第二話 運命の女 ~Femme fatale~ ⑥

 「叔父様!ドミニク叔父様待ってっ!!」


ティーサロンから駆け出したドミニク様を追って、シャルロット様はエントランスに続く大きな赤い絨毯が引かれた階段を駆け下ります。どこか鈍く運動神経の悪くヨタヨタとした走りのドミニク様を運動神経抜群のシャルロット様は安全な階段の踊り場で腕を引っ張って捕まえました。


「早いよシャル…っ!」

「叔父様が遅いのよ…っ!」

「…」

「あ、ごめんなさい!そんなことより叔父様っ!ダメよお爺ちゃまと喧嘩なんかしたらっ!」


本気で凹んでいるドミニク様の姿をご覧になってシャルロット様は少し強く言い過ぎたと思いましたが、気を取り直してすぐにドミニク様の手を取られました。しかしドミニク様は俯いたまま頭を落として沈み続けており、少しの沈黙のあと震えた声で言葉を絞り出しました。


「…だってあんまりじゃないかっ!どうして父上は僕のやる事なす事全て否定するんだっ!今までだってそう!そして今回の結婚に関しても…最初は喜んでくれていたのに今になって駄目だなんて言い出し始めた…っ!」

「叔父様…」


ドミニク様は涙が滲んだ声でそう叫ぶと、シャルロット様の手を振りほどき階段の手すりにしがみついて膝を折られました。


「父上は出来そこないの僕なんか嫌いなんだ…。いつも姉と僕を比べて…僕を見ると残念そうな顔をして溜息しか吐かないんだよ。シャル…僕は姉上のように何でも出来る人になりたかったよ…」

「…」


シャルロット様は子供のように分かりやすく落ち込んでいるドミニク様の姿をご覧になってどう言葉を掛けて良いのかも分からずに戸惑っておられました。

しばらくドミニク様が…泣いていらっしゃるのでしょうか、肩を震わせながら座り込んでいらっしゃいましたが、急にパッと立ち上がり虚ろな瞳でフラフラした足取りで階段をゆっくりと降り始められました。


「ジャンヌに早く会いたい…。彼女に会って…この悲しみを埋めてもらおう…」

「あ…ちょっとお…叔父様!?」


シャルロット様は危なげなドミニク様を捕まえようと腕を取りました。するといきなりドミニク様がクルンッとシャルロット様の方を向き直し、どこか焦点の合っていない瞳でお顔をマジマジと見つめられると、いきなり微笑みだしシャルロット様の手を強く握りだしました。


「え…?」

「シャルロット…君にも紹介したいんだ。僕の大切な大切な彼女のことを。きっともう会うのは最後になっちゃうかも知れないけれど…僕の大切な姪っ子の君に紹介したいんだ」

「叔父様―――…」

「きっとシャルロットなら彼女と親しくなれる―――本当にいい娘なんだ!せめてそれをシャルロットだけにでも知ってほしい!」

「わ…分かったわ叔父様。私も一緒にジャンヌに会いに行くわ…っ!」


いきなりの提案に少し戸惑った様子ではありましたが、シャルロット様はドミニク様の手を優しく握り返し微笑まれますと、ドミニク様は嬉しさがこみ上げてきたのかシャルロット様にこれまた思いっきり力強くハグをされて手を握り直すとクルクルと踊り場で回り始められました。


「よしっ!じゃあ一緒に行こうっ!」


そして気を取り直したドミニク様は前を抜き直し、シャルロット様の手を取られると猛スピードで階段を駆け下り、エントランスのドアを蹴破る勢いで開けて颯爽と外へと駆け出されました。


「馬車をっ!エリオット、馬車を出してくれッ!」


ドミニク様は庭に居た使用人の男性に声を掛けて馬車を用意させ、すぐさまシャルロット様を押し込むように大急ぎで乗り込みました。

居ても立っても居られないと言わんばかりのソワソワした面持ちで急いで出してくれっ!と若い御者の青年にそう告げると濃いブラウンの大型な馬車が猛スピードで走りだしました。


