文スト二次

日向永@ひゅうがはるか

おたおめ

谷崎くんおたおめ

「「お誕生日御目出度う御座います!」」「……御目出度う御座います」

「! わあ、有り難う!」

 何時も通りの出勤時刻、事務所の扉を開けた途端後輩三人の御祝襲撃を受け、谷崎潤一郎は一瞬ビクリとしたものの直ぐに笑顔を返した。

差し出されているのは眩しいほど色鮮やかな夏の花束だ。今年は梅雨の雲が中々去らず、気温と国木田の機嫌を例年より下げていたが、季節はそれなりに進んでいたようだ。

 今が盛り、と云っても観賞用の生花は安くない。中には自ら栽培したものも入っているようだ。三人分の心尽くしに礼を述べて自席へと向かう。

 先月誕生日があった先輩社員のサプライズ(になってなかったが)パーティーの際、「次は谷崎君だね?」とにんまりと悪魔の如き微笑みを浮かべていたその日の主役に怯え、必死になって穏便に済ませてもらえるよう主張したのが功を奏したらしい。机の上に積まれた贈答品に面映いものを感じるものの、後輩の御祝襲撃だけで勘弁して貰えたようだ。

「……谷崎、一つ歳をとっても大した成長はしないねぇ」

「……ハイ?」

 ぼそっと、然しやけにはっきり聴き取れる呆れたような一言が耳に入って谷崎は油が足りない機械のように静止した。

 隣の席、きょとんとした顔の宮沢賢治の奥にある机で棒付き飴を咥える江戸川乱歩を見る。視界の端に米神を抑えて顔を伏せる国木田独歩が入った。

 不吉の追い打ちのように中島敦と泉鏡花の声が響く。

「あれ? 大宰さん、今日はもう居ましたよね?」

「……下から連絡を受けて、扉の前へ行った間に居なくなった。多分、窓から抜けてる」

「……あー」

 向けられた名探偵の緑眼にこもってるのは僅かな憐れみである。

「医務室は何時でもお前の為に空いてる。……頑張れ」

「おやぁ……何か愉しい事が起こりそうだねェ」

「!!?!!!??!?」

医務室、の単語に反応してにやりと物騒な笑みを浮かべた与謝野晶子に、声にならない悲鳴を谷崎は上げた。

そして大本命がやってくる。

「兄様〜♥」

「あ、……嗚呼、ナオミ……」

 その美貌を歓喜の色に染め、普段の数割増しの色香を纏った妹にさあっと蒼ざめる。

 何時も共に出社する彼女は今日に限って探偵社の建物に入る前、一階の喫茶処に用事があると云って別れたのだ。自身の誕生日である事も覚えていたし、その時点で何かサプライズが仕掛けられるのだろう、と判断してそれなりに身構えていた為、悲鳴などは上げずに済んだが……そのまま彼女に付いていけばよかったのだろうか。

愛しき実妹の腕の中には極一般に市販されている帳面ながら凄まじい瘴気を発する物体が大事そうに抱え込まれている。原因となっているのはやけに女学生受けしそうな筆跡で書き込まれている題字である。

『㊙ポ●●●●●●流拷問術 壱之巻 〜初心者の為の刃物を遣わない拷問術〜』

(そっかー刃物は遣わないのかー)

そんな事に安堵している場合では無い。

「大宰さぁぁぁぁぁん!!?」

 一瞬自失した自分に変わって優しい後輩が執筆者であろう人物に抗議だか問合せだかの叫び声を上げてくれた。

「いやあ、谷崎君への誕生日贈答品、何にしようかナオミちゃんに相談したら、私にしか出来ない事があるってことになってね。今朝完成ほやほやだけど間に合って善かった! うんうん。そう言葉も出ないくらい喜んで呉れると右手の痛みも報われるねえ」

