第五話 Artémis des larmes ~アルテミスの涙~ ⑧

 「陛下…お連れいたしました」


華やかで賑やかなパーティー会場の大広間を抜けて厚手のカーテンで仕切られたソファーが置かれただけの小部屋に執事長のセバスチャンの落ち着いた声が聞こえてきました。

その声を合図にソファーに座られていたウィリアム様はスッと立ち上がります。


「これはこれはブリダンヌ侯爵殿…」

「このような華やかな宴にお招きいただき誠に光栄です、ウィリアム陛下」


ウィリアム様やヴィンセントよりもかなり背が高く大柄で、少しグレーが混じった黒檀のような髪をオールバックにして流した目つきが鷹のように鋭い中年の男性と、その後ろを艶やかな黒檀のような髪を綺麗に結い上げ、品の良いアクセサリーを身に着け、繊細な刺繍の施された落ち着いた深いグリーンのドレスを身にまとった女性がセバスチャンに案内されてウィリアム様の前に現れ、スッと丁寧なお辞儀をされました。


「ヴィンセント殿も…お久しゅうございます」

「貴方の豪傑な政治手腕はよく耳にしておりますよ」

「光栄です」

「是非貴方と政治について語り合いたいものです」

「私の方こそ…若くして切れ味抜群の判断をされてる貴方とはいつか酒を酌み交わしたいと思っております」

「えぇ是非」

「して侯爵殿…」


チラッとウィリアム様が目線を侯爵の後ろに控えているエレナの方へと移しました。すっかりヴィンセントと楽しげに政治談議を始めかねない勢いだった侯爵は、あぁ…と話を元に戻し始めました。


「あぁ…そうでしたね。ご紹介いたします。わが娘、エレナにございます」

「やぁエレナ」

「お初にお目に掛かります陛下…」


ブリダンヌ侯爵に紹介されエレナは少し前に出てすっと深く膝を折ってお辞儀をします。ウィリアム様はゆっくりと頷き、エレナのお姿をしっかりと見つめておりました。仄かに香るユリの花の香水の上品な甘さが部屋に広がります。


「…こちらは我が国の国王補佐長官兼執務官長であり、私の右腕…そして親友でもあるヴィンセントだ」

「…エレナでございます」

「初めまして、エレナ」


ウィリアム様に紹介されて、ヴィンセントはエレナの前に出て軽く頭を下げて挨拶をします。エレナはずっと膝を折った深いお辞儀のまま伏せておりましたが、ヴィンセントに声を掛けられてゆっくりとお顔を上げます。

伏せられていた少し緑がかった茶色い瞳が徐々に開き、自分を見つめるアメジストのようなヴィンセントの瞳と視線が交差するとエレナは少し頬を赤らめまた再び視線を落としてしまいました。


「絵で見る以上にお美しい…」

「そんな…」

「もう少し近くで貴女のお顔を拝見したい…」


ヴィンセントはそっと手を差しだし、エレナを立たせました。そして流れるようにエレナの腰に手を当てて近づき、エレナのお顔を間近で見つめております。エレナのお顔はどんどんと赤く染まっていき、伏せられた長い睫の影が新雪のように滑らかで美しい頬に写りました。

それを見ていた父親のブリダンヌ侯爵はあはははは…と大笑いしながら娘の初心なやり取りを見ております。


「ヴィンセント殿…我がの娘は初心な物でして…申し訳ございませんなぁ」

「お父様…っ!」

「いえ、とても淑やかで…まるでヤマユリの様ですね」

「そんな…滅相もございませんわ、ヴィンセント様…」

「美しい人…どうかもっと貴女のそのお顔を私に見せてください…エレナ…」

「ヴィンセント様…」


エレナは戸惑いながらもゆっくりとお顔を上げて、自分の方を真っ直ぐに見つめてくるヴィンセントの輝く瞳を見返しました。瞳が合うと、ヴィンセントは優しく目を細めて微笑みエレナの手を取りそっとその手にキスをします。


「もしよろしければこの後一緒にワルツでも…」

「え…えぇ…」

「それでは陛下、侯爵殿…私は少し失礼させていただきますよ」

「あぁ」


ヴィンセントはウィリアム様とブリダンヌ侯爵の方に振り返り、にっこりとよそ行きの満面の笑みでそう告げると、エレナの手を取って『フリージアの間』から出て行きました。

その様子をウィリアム様とブリダンヌ侯爵は同じくにっこりと笑顔で見送ります。

二人の足音が遠くなっていくのを確認したブリダンヌ侯爵は真っ直ぐ前を見たままウィリアム様に問いかけます。


「陛下…このようなお見合いの話、我が家では大変光栄にてございますが、本当にエレナのような者でヴィンセント殿はお気に召してくださるでしょうか」

「安心してください侯爵。アイツは本当は美人でお淑やかで品のある女性が好みなのですよ」

「はぁ…。ですがお噂では…ヴィンセント殿はかなりのプレイボーイだとか…。エレナは本当に男性に対しての免疫が無く…」

「ヴィンセントの噂はまぁ多少のやっかみで背びれ尾びれが付いているので話半分で聞くのが良いかと。侯爵が心配されるほどの男ではないですよ」

「はぁ…」

「本当のアイツは真面目で誠実で一途な男だ。親友である私がそれを一番よく知っている―――…」

「陛下…」

「さて侯爵…我々も大広間に参ろうか」

「えぇ」


ウィリアム様とブリダンヌ侯爵はお互いに顔を見合わせてフッと息を吐くように小さく笑うと、サッとマントを翻して『フリージアの間』をあとにしました。部屋の前ではずっと静かに待機していたセバスチャンが頭を下げてお二人を見送っているのでした。


