第9話 戸惑い

 頭上からはらはらと舞う花びらが、目の前の川へと落ちて下流へと流れていく。


 あの川の水は、どこに続いているのだろう。



 そんな景色を見ながら、俺、緋村拓巳はぼんやりとしていた。



 入学から約一週間。


 月曜日から始まった学校の授業は、想像していたものよりは簡単な内容だった。


 座学では理科の内容が生物と地学に大きく偏っていたり、社会科は何故か歴史の授業がほぼないなど、バランスがおかしな点もあったが、なんせ去年までは大学生をしていた俺だ。


 自分の好きな科目を選んで過ごしていたのだから、その頃の事を思えば専門科目を履修する感覚に近かった。そういうものだと思えば、今のこの授業内容についてもすぐに気にならなくなった。



(とりあえずこの国で生きていくために、学校の授業を真面目に受けて、頑張らないと)


 そう。頑張らないといけないのだが。



 どこかモヤモヤとした気持ちが拭えず、スッキリとしない数日間を過ごしたのは、やはりあの最初の魔法の授業で、俺が火魔法しか使えないという事実が判明したからだと思う。



 特別な花を使った魔力の鑑定。

 とても印象深く残っている。


 一瞬にして火に焼かれ灰と化した花。

 そしてその灰から作られた、赤い星のバッチ。


 赤い星は火魔法特化型と呼ばれる、この国では珍しいタイプの魔法の証だ。



「火魔法か」



 火魔法と聞いて、あの国の人たちは一体何を想像するだろう。


 魔法に限らず、火の扱いを得意とする人。


 俺の頭の中に浮かんだのは、漫画やアニメで主人公と共に描かれる、仲間や敵のうちのキャラクターだった。


 彼らは凄まじい火力で、相手に火を放つ。

 仲間にいると頼もしくて、敵にいたら恐ろしい、そんな攻撃的な強い存在。


 そんな彼らと同じ能力を、俺は手に入れてしまったのだ。


 極端過ぎる? 漫画の読みすぎ?

 いやいや、そんなことはない。だって火だよ?


 相手を燃やすんだよ?



 そんな攻撃的な強い魔法を、果たしてちゃんと俺は使いこなせるようになるのだろうか。誰かを傷つけるような事になったら。



「よりによって、火の魔法なんだよね」



 そう、よりによってこの「花の国」で、なのだ。



 植物と火。これはどう考えても相反するもので。

 本当にこの国に馴染めるのか。


 そう思うと不安が増した。




(でも俺が火の魔法しか使えないというのは、誰にも変えられない。

 少しずつ、自分の力と向き合っていかないと)



 そうは言い聞かせても、中々上手く向き合えないのも事実で。


 やや沈んだ気持ちのまま週末を迎え、再び一人の時間を過ごすこととなった俺。



 空気を吸うためにと外へ出た。



 先週とは違う方向に行ってみようか。

 そう王宮内を歩いていたら、城からさほど離れていない場所にこの小川を見つけたのだ。



 川辺に腰を下ろし、広がる芝生へと仰向けに寝転んだ。所々に花も咲いている。

 周辺にはやや高めの木々が生茂り、葉や花の隙間からはキラキラと陽が差している。


 ゴロンと寝返りを打ち深呼吸をすると、芝生の青い香りが鼻に広がった。




 どのくらいそこで横になっていたのだろう。


 こちらに近づく足音に気づき、ゆっくりと身体を起こす。


「もしかして、タクミくん?」


「ロゼリス」


 振り向くとそこには、深緑色のワンピースに白いエプロンを身につけた庭師の女の子、ロゼリスが立っていた。


 一週間前に会った時と同じ格好をしている。


「仕事?」


「……これから報告に行くところ。タクミくんは?」


「休みで散歩中の休憩中」


「そうか、週末だから学校はお休みなのね」


「うん」



 王宮内にいるというのに、あまり建物が視界に入らぬよう木々が生い茂る、この場所。王宮自体の敷地も広いからそうなるのかもしれないが、彼女に声を掛けられるまで、王宮どころか異世界であることすら忘れてしまう程、ここは静かな場所だった。