「大宰……貴様、仕事をせんか!!」

「……突っ込む所が違うのでは……?」

恐る恐る、谷崎の方を気遣わしそうにちらちらと見ながら敦が云う。くるくると右腕を回しながら開けっ放しの入り口から現れた大宰治と、その首根っこを掴まえて机に引き摺って行く国木田の先輩二人には、いつもの事ながら届いてはいないようだったが、その心が有り難い。

「……大丈夫」

 ナオミに抱きつかれて頬擦りされながら禍々しい贈答品の回避方法を考えていた谷崎の側に、音も無く近づいていた鏡花がよく通る声で囁いた。無表情が常である彼女にしてははっきりと同情の色が浮かんでいる。

「私が識っているものと同じなら命は保証される。唯熟練の手技によって諜報員の新人が手軽に地獄を旅行させられていた」

「旅行ですか? 善いですね!」

「ちっとも善く無いよ!?」

 漸く喉から飛び出した突っ込みに、谷崎は活力を取り戻した。我関せずといった態度で椅子ごと背を向けてる名探偵も「ううん? 刃物は要らないのかい?」等と呟いて口を尖らせている女医も、不思議そうに瞬きしている雀斑の少年も頼りにはならない。騒がしい区画を凝と見つめる和服の少女は優先順位が明確だ。その騒がしさの中心にいる蓬髪の先輩は論外として、眼鏡の先輩と白い髪の少年も心配はして呉れるだろうが……この探偵社で一番重要な能力は逃げ足の速さである。彼ら二人も例外ではない。

 身を護るのは先ず自分……!!決意を固めて妹と話をしようとした時、新しい声が響いた。聞くだけで背筋が伸びる様な声だ。

「扉が開け放たれたままになっていたぞ」

「あら……社長、お早うございます」

何時入ってきたのか、事務所の扉もきっちり閉め静かに此方へ歩いてくるのは、探偵社の社長福沢諭吉だ。事務員の顔になったナオミが(然し兄の腕を離さないまま)挨拶をする。

周りの社員もそれぞれの行動を止め、同様に朝の挨拶をするのを「嗚呼お早う。皆、今日も過ぎるほど息災だな」と軽く目を細めて受け止める様は流石の貫禄である。片手に猫の影絵と足跡模様の紙箱を提げているが、愛嬌という魅力が添えられているだけで少しもその威厳を損なってはいない。

 おそらく中身は西洋菓子だろう其の箱をそっと谷崎の机の上に追加したのを見て「あ、有難うございます!」と直ぐに礼を述べた。

「うむ、早めに食すように」頷きながら踵を返そうとした福沢がふと何事か見咎めた様に眉を上げて動きを止めた。

「其の帳面は?」

「どうぞ御確認下さいませ」

 問われてさっと拷問の手引書を提出するナオミに谷崎は心の中で快哉を上げた。やはり頼りになるのはこの人であった!

 眉間に皺を寄せながら、ぱらぱらと数頁に目を通した福沢は禁断の知識を封じるが如く勢いよく帳面を閉じ、耐えるような表情で沈思した。

「報告した対抗策を検討したい事柄というのは此れか?」

「はい!」

「……へ?」

きらきらと返事をするナオミの声に紛れて掠れた谷崎の声は聞き漏らしたらしい。福沢は歯でも痛いような顔をしている。

「遣わぬに越したことは無いが……相手方の手口を識ることは何よりも対抗策になるだろう。実践訓練の際は十分に安全に気を配るように」

「わあぁぁぁぁぁ!? 谷崎さーん!?」

 頼りの綱を予め切られていた事に気づいて立ち眩みを起こした谷崎は、遠くで慌てた敦の声と、妙にのんびりした双璧の会話を聞いて胸中で涙を流した。

「面白くはあるけど社長をオチに使うなよ。報告するぞ」

「ありゃりゃ。まあ本命は逃亡方法なので」


尚、ご機嫌な専属医と医務室の天井が、彼が目が覚めた時に再会したものであることを追記しておく。


〈了〉

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