第五話 Artémis des larmes ~アルテミスの涙~ ㉑
「シャルロット様っ?!」
外の爆発の煙が充満していたパーティー会場の広間でしたが、走って逃げていく人々の風に流されてだんだんと煙が薄くなっていきます。
逃げ惑う集団に突撃されたシャルロット様とゲルハルト王子でしたが、集団が去った後煙が薄くなったその場にはシャルロット様のお姿はありませんでした。
「ゲルハルト王子!」
「あ…ヴィンセント殿…!」
「ご無事ですね、よかったです。早く避難を…って姫様はご一緒では…?」
「それが…先ほどまで一緒にいたんですが…逸れてしまって…」
「え?」
「先ほど集団通ったんですがそれに巻き込まれて連れていかれたのでしょうか…」
「…とにかく王子、貴方も避難しましょう。さぁこちらへ」
「えぇ…」
ヴィンセントはまだ部屋にいた使用人に声を掛け、ゲルハルト王子を奥の部屋へ避難させるよう頼みその後姿を見送ると、辺りを見渡します。いつの間にかセバスチャンも近くに来ておりました。
「大方の客は移動しましたね」
「はい…」
「しかし…これは一体…」
「申し訳ございません。私が不審者に気が付いていながら相手にこんなにも簡単に裏をかかれてしまいました」
「不審者…」
「はい。
「劉 黒豹…。確か『崑崙』の…」
「はい。彼は新人メイドを使い、この小瓶の火薬をお城に撒くよう指示しておりました」
「つまり爆発はそのマフィアの仕業だと?」
「十中八九」
「そして奴は姿を消した…」
「はい、爆発に紛れて姿をくらまして消え去りました」
「セバスチャン殿、劉 黒豹の確保を頼みます」
「承知いたしました」
「私は姫様を探します。頼みましたよ」
ヴィンセントとセバスチャンは互いに確認し合うとすぐに行動に出ました。マントを翻し、ヴィンセントはパッとテラスの方に視線を向けます。短時間でこの部屋から姿を消した…となると逃げやすい場所は大きなテラスの方かと察したヴィンセントは割れているガラスを踏みしめて火薬の臭いが充満している部屋を駆け抜けます。
猛スピードでテラスへと飛び出したヴィンセントは辺りを猛禽類のような瞳で辺り一帯を見回します。
部屋の中に比べて煙がだいぶと晴れて視界はクリアになっておりましたが、まだどこか土の匂いがする一帯にヴィンセントは顔をしかめます。
「…いったいどこに…?」
テラスから庭へ降りると、爆発があったであろう地面の方へと向かいます。
小規模な爆発ではありましたが、土がえぐれてしまっております。
「火薬の粉と発火材を混ぜたものを新人メイドに庭に撒かせていたのか。…おそらく遠隔で爆発が起こるように細工して…手が込んでますねぇ」
ヴィンセントは独り言を呟いてハッと笑い捨てると、不穏な気配がないか庭を見渡します。風が少し出ており、カサカサと庭の木々を揺らして音を立てヴィンセントとセバスチャンの聴覚を惑わします。
それでも集中をしてヴィンセントはシャルロット様の行方を探そうとします。
木々がざわめき合う木々に囲まれヴィンセントはクソ…っと小さく呟くと、近くの生け垣がガサッと大きな音を立てました。
ヴィンセントとセバスチャンが警戒しながらその音の方に注視すると、一匹の黒い猫―――…シャルロット様の飼い猫のノアが姿を現します。
爆発が起きて砂煙を被ったせいでしょうか、ビロードのような艶やかな黒い毛が少しだけ土で汚れておりました。
「ノア様…」
「なーん」
ノアは小さく鳴き、ヴィンセントの足元に頭を擦り付けてゴロゴロと喉を鳴らします。ヴィンセントはそんなノアの頭を撫で、他に怪我がないか確認しました。
ノアはペロッとヴィンセントの指を舐めると、くるっと向きを変えてテトテトと歩き出しました。少し歩くとノアは立ち止まりヴィンセントとセバスチャンの方を振り返りサファイアのような瞳でジッと二人を見つめております。
「え?」
ヴィンセントは不思議そうにノアの顔を見つめておりますと、ノアはヴィンセントの方に戻ってきてまた頭を擦り付けます。そしてジッと何か言いたげにヴィンセントの瞳を見つめておりました。
「まさか…ついて来いと言っているのですか?」
「そのまさかかも知れません、ヴィンセント様」
「…掛けてみるか」
