第二話 運命の女 ~Femme fatale~ ⑨

 「もしもし…」

「さすがはローザタニア王家の執事長…ワンコール鳴り終わる前に取られましたね」

「恐れ入ります」


ローザタニア王家の住まわれるお城の宝物庫の中で壷を磨いていた白髪頭に口髭をくゆらしたダンディーな執事長のセバスチャンは、燕尾服のカフスボタンに付いている通信機が震えだしそうな気配を感じると目にも見えぬ速さで安全な場所に壷を置き通話ボタンを押して口元に持って行きました。


「急で申し訳ありませんが、セバスチャン殿にご依頼したいことがありまして」

「なんなりとお申し付けください」

「さっそくですが…ロバート・グルーバーという人物を徹底的に調べていただきたい」

「承知いたしました」

「詳しい情報はバルトに。それでは…宜しくお願い致します」

「かしこまりました」


通信機の通話を切ると、セバスチャンはすぐに宝物庫をを出てお城の一番奥深くの北の塔にあります執務室へと足早に向かいました。決して駆け出すようなことはせず、ですがそのスピードと同様の速さで廊下をズンズンと進んでいきます。メイドや部下の執事たちがセバスチャンに用事があったような風にも見えましたが一直線に執務室目掛けて歩いて行きます。

少しすると中から慌ただしい様子が手に取るように分かるくらい荒れている執務室の前に到着しました。

ノックを4回しましたが中の皆の声に消されているようです。セバスチャンはお構いなしに執務室のドアを開けると、そこには泣きそうな顔をしている者や目が血走るくらい焦っている者、青筋を立ててひたすら何かにおそれている者などが居て、ある意味地獄絵図のような状態になっておりました。


「失礼いたします」


その状況の中セバスチャンは凪のように涼しげに執務室の中に入り、奥の方の席で過去の入国管理名簿を必死こいてまくり続けているバルトの横にやってきました。


「…バルト殿」

「わ…っ!ビックリした!!ってセバスチャン殿!!」


集中している時に耳元で心地よく名前を呼ばれ、バルトは心臓が飛び出るほど驚き上がりました。その様子を特に反応するでもなくセバスチャンはバルトの横で動じることなく立っておりました。


「先程ヴィンセント様より依頼がございまして…ロバート・グルーバーと言う人物について徹底的に調べてほしいとのことで、詳しくはバルト殿に聞くようにと申し付かりました」

「え?セバスチャン殿にも…!?まだそこまで詳細に調べ上げられていないんですよぉ…」

「左様ですか…では今現在分かっている情報だけでもいただけますでしょうか」

「あ、はい…こちらが分かっているデータです」


てんやわんやしている執務室の中央に位置する大きなテーブルに、山のように積み重なった資料が散々と置かれておりました。その手前に雑多に置かれた紙の束が置かれてあり、次々と秘書官たちはそちらに何やら書き込んだり覗きに行ったりしておりました。


「あちらですね…ではちょっと失礼いたします」


バルトに軽くお辞儀をしてセバスチャンは静かに中央のテーブルの方に移動すると、目にも止まらぬ速さで皆が書き込んでいる紙をパラパラめくりだしました。


「…ロバート・グルーバー―――…ラドガ大国出身の45の男で、身体的な特徴は金髪の髪をオールバックにし濃い色のサングラスがトレードマーク。右頬に古傷の刃に切られた傷がある。瞳の色は薄い青…派手なファッションを好む。身長175センチほどの中肉中背、武術の心得は無いが若い時に用心棒として働いていた経験もあり喧嘩は強い。だがボディーガードは2、3人連れていることが多い。20年ほど前の16の時に就労目的でローザタニアにやってきて、職を転々…。その後30の時に『崑崙』のローザタニア支社に御用聞きとして入社、以来恐ろしいスピードで出世して今は支社長。なるほど…あ、よろしければここ20年のローザタニアの犯罪リストと入国管理名簿をいただけますか?」

「あ、はいどうぞ…」


殴り書きされているロバート・グル―バーの情報を頭に叩き込むためにブツブツと小声で読み上げると、一息ついてすぐにセバスチャンは横を通った秘書官に声を掛けました。バルトは犯罪リストと入国管理名簿を渡すと、これまたセバスチャンは目にも止まらぬ速さでページをめくり目を通していきました。


「…20年前にラドガより入国…就労目的の移民…当時の入国管理官の名前は…?提出された書類…年に一度の申請書類…これか。提出されている資料は偽造…?確認を。ローザタニアの犯罪リスト…暴力、恐喝事件…15年前に大きな恐喝・暴行事件を1件起こして逮捕、しかし証拠不十分に付き釈放…。その後はチンピラモドキ。15年前に『崑崙』に御用聞きとして入社してチョコチョコ問題を起こしているが驚きのスピードで出世していき今や支社長まで上り詰める…」