「きゃっ…!」

「おっと…シャルロット大丈夫かい?申し訳ないが急ぐから少し荒い運転になるよ!」


道の石に乗り上げたのでしょうか、馬車がガクンと大きくバウンドし中でシャルロット様は少し浮き上がりバランスを崩してドミニク様の肩突っ込むように倒れ込みました。


「さぁいざ行かん『マントゥール』へっ!!」

「えっ!?『ラ・ベール』に…ジャンヌに会いに行くんじゃないの?」

「ジャンヌに会いに行く前に、まずは3番街レヴィ通りにあるカフェー『マントゥール』へ向かうっ!」


シャルロット様の肩を優しく支えて座り直させてあげると、ドミニク様は窓から顔を出して御者に3番街レヴィ通りのカフェー『マントゥール』に行くように指示をされました。あまりこの街に詳しくはないシャルロット様でしたが、ジャンヌの働いているお店がある5番街に向かうのではなく、だいぶ離れた3番街に今から向かうと言ったドミニク様の言葉を不思議に思われました。


「『マントゥール』?」

「あぁそうだっ!とっても面白いところなんだっ!まずそこでジャンヌの弟のジャックに会う!そしてその後ジャンヌに会わせてもらうんだ!!」


勢いよく走りだす馬車の動きと同様に鼻息荒くドミニク様は一秒でも早くジャンヌに会いたいのか落ち着きなくソワソワとしております。

シャルロット様は何やら一抹の不安を頭によぎらせましたが、浮かれモードになっているドミニク様を見つめて掛ける言葉もないとばかりに小さな溜息をつかれました。

そしてもう叔父様の好きにさせようと決めてそのまま馬車に揺られながら流れていく外の景色をぼんやりと見つめているのでした。


・・・・・・・・


 ドミニク様とシャルロット様が出て行かれたティーサロンでは相変わらず重苦しい空気が流れておりました。

頑なに腕を組んだままじっと前を見据えていらっしゃるロベール公爵、ソファーに背筋を伸ばして姿勢よく腰掛けて真剣に話を聞いていらっしゃるウィリアム様の横でもう興味が無くなってきたのか元から興味がないのか少し崩れたモードで聞いているヴィンセント、そしてウィリアム様の真剣な視線を感じながら一生懸命報告をしているボリス―――…三者三様ならぬ四者四様の一部違いますが張りつめた空気が流れておりました。


「えっと実は―――…非常によろしくないご報告がございます」

「よろしくない報告…?どういうことだ?」


ウィリアム様はボリスのお顔を覗きこまれるように、姿勢が良いまま少し前のめりに身体を向けられました。


「あ…はい…。ジャンヌ自身は普通の貧しい一般市民であり、ジャンヌとういう人物に関して問題はないかと存じます。しかし…ジャンヌの弟に関しましては問題あり、と判断いたします」

「どういうことだ?」

「ジャンヌの弟の名前はジャックと言う少年ですが、ここローザタニアに流れ着いてからまだ定職に就いていないようです」

「16歳であれば職に就いていなくとも不思議ではないが…?」

「えぇ…陛下。ジャックは職にも就かず、毎日プラプラとしており、そして危ない輩と付き合いがあるようでして…ロバート・グルーバー…と呼ばれる人物とずいぶんと親しくしているようです」

「ロバート・グルーバー…?」

「えぇ…表向きは東の大陸にあります『蒼龍国』の貿易会社『崑崙』の現地支社長です。ですが…ラドガ大国のマフィアの一味ではないかと言われております」

「『崑崙』の噂自体もよろしくないですからね。強引な取引が多く市場からよく苦情が来てますよ」


そう言えば…とヴィンセントが横から口を挟むと、ウィリアム様は少し伏し目がちになり、そして口元に手を添えて何か思案されていらっしゃるかのように呟かれました。


「マフィア…か…」

「…ここ数年、ローザタニアにジワジワと北の…ラドガ大国のマフィアの手下が流れているのでは、という情報もありましたね」

「そうだな。だかそこまで大きな動きがないのであまり刺激しないようにはしていたんだが…これは少し厄介だな…」

「そうですねぇ…」

「えっと…私が探偵を雇い調べた話で、まだ最終的な結果報告はでておりませんが…このロバート・グルーバーと言う男ですが、『崑崙』の支社長以外にも表のサイドビジネスを展開しておりまして飲食店の経営も数件手掛けております。そこがマフィアたちの根城になっているとか」

