第4話 門出と誓い

 なぜあと数ヶ月が待てなかったのだとなじる父に、彼は言いました。


「ミラベル嬢がマスコミに追われ続けて憔悴しきっているらしいと、使用人づてに聞いたのです。どうか彼女を、今すぐエルスター領区へお連れするご許可を下さい!」


「だがエルスターへ行ったところで、好奇の目に晒されるのは同じことだろう!? しかも今君と行動を共になどしたら、マスコミはどう解釈すると思う。殿下の思う壺だ!」


「恐れながら、エルスターは辺境にあります。未だ情報には疎く、首都で起こったゴシップを気にしている人間などほとんどおりません。それに一度エルスターの地に踏み入れてしまえば、我が領民たちは全力で僕の花嫁を守ってくれることでしょう」


「我が領民……か。今時そんな呼び方を自信満々にできる貴族が残っていたとはな。よかろう。どうか娘を……世間の悪意から、守ってやってくれ」


「はい。──必ず」


 ここから離れて遠くに行ける──その具体的な段取りを彼の口から聞かされると。私の心はまるで重石を取り除いたかのように軽くなりました。




 ──その数日後。私が屋敷の正門から堂々と出発した途端。スクープに飢えたマスコミが、行く手を阻むように馬車の周りを取り囲みました。


 私はドアを大きく開けさせて立ち上がると、背筋を伸ばして優雅に口を開きました。


「殿下はご身分の壁を乗りこえて、真実の愛を見付けられたのです。私は殿下とそのお相手の女性を、心より応援しております」


 そう言って──私は最後に、毅然と微笑むことができました。



 街の外れに新しくできた駅でアイザックと落ち合うと、そのまま私たちは首都を離れました。


 その後どうなったのか……首都から離れたこのエルスターの地には、あまり聞こえて参りません。ただ王子様と平民の娘の奇跡の恋の物語へと、世間の興味が移り代わることとなったのは確かなようで……その後マスコミが、私を追いかけてくることはありませんでした。



 *****



 首都から去った、あの日。私たちを駅で待っていたのは、最近外国から輸入して導入されたばかりだという、最新鋭の蒸気機関車でした。


 黒くそびえるこの大きな鉄の塊が、まさかひとりでに走ってゆくなんて。黒煙を噴き上げながらホームへと入るその姿を見ていると、私は改めて時代の変化を思い知らされるような気分でした。


 客車の中は通路沿いに仕切り客室コンパートメントが並ぶ造りになっていて、ドアを開けると内部は小さな個室になっています。私たちは向かい合うように設置されたソファのそれぞれ窓際に腰掛けると、物珍しそうに窓の外に目をやりました。


 列車が石造りの街並みを抜けて郊外へ出ると、窓の外には緑の丘陵が広がっています。所々でのんびりと草をむ白い羊たちの姿を、ぼんやりとながめているのにも飽きたころ。ふと向かいの席に目をやると、窓枠に肘を乗せて眠る彼の姿が目に入りました。


 彼はここ数日、私をエルスターの自城に迎えるために、ほぼ寝ずに動いてくれていたというのです。私は彼を起こさないようそっと席を立つと、彼の隣に座りなおしました。


 寝顔は彼をいつもより少しだけ幼く見せていて、知り合って間もない頃のシェリンガム君の姿が重なって見えるようです。


 ──図書室に到着した私がその姿を探すと、彼は机上に伏して居眠りをしているところでした。窓から差し込む光を浴びながら、それでもすやすやと寝息を立てている彼に、そっと近付くと。彼の淡いアッシュブラウンの髪、そして同じ色の睫毛はまるで絹糸のように輝いていて……思わず吸い込まれるように顔を近づけていった私は、ハッとして慌てて身を起こしました──


 ……でも今はもう、あの時のようなしがらみはないのです。心惹かれるまま、その柔らかそうな見た目に反して私より少し硬い髪に口づけると……急にパチリと青い瞳が開きました。


「い、いつから起きていたの!?」


「……君が、隣に座ったくらいかな」


「起きているのなら、言ってくれればいいのに!」


「……まさか君の方から寝込みを襲ってくるとは思ってもみなかったよ。まったく、僕がどんな思いで我慢してるかも知らずに……」


「おっ、おそうなんて、私っ……!」


 羞恥に顔を染めた私は慌てて立ち上がって逃げようとしたものの……揺れる客車に足を取られ、気づけば彼の腕の中にすっぽりと収められてしまいました。


「先に手を出したのは君だから」


「あ、あれはそんなのじゃな……」


 私のあげた小さな抗議の声は、すぐに列車の騒音に紛れ込み……あえなくかき消されてしまったのでした。



 *****



 エルスター領区に到着した私たちは、日をおかず城下にある小さな教会で式を挙げました。


「その健やかなるときも、病めるときも、富めるときも、貧しきときも。これを愛し、これを敬い、これを慰め、これを助け……その命ある限り真心を尽くすことを、誓いますか?」


 司祭様のおことばに、私はひとかけらの迷いもなく答えました。


「誓います」


 私が一番辛いときを支えてくれた彼を、今度は私が支える番なのです。


 式は僅かな親族のみが集まる簡素なものでしたが、教会の大扉を出て、私は驚きました。そこには大勢の人々が詰めかけて、口々に歓声を上げていたのです。


 たくさんの花びらが祝福の言葉と共に降り注ぐ中を、私は彼と共にゆっくりと歩いてゆきました。夢のようなひとときが終り、ようやくオープンタイプの馬車に乗り込むと。まだ驚いている私に、アイザックは言いました。


「彼らは昔から当家で働いてくれている人たちだよ。僕はあの城と、彼らの暮らしを守りたい」


 アイザックの目線の先には、かつて貴族が栄華を誇った時代そのままの姿を残した壮麗な古城が、丘の上に静かにそびえています。ようやく実感のわいた私は、決意を込めてうなずきました。


「微力だけれど、私もお手伝いするわ!」

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