノメエリカは揶揄やゆしているが、実際その世界に帰れたら、どれだけ溜息をつくだろう。春夏冬も釣られて笑い、そっと差し伸べてくれた手を力強く握った。

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