「まぁよくあるパターンですね」

「このペルージュにもロバート・グルーバーの経営する飲食店が数件存在するようでして、最近『スカーレットシャーク』という主に移民の子供たちがメンバーとなっているギャングもどきがたむろしているという噂です。その中にジャックがいるとか…」

「『スカーレットシャーク』ってセンス悪い名前ですねぇ」


遠慮なく突っ込んでくるヴィンセントを横目で気にしながら、冷や冷やした面持ちでボリスは報告を続けております。ウィリアム様もロベール公爵もヴィンセントに対して何も仰らないのが不思議ではありましたが、ボリスは自分も突っ込んだら負けだと思われたのかそのまま話し続けました。


「…はぁ。。えっとやつらはここ数年ペルージュを中心に近くの街でも窃盗や傷害事件を起こしたりしていますね。また最近では誘拐、人身売買からの売春斡旋…そして法賭博やローザタニアでは禁止されている薬物の製造・密輸・売買にも関与しだしているとかの噂があります」

「…そういうことですか、お爺様」


ウィリアム様はロベール公爵の方を向かれて眉を少し上げて、事の全容を全て理解したとばかりに瞳を閉じて溜息をつかれました。ロベール公爵はと申しますと、ちらっとウィリアム様の方をご覧になると腕をきつく組んだまま真っ直ぐ前を見据えて低いトーンで唸り、ポツリポツリとまるで自分に言い聞かせるように話し始めました。


「…ジャンヌだけならまぁ…知り合いの貴族に頼み込んで養子にしてもらって貴族の娘として結婚させてやれんことは無い。じゃが弟の噂が本当で、その話が本当ならドミニクとジャンヌの結婚を許してはならないのじゃ。それが我々貴族―――…ましてや親戚に王族がいるとなるとなおさらのことじゃ」

「…」

「子の幸せを願うのは親として当たり前のこと。ましてや30も過ぎた長男の結婚の話が嬉しいに決まっておろう。しかし悪い噂があるやつらと親族となるのは貴族じゃなくとも…平民の親であってもよろしいとは思えん。そんな奴らと親しくなっても待っているのは不幸だけじゃ。ならばそれを遠ざけてやるのも親の務めとは思わんか?」

「ロベール様の仰る通りですね。でもまぁ30も過ぎてそういう危険への判断が出来ないあたりドミニク様相当痛いですが」


真剣な面持ちで話されるロベール公爵に同意される感じではありますがヴィンセントのさりげないツッコミが突き刺さり、全くを持って正論のことすぎてロベール公爵はぐうの音も出ない、苦虫を潰したような表情で肩を落とされました。

「全くその通りじゃ…少し自由に育て過ぎたわい…」

「だいたいの話は分かりました。ご苦労、ボリス」

「は…では私はこれで」


ウィリアム様はボリスに退室を促すと、ボリスは何かを察してササっと姿勢を正し直して一礼して部屋を出て行きました。

ボリスの靴音が遠くなり、人の気配が廊下から消えたのを感じたウィリアム様は溜息のような深呼吸をして少し姿勢を崩して背もたれに寄りかかりました。


「しかし…まさか叔父上の恋愛の話がこんな大ごとになるとは思いもしなかったな…」

「えぇ、ただの浮ついた馬鹿話かと思っておりました」

「うん…ヴィンセント…お父上の前だから少しは遠慮しようか」

「あ…これは失礼いたしました。ついうっかり…」

「いや、ヴィンセントの言うとおりじゃ…全くを持って面目ない…」


ヴィンセントの辛口コメントが容赦なくロベール公爵に降りかかり大分グサッと刺さってショボーンと肩を落として、返す言葉もないとばかりに溜息をつかれました。


「もうこのメルヴェイユ家はお終いじゃ…」

「お爺様…」

「マフィアのやつらにはドミニクが国王陛下の叔父だと知られているじゃろうし、これからきっとワシらは骨の髄までしゃぶられて破滅するんじゃ…っ!あぁ…なんたることをアイツはしてくれたんじゃっ!」