ノアはそんな二人のやり取りが分かっているのか、溜息のような息を吐くとタタタタ…とテラスの階段を駆け上がり出しました。ヴィンセントとセバスチャンはお互いに顔を見合わせ、まだ少し半信半疑ではありましたがノアのあとに付いて歩いて行き出し始めました。
・・・・・・・・
「大丈夫ですか、シャルロット様」
「えぇ…助けてくれてありがとう、コウ。危うく後ろに転倒するところだったわ」
「いいえ…。お怪我が無くて何よりです」
パティー会場から少し離れたお城のテラスの奥の方に、シャルロット様と一人の男―――…『蒼龍国』の民族衣装をアレンジしたシルクのジャケットに身を包んだ黒髪に青い瞳の青年、貿易商『
シャルロット様は爆発で汚れた服の汚れを払ったりしてふぅ…と安堵の溜息をついておりました。チラッとパパッと服に付いた
「今日もパーティーに呼ばれていたのね」
「えぇ…。申請すれば招待客一人につき同伴一名オッケーとなっておりましたので。ガストン大臣の友人で参加させていただいておりました」
「えっ!あの超陰気くさくってなんだか悪い人のオーラしかないガストン大臣とお友達なの?なかなか変わった人なのね、コウって」
「あはははは…歯に衣着せぬ発言ですねシャルロット様」
シャルロット様は大きな瞳をさらに大きく見開いてコウの顔を驚いたように見つめます。
あまりにも自然体過ぎるシャルロット様のご様子にコウは思わず切れ長の細い目をさらに細めてあはははは…と声をあげて笑っておりました。
「だって!あの大臣ったらいーっつもお兄様やヴィーに意地悪な事ばっかり言うのよ?馬鹿にしたような態度を取るしホント嫌な人だわ」
「おや…」
「お兄様やヴィーが間違ったことを仰っていて、それを正してくれるために違う意見を言ってくれるならまだしも…ただただ何でもかんでも意味もなく反対したいだけだなんてバッカみたい!」
「意外とちゃんと見ていらっしゃるんですね」
「失礼ね!ちゃんと見ているわよ!」
「失礼いたしました。…まぁ向こうは私のことを友人…もしくはそれ以上の関係と思っているかも知れませんが、私は違います」
「違うの?」
「ただのビジネスパートナーです。彼は金払いが良いのでね。良いお客さんなんですよ」
「要するに良いカモってことね」
「お金だけの関係です」
「でも向こうはそうじゃないんでしょ?」
「そうですねぇ。でも一度関係を持っただけで勘違いする馬鹿な男なんか私、嫌いですから」
「…?」
「あぁ…簡単に申し上げますと、ちょっと優しくしただけでつけあがるような馬鹿な男ってことです」
「なるほど!」
コウの言っている言葉の意味があまりよく分からずシャルロット様は小首を傾げておりますと、コウはあぁ…とすぐにシャルロット様でも分かるように、ちょっとオブラートに包んだ言い方に変えてあげました。すると合点がいったのか、手をついてシャルロット様は大いに納得されたようです。
コウは呆れたような感じでフ…ッと思わず吹き出して笑い出しました。
「…どこまでもピュアな方ですね、貴女は」
「え、コウ私のこと馬鹿にしてる?」
「そんなことありませんよ。純真無垢で天真爛漫…まるで天使のような方ですね」
「え?」
「昔…幼いころに絵画の中で見たような愛らしい天使にそっくりです。やはり貴女は…神がこの世に遣わした光を導く者…」
「コウ?」
「あ…いえ、失礼いたしました。何でもありません」
「そぉ?…キャッ!」
シャルロット様がコウとお喋りをかわしておりましたが、また近くで何かが爆発するような音が聞こえてきました。ブワッと熱風がシャルロット様を後ろから煽ります。バサバサと木々にとまって休んでいた鳥たちは一気に羽ばたいて遠くへと逃げるように飛んでいきました。
シャルロット様は恐る恐る後ろを振り返ると、お庭の奥の方から黒い煙が上がっておりました。
「また爆発…?」
「大丈夫ですか、シャルロット様…」
「えぇ…。一体さっきから何が起こっているの…?」
「…貿易商と言う仕事柄色々と危ない情報なども掴むんですが、どうやらリーヴォニア国の開国を牽制するため…ラドガ大国やリテーリャ国が嫌がらせをしているという噂があります」
「え…?どういうこと?」