・・・・・・・・


 さて、そろそろ月がお空の真上に上がる頃ですが、未だ熱の冷めやらぬパーティー会場の大広間では多くの人々がひしめいておりワルツや談笑など賑やかに行われておりました。

多くのカップルが少し軽快なワルツの音楽に身を委ねている中にシャルロット様とゲルハルト王子の姿も見えます。お二人は依然変わらぬままワルツを楽しんでいるご様子でした。

するとそこへ、ヴィンセントとエレナのカップルも大広間へと戻ってきました。エレナの手を引き、ヴィンセントは堂々と大広間の中を歩いて行きます。


「…何か飲み物をいただきましょうか。お酒は大丈夫ですか?」

「あ…はい…」


ヴィンセントは近くのボーイからグラスを貰いました。シュワシュワと小さな泡が踊るように立ち上がっているシャンパンのグラスの一つをエレナに手渡します。ありがとうございます…と小さくお礼を言ってエレナはグラスを受け取るときに、ヴィンセントの指が少しエレナと触れ合いました。グラスこそ落とさなかったもののエレナは驚きを隠しきれずに瞳を大きく見開いて少し固まってしまいました。

その様子を見てヴィンセントはフフフ…と笑いを堪えきれずに発してしまうと、エレナは更に慌ててお顔が真っ赤になってしまいました。


「申し訳ない…。貴女を困らせるつもりはないのですが…」

「いえ…すぐに赤くなってしまうこんな体質の自分が悪いんですの…。申し訳ございません…」

「どうして謝るんですか?」

「え?」

「ただ男性と触れ合うのに慣れていらっしゃらないだけでしょう?お父上からずっと女学校で教育を受けていたとお聞きしております。それは仕方のないことでしょう?」

「ヴィンセント様…」

「慣れていないのなら…ゆっくり慣れて行けばいいのです。違いますか?」

「…そう…ですわね」

「大丈夫ですよ、何も怖くありませんから」

「ヴィンセント様…」

「まずは我々の今日の出会いに乾杯いたしましょう」


ヴィンセントは自分の持っているグラスをエレナのクラスに重ね合わせます。エレナも少しほころんだ表情で笑顔を見せると乾杯…と小さく呟き、二人はシャンパンに口をつけました。

そしてそのまま二人は楽し気に会話を楽しんだ後、流れる音楽に誘れるようにダンスフロアへと出てきました。

音楽はどんどんと盛り上がって行き、多くの人々が入れ代わり立ち代わりクルクルと回りながらワルツを楽しみ、ダンスフロアは大賑わいでした。

シャルロット様とゲルハルト王子、ドミニク様とアンジェリカ、そしてヴィンセントとエレナもクルクルとワルツの輪に入り思い思いに楽しんでおりました。

いつの間にかウィリアム様もブリダンヌ侯爵と一緒に大広間に戻ってきており、楽しんでいる客人たちを見て満足しておられる様子です。


「実に華やかな賑わいですな」

「あぁ…」

「あそこにおられるのはシャルロット様ですね…。お噂通り咲き誇る花のように輝いていらっしゃる」

「いやいや…まだまだ子供のままだ」

「ご謙遜を…」

「頭の中は美味しいお菓子を食べることしかないからな。色気よりも食い気のお子ちゃまだ。もうじき15になると言うのに…」

「あはは…時期に食い気よりも色気となりましょう。しかし…シャルロット様はご存知ではないのでしょうが、自然とあのチャーミングさを周りに振りまいていらっしゃるご様子ですな。周りの男性陣がシャルロット様の輝くような笑顔に魅せられていっておりますよ」

「どれどれ…」

「ウィリアム陛下!」


ウィリアム様とブリダンヌ侯爵が笑いながらお話をされていると、ずっと他の客人たちとお話されていたリーヴォニア国のアドルフ国王がこちらにやって来られました。


「アドルフ陛下」

「いやぁ…実に華やかなパーティーですな」

「リーヴォニアの皆様を持てなす宴ですから」

「ありがたきお心遣い、誠に感謝いたします。ところで…ウチの愚息は…」

「ゲルハルト王子でしたらシャルロットとずっと一緒に踊っておりますよ」

「左様ですか!仲良くしていただいて何よりです」

「それはこちらのセリフですよ、アドルフ陛下。自由に踊る我が妹をコントロールしておどってくださっておりますから」

「愚息は私に似ず、ダンスも勉強もスポーツも得意ときております。また我が亡くなった愛する妃カトリーナによく似た面影の美男子に成長してくれて…親孝行な息子ですよ」

「アイスブルーの美しい瞳とシュッとされた口元は陛下そっくりですよ」

「ありがとうございます」


三人はグラスを手に談笑を楽しんでおられる様でした。アドルフ国王陛下は大分お酒を飲まれているのでしょうか、少し砕けた様子お顔を赤くしております。ブリダンヌ侯爵もお二人の会話をいつもの厳つい表情ではなく穏やかに聞いておられました。

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