「お爺様、落ち着いてくださいっ!」


ロベール公爵はふかふかの絨毯の床におでこをガンガンと打ち付けながら号泣しております。いくらふかふかの絨毯の上とは言え危ないので、ウィリアム様はロベール公爵の肩を力強く支えてこれ以上打ち付けるのをやめるように必死で止めました。


「あぁウィリアム…すまない…ワシたちのせいで王家にも迷惑をかけてしまう…ご先祖様にも顔向けできんしもう終わりじゃっ!」

「…要はまずそのロバート・グルーバーとの関わりを断ち切ればいいんですよね?」

「!?」


ピタッとロベール公爵の号泣が泣き止み、ウィリアム様もパッとお顔を上げてヴィンセントの方にお顔を向けました。

ソファーのひじ掛けに片手をついて頬杖をし、陛下の前ではありますが大胆にも足を組んで冷めた目で見ているヴィンセントは鼻から溜息をフゥッと漏らして静かにそう言葉を発しました。


「ヴィンセント、お主…」

「てっとり早くそのロバート・グル―バーをローザタニアから追放してしまいましょう。陛下、そうしましょう」

「え…?あ、うん…そうだな…」


ヴィンセントの大胆な態度と同様の大胆な発言にロベール公爵もウィリアム様もビックリ眼のまま固まっております。ヴィンセントは気にせずにそのまま何やら色々考えをめぐらしているようでブツブツ一人で何か呟いておりました。


「お爺様…ヴィンセントの申しているように、まずは叔父上とロバート・グルーバーの関わりを断ち切りましょう。そしてそのジャックのいるギャング集団…『スカーレットシャーク』をぶっ壊しましょう」

「うむ…そうじゃな…」


ロベール公爵とウィリアム様は何かよく分からないけれどもしっくり落としどころを見つけた気持ちになりハハハ…と笑いながら二人してゆっくり立ち上がりました。

その時です、外からテンポの速い馬車の蹄の音が聞こえてきました。


「…ん?この蹄の音は我が家の一番足の速い馬車の音…」

「まさか…叔父上…ですか?」

「陛下、ビンゴです。あの馬車ドミニク様と姫様乗っていらっしゃいますね」

「あのバカ息子っ!外へ出たのかっ!?」

「どちらへ行こうとされているのでしょうか…」

「ジャンヌ嬢に会いに行こうとされているのでは?ドミニク様のことですからきっと姫様に会わせたいとか何とか言って一緒に出掛けたのでは?」

「おそらくそうじゃろう…」

「ドミニク様はどうでもいいとして、姫様が勝手にした街に行かれるのはよろしくないですね。私回収してきましょうか?」

「あぁ…頼む」

「5番街の仕立て屋でしたっけ?ちょっと行ってきます。あ、ロベール様、馬をお借りしてもよろしいでしょうか?」

「…構わんよ」

「では失礼します」


面倒くさそうな面持ちではありましたが、ヴィンセントはおせっかいなシャルロット様がいろいろ巻き込んでこれ以上さらに面倒くさいことが起きる前に終わらせようと思いふぅ…と溜息をつきながら部屋を出て行きました。

ウィリアム様ははぁ~…と大きな溜息をついて肩をがっくりと落とされているロベール公爵を慰めるように背中に手を回してそっと横から抱きしめられました。

ロベール公爵はそんな孫の優しさを感じながら、頭を落としたままジッと座られているのでした。

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