第6話 【煌血】のローザネーラ
名乗り上げた吸血鬼――ローザネーラとやらが、妖艶さを振りまくみたいに藍色の髪をかき上げた。
その隙に、俺は全力で後退する。
ローザネーラは動かない。ただ、悠然と佇むのみ。
強者の余裕、というヤツだろう。
侮られまくっているが、今はそれがありがたい。
少しでも時間が欲しいから。頭の中を整理する時間を。
かーなーり、事態についていけてないからさぁ……!!
「……ネームド、ボス?」
「ああ、人の子たちはワタシをそんな風に呼んでいたわね。まったく、無粋だとは思わないかしら。こんなに美しい女を捕まえて、寄ってたかって化け物扱いなんて」
ローザネーラはやれやれと言いたげに肩を竦める。
そんな仕草一つとっても、いちいち美しい。まぁ、美少女具合では負けてませんが? ……って、何を競っているんだか。
と、いうかね?
ちょっと待て欲しい。
いや、待ってくださいな。
アナウンスさん、あなた、なんとおっしゃいました?
俺の耳が壊れていなければ……ボス、と。
そう、おっしゃったでしょうか?
しかもなんか、ネームドという余計なモノまで引っ付いていませんでしたか?
――――『ネームドボス』。
それは、俺が事前に調べておいた少ない情報の中にもあった言葉。
フィールドボスとは別に、『C2』の世界に点在する強大かつ凶悪な魔物たち。
その力と、過去に齎してきた被害から、畏怖を込めて世界より名を授けられた存在。
名と姿が出回っている個体の数は、十と少し。
そして、今までに討伐されているのは、たったの三体。
プレイヤーにはもちろん、時折NPCにまで被害をもたらすそいつらは、まさしく疫病神。
――出会ってしまえば一巻の終わり、素直に死を受け入れろ。
俺が情報収集に使ったサイトに書かれていた一文である。怪談かな?
妙におどろおどろしい赤文字ででかでかと書かれていたから、よく覚えている。やっぱり怪談じゃねぇか。
俺は、そんな死神の類義語みたいなヤツと、遭遇しちまった……と。
しかも、逃亡不可能で、死ぬまで戦えと言われる始末。
魔王からは逃げられないって、アレ本当だったんだなぁ。あっはっは……。
……。
…………。
………………。
……………………どうしてこうなったぁあああああああああああああああああああ!!!????
さ、流石にアレだよね!? じょ、冗談だよねぇ!!?
何!? なんか俺、悪いことした!?
あれか、ホーン・ボアを「ビジュアル的に微妙」とか言ったことを根に持ってるの? だとしたらごめんなさい。前言撤回する気はさらさら無いがな! つーか、罪と罰のバランスが取れてねぇよ!!
……ほら、見てくださいな、俺のステータスを。
レベルは4。
スキルはたったの三つ。
装備は全部初心者仕様。
しかも、【
見てわかるでしょう? 俺ってば超初心者! 完全無欠で究極のニュービーですよぉ!?
そんな相手に、あからさまに特殊で見るからに強そうなボスぶつけてくんなよぉ!!
イジメ!? 俺もしかして今、『C2』から盛大なイジメを受けてる!? しまいにゃ泣くぞコラァ!!
……なんて風に、驚きと不平不満を込めて、内心で捲し立ててみたものの。
「さぁて、下級悪魔のお嬢さん。そろそろいいかしら?」
目の前にいる化け物は、俺の内心など知らぬとばかりに声を掛けてくる。
にこり、とその美貌に笑みが刻まれる。
だが、爛々と輝く
それは、嗜虐性の笑み。自分が上位種だということを重々承知しながら、下位種をどう甚振り、嬲ってやろうかと考えている顔をしていた。
こいつにとって、俺は手慰みに丁度いい玩具という所か……彼我の力の差を考えれば、分かる話だ。
《鑑定》のスキルを持っていないから、ローザネーラのレベルがどれほどなのかを確認することはできない。
ただ、蟻と巨象が如き差が存在することだけは確かであろう。
それは分かっている。分かっている、が……。
「……楽しそうだな、ローザネーラとやら」
「あら、口を慎みなさいな、下級悪魔のお嬢さん。ローザネーラ様、よ。高貴なる
ぞっとするような気配を滲ませ、妖しく瞳を輝かせたローザネーラ。
俺の発言に機嫌を損ねたのか、自分の髪の毛を指先でいじりながら、嘆息混じりに呟く。
「そうねぇ……ああ、いいことを思いついたわ。ねぇ、下級悪魔のお嬢さん。貴女、助かりたくはなぁい?」
「……何?」
一転して、非常に楽し気な、ともすれば無垢な少女にも見えるような笑みを浮かべて見せた。
それにしても、「助かりたくない?」、だぁ?