「こんなところに川があるなんて、意外だったから思わず座り込んで見入ってた」


「私たち、植物や花を意図的に育てているけれどね。こうやって自然のままの場所も残したいね、って意見があって。それでこの辺りは緑が多いのよ」



 国をぐるりと見渡し見下ろせるこの王宮。国の中で最も標高の高い位置にあるという事は、元々山だった所に都を築き、城を建てたのだろう。


「ここ以外にはこういう自然はあまり残ってないのか?」


「ううん、王都の西側の方向に大きな森があるわ。この国の島の西側は、敢えて人は住まずに自然そのままにしているの」


「へぇ」


 側に立って話をするロゼリス。

 座ったままの俺は、彼女を見上げようとして、ふと視界に入った違和感に思わず口を開いた。



「その膝どうした?」


 彼女のスカートの裾から覗く足が、擦り切れている。女性の足を凝視してしまうのはいかがなものかと思うが、それを忘れてしまう程に、彼女の足は擦り切れていた。


「これ? あ、さっき植木に引っ掛けちゃって。でも洗ったから大丈夫」


 あはは、と笑いながら裾を揺らして何とか傷を隠そうとする彼女。庭師となるとそういう怪我はよくある事なのだろうか。


 先日疑問に思った事、彼女と彼女以外の庭師との違いについて思い出す。


「庭師の服ってスカート? パンツ? 選んで着ているの?」



 自分で選んで怪我をすると言うのなら、まあ仕方がないのか……とも思えなくはないけれど。


「うーん……それがね。色々と事情があっての上でのスカートなの。

 私は皆と同じパンツスタイルが良いのに。動きやすいし」



 そう苦笑いをした彼女。色々な事情か。きっと庭師の世界にも、その業界の人にしか分からない理由があるのかもしれない。

 それなら俺は意見できる立場じゃないから。



「あまり無茶して大怪我とかしないように気をつけてね。酷いと痕が残るかもしれないから」


 せめて注意くらいはしてほしい、と伝えると。


「あ……ありがとう」


 少しだけ頬を赤くした彼女が、ストンとその場に腰を下ろした。



 俺は再び芝生の上へと寝転んだ。

 隣にはロゼリスが膝を抱えて座っている。



「タクミくん、てっきり私と同い年くらいかと思ってた」


「あー、それは俺の国の人って、若く見られる顔が多いんだよね。他の国の人からはよく若く見られてたから」


「それは、ごめんなさい」


「いいや、そんな気にするなって」



 不思議な気分だ。


 笑って返すと彼女も笑う。

 ただそれだけの事なのに、何だか凄く心が和らいだ。


 学校とはまた違うところで、こうして新たに知り合いが出来たからかもしれない。

 これは誰かに俺の存在を知ってもらえている安心感というものだろうか。


 ……あれ学校といえば。



「ロゼは、学校には行かないのか?」



 年齢的にはガルベラたちと同い年の彼女。

 クラスメイトには女の子もいたので聞いてみれば、彼女の顔が僅かに曇った。


 あ、これってもしかしてタブーだった?


 そうか、マナーだけじゃなく日本とは進学や仕事に対する考え方がそもそも異なるのかもしれないんだ。どうしようかと言葉を探していると、彼女が先に口を開いた。



「王宮学園は、中等部よりもう少し詳しい勉強がしたい人が通う所なのね。

 この国は十五で大人の一員とみなされるから、十八にもなれば、私みたいに手に職を持っている人の方が多いと思うわ」


 俺の方を見て少し困ったように笑えば、学校の方へ視線を送った彼女。


「身分の違いで通えないとか、そういうのでは無いんだよね?」

「うん、通いたい人だけが通うところ」



 なるほど。

 とりあえず地雷を踏んでしまった感じではなさそうだけど、かといって軽々しく聞いていいようなものでもなかった気がする。


 こういった文化や価値観の違いの類いの話題は、ちゃんと俺が慣れるまでは発言に気を付けなければいけない、そう心に刻み、口を開く。



「そっか、ごめん。俺の国は、二十前後まで学生する人も多い所だったから、勝手にそう思っただけなんだ。

 俺も少し前までそうだったし。だから悪気があって聞いたわけじゃないんだ」


「うん」



「俺、この国に来て色々な人の助けがあって学園には入学できたけど。一人で稼いで生活していくために、必要な事を知って、ちゃんと仕事も見つけたいんだ」



 ガルベラやナタムたちとは、学校へ通う理由が違うかもしれない。


 俺は学生生活を送る中で、この国の事を、この国で生きるために必要な事を学びたい。例えば今のような、タブーがどうかの見極めについて等だ。



「タクミくんは、故郷には帰らないの?」


「………帰らないよ」



 本当は帰れないのが正しい。



 だから何としてでも、この国で生きていく術を身につけるんだ。


 魔法の事だけではなく、この国の常識や皆が持つ技術など、生きていくのに必要なあらゆる事を、だ。



 できるだろうか。俺が、果たして。

 不安がじわりと胸の中で滲みはじめる。



 しばらく沈黙が続いて、そして彼女が口を開いた。


「きっと、タクミくんならできると思う」



(あれ……スッキリした)



 不思議なことに心が軽くなった。


 たった一言、彼女が応えてくれただけなのに。


 彼女の言葉には力が宿っているのだろうか?それともそれほどに俺が不安でいっぱいだったのか。どちらかだろう。



「そろそろ私行くね。そうだ……これあげる」



 そう言って立ち上がった彼女が手にしていた籠から何かを取り出した。


 包みを渡され、中を見る。

 赤い実が添えられたクッキーだ。



「あのさ、ロゼ」


「はい」


「話聞いてくれてありがとう」



「…………」


 俺に聞こえないくらい小さな声で、何かを呟いた彼女は。



「あれっ……ロゼリス?」



 俺が一瞬視線を逸らした途端、姿を消した。


 再び辺りが静かになる。




 あまりの一瞬の出来事に、彼女が幻だったんじゃないかと己を疑いたくなる。


 そんな事は無いだろう、彼女が居たことはこれが証明している。

 そう手元の包みからクッキーを取り出し口へと運べば、甘い味が口の中へといっぱいに広がった。



 甘味を味わいながら、辺りの景色を見渡す。


 もう一度目を凝らしてみるが、やはり彼女の姿は見つけられなかった。



 彼女は、ロゼリスは人付き合いが苦手な子なのだろうか。出会った時もそうだったが、時々、視線を逸らしたり言葉を詰まらせたり、どこか難しそうに話す感じがする。花の話をする時は、饒舌だけど。それ以外はそんな感じがする。



(でも、嫌いじゃない。話をもっとしたくなる)



 一人でいた俺に声を掛けてきてくれた彼女だ。悪い感情は持たれていない気がする。

 それに足を止めて隣に座り、話を聞いてくれた。クッキーまでくれたのだ。俺はそれが嬉しかった。


 次会えた時は、今より少しでも長く話したい。


 少しでも楽しく話せるように、気持ちを切り替えたい。


 

 そう気合いを入れて立ち上がると、強い風が辺りを駆け抜けて、足元に咲いていた花の綿毛が、ふわりと天高くに昇っていくのが見えた。

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