サービス!露天風呂!!
「ん~……こんなもんかな」
シフの白く細やかな指が湯の中に入り、水面に波紋を起こす。
空はどこまでも青く、雲は風に身を委ねて空を泳いでいた。
シフは湯から手を引っ込めると、部屋へと戻る。
現在借りているアパルトマンに浴槽は無いので、シフが入浴を行う際は公衆浴場を利用するのだが今日は関係ない。
庭に少しぬるいぐらいの湯を用意する、暑い日だから丁度良いだろう。
「いやぁ~露天風呂だねぇ」
かつてのパーティーで行った温泉宿を思い出しながら、シフが呟く。
雪国の風情ある場所だった、そんなに楽しかったわけじゃないけれど、皆がいたし、雪が綺麗だったので悪くはなかった。
足取り軽く、シフは階段を上がっていく。
2階建てのアパルトマン、シフの部屋はその201号室である。
「ただいま~」
「グルル……遅いぞ……愚かなる人間よ……」
「いや、待たせちゃって悪いねぇ」
窓から日光が差し込む場所にべったりと腹をつけ伏せているのは、恐るべき暗黒冥炎獣デスヘルケルペロスのポチである。
その目はとろんと微睡み、思い出したように開いた時を除けばほとんど閉じているようなものである。
その金色の毛皮は暑さに弱そうであるが、炎獣の名に恥じぬ炎耐性を持つが、鼻は乾きやすいので油断ならぬ魔獣である。
「今日の供物は悪くなかったぞ……哀れなる家畜のミンチ肉に火を通した黒き料理……どこか食感がふわついていたが……ソースもさっぱりしていたが……それもまた良し」
「うんうん、気に入ってもらえてよかったよ、じゃブラッシングするね」
「クク……愚かなる人間よ……今日は我の機嫌を取るのに必死なようだな……」
身をかがめたシフがポチの長く柔らかな毛に櫛を通していく。
悪い感触ではない、櫛を通す度にポチの毛がピンと伸びていくようである。
「おすわり」
「クク……」
シフの言葉にポチがおすわりの姿勢を取る。
「お手」
「クク……」
左前足を前に出すポチ。
シフはポチの指を揉みながら、前腕部に櫛を通していく。
「おかわり」
「クク……全く我にここまでさせるとはな……」
反対も同じように。
「やめ」
おかわりどころか、ポチはおすわりまでやめてしまった。
今、シフの前にいるのは四つん這いの恐るべき冥炎獣デスヘルケルペロスである。
シフはポチの後ろに回り込むと、片足をついて後肢の部分にも櫛を通していく。
そうやって全身のブラッシングを終えると、ポチの金色の毛が太陽の光を受けて、一層強く輝くようであった。
「じゃ、散歩行くよぉ」
「ククク……全く、我の奉仕者として強い自覚を持ったようだな、愚かなる人間よ。これは我も少しは貴様に報いてやらねばならぬようだ……」
ポチは器用に階段を下りていき、先導するシフについていく。
階段を降りる音はどこか軽やかで、今日という日に捧げられたタンゴのようであった。
しかし、どうも様子がおかしく見えてポチはシフを見上げた。
路地ではなく、庭の方を目指している。
庭はそこそこの広さがあり、緑の絨毯のように良く整備されているが、しかし暗黒冥炎獣デスヘルケルペロスを散歩させるにはあまりにも狭い。
ポチは路地へ向かおうと身体を寄せていくが、シフは意に介さずポチを庭へと運んでいく。
「愚かなる人間よ……貴様ァ!!」
「今日はお風呂だよ~ポチ~!」
庭に置かれたタライのお湯は強い陽光で、ほどよいぬるめの温度のままに保たれている。
「少しはアタシに報いてくれるんだよねぇ」
「グルル……それとこれとは話が違う!!」
風呂に向かおうとする動きを止めようとするポチ、だが抵抗も虚しく自身の身体はぬるいお湯に浸かることとなったのであった。
ポチの金色の毛がぐっしょりと濡れる。
液体への接触面積を減らそうと、ポチがおすわりの姿勢を取る。
しかし、桶で組み上げられたぬるめのお湯がポチの頭へと降り注いだのである。
「シャワーだよ~!!」
「おのれェェェェェェェ!!!!」
わしゃわしゃと石鹸で揉みくちゃにされるポチの肉体。
激しい嫌悪感とは裏腹に、どこか心地よい感触がある。
だが、その感情を否定したまま、ポチはひたすらに唸り続けたのであった。
「グルルルルルルル…………」
「ごめんって~ポチ、家の中にタライ置いたらもう察するじゃん」
タオルでわしゃわしゃと身体を拭かれるポチ。
「よくも我の身体を好き勝手してくれたものだな……!」
忌まわしき水分を取られているのでもなければ、タオルをずたずたに引き裂いてやりたい気分であった。タオルは暗黒冥炎獣デスヘルケルペロスも認める遊具である。
「ほら、汚れ取れたよー、ポチ」
「グルル……」
ポチのどこか身体にまとわりつくような不快感が消えていた。
敵の返り血すら避けてしまえるほどに速い暗黒冥炎獣デスヘルケルペロスも、夏場は汚れるのである。
「今日のところは、この爽快感に免じて貴様を許してやろう……だが、次はないと思えよ……!!」
「うん次は(ツンちゃんの番だからアタシはしばらく)ないよ」
()の中を心の中だけに留め、シフはポチの頭を撫でる。
ポチは目を細めて、しばらくシフに撫でられたままでいた。
「もう今日の散策は良い……我は日の当たる場所で眠る……部屋に入れよ」
「はーい」
足取り軽く、二人はシフの部屋へと戻っていく。
行きに比べれば随分とスローテンポになった階段の音は、二人を眠りにいざなう子守唄のようであった。
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