まるで、俺をこの場から逃す気があるみたいな言い方をする。
よく言う。そんなこと、微塵も思っていないくせに。
身体中から濃密に立ち昇らさせている殺意も、瞳の奥で鈍く輝くサディスティックな欲望も。
真紅の唇の端に浮かぶ愉悦に歪んだ笑みまで、何一つとして隠していないくせに。
警戒を高め、大鎌の柄を握る手に力を入れた俺に、ローザネーラは特に気にした様子もなく続ける。
「跪きなさい。そして、ワタシのつま先に忠誠のキスをしなさい。地面に這いつくばって、遜って、無様に愉快な姿を、ワタシに披露してちょうだいな。そうすれば、何もせずにここから出してあげる」
示しなさい。誰が上で、誰が下か。それをはっきりさせるのです。
もはやあなたは哀れな道化。ワタシの手のひらで、その命が尽きるまで遊んであげる。
何処までも何処までも、上から目線な言葉、視線が、この身に叩きつけられる。
ああ、そうだ。確かに、俺はお前よりもずっと弱い。
「ふふっ、さぁ、どうするのかしら? ワタシに弄ばれて、その命を無意味に散らすのか。それとも、ワタシの言いなりになるか……選びなさい。貴女に許された選択肢は、その二つだけよ」
――さぁ、選択を。
そっと差し出された指先が、そう急かしてくる。
だから、俺は――。
「……分かった」
構えていた大鎌を、だらりと下げる。
視線は地面に。
そして、枯れた大地に乾いた音を鳴らしながら、ローザネーラへと近寄っていく。
全てを諦めたかのように。
無力を噛み締めているように。
重い足取りで、一歩、また一歩と脚を動かしていると、前方から小さな嘲笑が聞こえてきた。
「そう、それが貴女の選択なのね。賢い子は好きよ」
笑みを堪えているような声。
ああ、そうだ。これが、俺の選択だ。
やがて、彼我の距離が一足と少しほどになる。
俺は、ゆっくりと顔を上げた。
嗜虐に震える
その美しい顔に、三日月状の笑みが浮かんで――。
「あはっ! さぁ、下級悪魔のお嬢さん、貴女の答えを見せて頂戴な――――ッ!!?」
――――故に、隙だらけ。
予備動作は、最小限。
俺に出来る最大限の技量を尽くして、片手にぶら下げた大鎌を跳ね上げる。
振るわれた斬閃は、余裕綽々で俺が跪くのを待っていたローザネーラを襲った。
驚きに染まる奴の表情。はっ、その顔が見たかったぜ!
流石の反応速度を見せ、のけぞるようにして回避行動をとるが……おせぇよ。
薙ぎ払われた大鎌はローザネーラの頬をかすめ、その白い肌に赤い線を刻んだ。
鮮血が宙を舞い、ぴちゃり、と俺の頬を打った。
信じられない、と言いたげなローザネーラの視線が、俺を貫く。
「……それが、貴女の選択? このワタシに逆らうというの? 絶対に敵わないと分かっていながら、愚かな選択をするの……?」
震える声音に込められた感情は、驚愕と――怒り。
自尊心に傷を付けられた。高貴なワタシに、よくも――そんな声が、透けて見える。
それにしても、愚か、愚か……ね。
――――ハッ、上等ォ!
「……お前の言いなりになる? ああ、そうすれば助かるのかもな。そっちの方が確かに、賢い選択なのかもしれない――――だが、
威嚇と戦意の意味を込めて、大鎌を横に一閃。体勢を低くし、いつでも動けるように構えを取った。
いまだに驚愕が抜け切っていないローザネーラの瞳をまっすぐ睨み返す。
そのうえで、口元に浮かべるのは笑みだ。
獰猛に笑って、お前なんぞに怯え屈してやるものかと、気炎を上げる。
「グダグダ言ってないで、やろうぜ? 一つの選択肢を蹴っちまったんだ。残ってんのはたった一つ――俺は、テメェと戦うぜ」
そう、それが俺の答え。
相手が強い? レベル差がある? 挑むなんて馬鹿げてる?
まったくもって言う通り。正論過ぎて涙が出てくる。ぐぅの音も出ないとはまさにこのことか。
ああ、でも――それで?
正論、正道、正しい答え。
なんだそれは、いらんいらん、必要ない。
そも、この状況をよくよく見てみろ。
突然の強敵襲来、圧倒的強者からの甘美な勧誘、伸るか反るかの大博打。
――――ここまで盛大なフリに応えてこそ、エンターテインメントってもんだろぉが!!
強者にNOを。なんだか今、非常に配信者ぢからが高まっているのを感じる……!!
「馬鹿にして……!!」
俺の言葉に、驚愕が一転、ローザネーラの顔に凄まじい怒りが浮かぶ。
先ほどまでの余裕は何処へやら、バッ、と片手を横に薙ぐと、手のひらに深紅の光を灯した。
「【
展開される赤き魔法陣。そこに手を突っ込んで、何かを引き抜いた。
ずるり――と。這い出てきたのは、粘性の液体。
重力に逆らうように宙を漂うそれは、ローザネーラが翳した手に集まり、変形し――大鎌となった。
同じ武器……当て擦りか? なんかムキになった子供みてぇだな。高貴なる真祖の吸血鬼さんや、それでいいんですかぁ?(煽り)
……いやでも、なんか向こうの方がかっこいいな。装飾とか、真紅一色なのもなかなかにクールだし。
まぁ、俺の大鎌、初期装備だし? 思いっきり《初心》って書いてあるし? ビジュアルで負けるのはしょうがないよね……。
それ以外の装備を加味すれば、色物感では負けてないしな! ……自分で言ってて悲しくなってきた。
「痛めつけてあげるわ、悲鳴も上げられないくらい。殺してあげるわ、惨たらしくね」
ローザネーラは謳うように告げると、手にした大鎌を一閃。
……わぁお、今の斬撃、まったく見えなかったな?
やっぱり如何ともしがたいステータス差……まっ、やれるだけやらせて頂きますよ。
「愚かな選択を、後悔しなさい……!!」
「やーなこった――行くぞ?」
戦いの幕が、切って落とされる。
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