「その二国は昔からリーヴォニアの領土を狙っております。今は表面上の平和協定を結んでおりますが、虎視眈々と機会あれば実地支配をしたいと目論んでいるようです」
「そんなこと…」
「リーヴォニアはローザタニアと姉妹都市協定を結んだ。そしてリーヴォニアの時期国王陛下のゲルハルト王子はローザタニアの姫君、シャルロット様の婚約者候補として挙がってきている」
「
「えぇ。ですがローザタニアの後ろにはナルキッス大国と言うラドガと並ぶ巨大な力を持つ国がありますからね」
「…どういうこと?」
「また端的に言えば、リーヴォニアはローザタニアを通してナルキッスと仲良くなるのを、ラドガやリテーリャが阻止しようとしているんです」
「え…」
驚いて言葉を失っているシャルロット様の後方でまた爆発音が聞こえてきました。再び振り返ると、先ほどまでいたパーティー会場の辺りから黒い煙が上っております。キャーッという悲鳴も風に乗って聞こえ、シャルロット様はいたたまれず走り出そうとしますが、コウはシャルロット様の腕を掴み引きとめました。
「危ないですよ」
「でも悲鳴が聞こえたわ!誰かが怪我をしているかも知れないわ…!助けなくちゃ!」
「行ったところで何も出来ないでしょ?足手まといになるだけですよ」
「でも何か私でも出来ることがあるかも知れないわ!行ってみなくちゃ分からないじゃない!」
「…」
「ただ一人だけ安全な場所に逃げて他の人を置いて行くなんて出来ないわ!せっかくここまで連れてきてくれたけれど…ごめんなさい、私は戻るわ!」
「あ…シャルロット様!」
シャルロット様はコウの手を振り払い、来た道を戻ろうと走り出しました。コウはそんなシャルロット様を呼び止めようとお名前を呼びますが、シャルロット様は振り返りもせずに走ります。
「…危ないって言ったのに」
コウは懐からボタンのようなものを出してカチッと押しました。するとシャルロット様の2、3メートル先の場所が大きな音を立てて爆発をしたのです。
「きゃ…っ!!」
ブワッと大きな風に煽られ、シャルロット様は吹っ飛ばされてしまいました。いつの間にかシャルロット様のすぐ後ろにいたコウはシャルロット様をバックハグのような状態で強く抱きしめました。
「ありがとう…コウ…」
「…いいえ」
「たくさん爆発物があるのね…。早く皆に知らせないと…」
「…その必要はありません」
「え?」
「てっとり早く最初からこうすればよかった」
「コウ?」
心地よいアルトソプラノの声がシャルロット様の耳元をくすぐります。何を言っているのか全く意味が分からず、シャルロット様はお顔を動かし振り返ると、コウはニッコリと柳のような瞳を細めて笑っていました。ですが瞳の奥は一切笑っておらず、氷のように冷たい視線でシャルロット様のお顔を見つめております。
「…あのね、今回の私の本当の狙いはね、貴女のその首元に輝く『アルテミスの涙』なんです」
「え?」
「…それだけ奪って逃げるつもりでしたが…予定変更です。私はやっぱり貴女も欲しくなりました」
「何を…言っているの?」
「大丈夫、大人しくしていたら怖い目には合わせませんから」
ヒンヤリとした恐怖を感じたシャルロット様は逃げようと思いましたが、強い力で抱きしめられ身体が強張り足がすくんで動くことができないような状態になってしまいました。
コウはそのままシャルロット様の首元に唇を這わせます。驚いたシャルロット様は目を大きく見開き震えだしました。
「…こんな手荒な真似しなくなかったんですけどね。でも仕方ないですよね」
「や…」
「バラの甘い香り…あぁ…このまま貴女を食べてしまいたい…」
「嫌…」
「フフフ…大丈夫、痛くしませんから」
「…っ!」
コウはサディスティックにハッと一蹴し、シャルロット様の手を掴んでグルンッと自分の方に向きを変えさせました。そして自分の髪を結っていたシルバーの紐でシャルロット様の両手を一瞬で縛り上げてしまいます。怯えた瞳の上にそっと自分の唇を這わせ、そのまま頬を伝って唇に触れようとした瞬間―――…コウの首筋にそっと冷たいものが当てられました。
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