女騎士は被虐の夢を見て踊る、異世界にて
江藤公房
プロローグ
以前テレビでとある映画を観ていた。
その映画は、かつてどこかの国が政治的に揺れていた時代を記録したドキュメンタリー。
画面が映し出すのは歴史ある大学の古びた大教室。
そこには大勢の若き思想家達が集っていて、各々の思想や感情を内に秘め、一人の男がやってくるのを今や遅しと待ち構えていた。
その男はやがて登壇し、殺気立つ群衆――相反する思想を持つ数百名の敵――を前にして、臆することなく語り始めた。
初めに行っておくが、私は政治体制の変革を求めて立ち上がった学生達の思想に同調するものではないし、方や熱心な思想にのめり込み、最後は非業の死を遂げた文学者に共感するものでもない。
それらの出来事は半世紀前の出来事であり、私が生まれるずっと前に起こった昔話の中の一つに過ぎない。
だから私は彼らの主張も、思想も、描く世界にもつゆ程興味が湧かなかった。
しかしただ一つだけ、文学者が引用した哲学者の言葉だけが、私の興味を惹きつけた。
つまるところ、世の中で一番猥褻なものは縛られた女の肉体であると、とある哲学者は語ったそうだ。
卑猥に思う……もっと俗っぽく言えば性的に思うという気持ちは、相手がいて初めて抱く感情である。
しかし自分が欲情した相手が、自分の気持ちとは裏腹に、拒絶や抵抗の意思を持っていた場合、自分の欲求は満たされない。
だからこそ、その哲学者は抵抗する力を奪われた――もしくは抵抗する意志を失った存在――が卑猥であると語ったのだろう。
男という生き物は大抵女を支配したがる。そんな男の目の前に自由を奪われた裸の女がいたらどうなるのだろうか。きっと自らの劣情に任せて、その女を好きにするだろう。
相手が抵抗できない状態で自分の欲求をぶつけられる状況にあるのならば、誰しもそうするものだ。
私は女だ。だから、目の前に縛られた裸の女を差し出されたところで興奮も欲情もしない。
逆に私が裸にひん剥かれて縛られた姿を見て、その劣情のままに犯そうとする男はいるだろう。その時はただぞっとする。
そういう意味では、哲学者の例えそのものは何も共感を得るものではないが、彼がこの例えで伝えたかった本質を見れば、大いに共感できる。
いや、本質的には私も正しく理解しているとは言い難いが、それにしても一つだけ共感できるところがある。
それは、私も抵抗する力を失った相手を好きにすることに、とても興奮を覚えるからだ。
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