一度瞳を閉じてもう一度復唱し直すと、セバスチャンはパタンッとファイルを閉じて笑顔でファイルをバルトに返却しました。


「資料お貸しいただいてありがとうございました。大凡頭にインプットできましたのでご返却いたします」

「え…っ!?あ、はいっ!」


深く一礼をしてそのままセバスチャンは執務室からスッと出て行きました。


「…あれが噂のセバスチャンの速読…。めっちゃ早いな」

「しかも読むだけじゃなくて全部覚えているって話だぜ」

「ヴィンセント様も同じこと出来るらしいぜ…」

「やっぱりあの二人、人間じゃないって噂あるけど本当かもな、バルト!」


ザワザワと秘書官たちは噂話をしておりました。そして秘書官の一人がバルトに話しかけましたが、バルトはジッと瞬きもせずにドアの方を見たまま固まっておりました。


「おーいバルト?」

「!」


肩をポンッと叩かれてやっと戻ってきたのか、バルトは一瞬椅子から浮き上がりました。


「あっ!うん…そうだな…っ!そんな噂話に花を咲かせている時間なんかないぜっ!早く報告上げないとヴィンセント女王様に怒られるぜっ!」

「そうだったなっ!おーい、崑崙の社員リスト手に入ったかー?」

「そっちの不法移民の検挙リストをこっちに回してくれー!」


皆の集中力が消えかかって雑談モードに入りそうでしたが、バルトの一声で皆もう一度そそくさと仕事に戻りました。


『…そう言えば小さい時、じいちゃんに聞いたことがある。ローザタニアには影から王家を支える特殊な訓練を受けた人たちが存在するって。まるで『ニンジャ』みたいな人たちで普通の人じゃないってじいちゃん言ってた。もしかして…セバスチャン殿ってそうなのかな…』


バルトはデスクに改めて座り直してさぁ再開しようとしましたが、フッとバルトはデ昔自分の祖父から聞いた話を思い出しておりました。


『セバスチャン殿の何事にも動じない性格…静かに音を立てずに歩いたり気配を消したりされるよな…。そして尋常じゃないほどの情報処理能力…人間離れしている…』


いや、しかしまさか!とブンブン頭を振って、ヨシッと気合入れで自分の頬を叩き、再び資料のページをめくって仕事を再開させたのでした。


・・・・・・・・


 「さぁ着いたぜ。俺はジャンヌを呼んでくるから二人はしばらく中で待っててくれ」

「あぁ…ありがとうジャック」


3番街の外れのカフェー『マントゥール』から路地裏を歩くこと10分。全く人気のない空き家ばかりが並んでいる中にあるこじんまりとしたホテルが建っておりました。そう一言言い残してジャックは二人を置いて、自分の姉のジャンヌを呼びに行ってしまいました。


「さぁシャル、中に入ろう」


ジャックの後姿を見送るとドミニク様はシャルロット様にそうお声を掛けて古めかしい木のドアをゆっくりと開けました。

誰も居ないロビーは薄暗くとても静かでした。ドミニク様はロビーを進んでいき、奥にあるカウンターらしき所の呼び鈴を鳴らすと手が通るくらいの隙間から灯りが近づいてきて、しわがれた老婆の声が帰ってきました。


「はい…」

「こんにちは。3階のいつもの部屋の鍵を頼む」

「はい…」


少し待っていると隙間から部屋の鍵がスッと出てきました。ドミニク様はそれを受け取ると隙間から老婆にチップを少しばかり渡しておりました。


「もう少しするとジャックがジャンヌを連れてくるからまた案内してやってくれないか?」

「はい…承知いたしました…」

「ありがとう」


フッと灯りが遠ざかるとドミニク様はシャルロット様に小さな声で「行こう」と声を掛け、ロビーから吹き抜けで繋がっている階段を登り始めました。

そして3階まで登り奥の部屋の鍵を開けてドアを開けると、そこは小さい窓の光が差し込む薄暗い部屋で、中にはベッドとテーブルと椅子が2脚だけが置いてある簡素な部屋がありました。


「空気が悪いわ…ねぇ叔父様、窓を開けてもいいかしら?」

「その窓は開かないよ。ただの採光用だよ」

「そうなの?でも…何だかこの部屋、とっても陰気くさいわ」

「仕方ないよ、そういう部屋だもの」


シャルロット様は辛気臭い部屋の匂いをあまりダイレクトに嗅がないようにと頭を覆っていたストールを鼻の部分まで上げて、眉間に皺を寄せながらお部屋の中に入って行かれました。その後にドミニク様もお部屋の中に入り、ソワソワした面持ちでベッドに腰掛けられました。


「…ねぇ叔父様、どうしてこんなところでジャンヌと会う必要があるの?」


シャルロット様も硬い椅子に腰を掛けられました。そして再びドミニク様になぜこのような場所でジャンヌに会う必要があるのかと問い始めました。相変わらずドミニク様はぱぁっとされた笑顔で無垢にお答えになられました。


「ん?あぁ…ここなら人目に付かないからってジャックが言ってくれたんだよ。外だと誰かに見られちゃうかもしれないだろ?でもここなら人通りもない場所だし…私がジャンヌと会っていても誰にも咎められないだろうからって」

「そうかしら…」

「そうだよ!明らかに身分違いの私たちのことを考えてくれているんだ!ジャックはぶっきらぼうだけど姉思いのいい子なんだ!だから私は彼を信用しているよ!」

「…だと良いんだけれど」


シャルロット様はやはりどこか釈然としない思いを抱きながら、硬い椅子の座り心地の悪さにムッとしております。ですが飼い主の帰りを一心に待ち続ける忠犬のようなドミニク様をチラッとご覧になって、一抹の不安を抱き続けながらジッと座ってジャンヌの到着を待ち続けるのでした。

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