第二集 辺境の厄災

 太安二年(西暦三〇三年)――。


 ねい州の州府が置かれている建寧けんねい郡、まい県。その県城の人口は千人ほどで、州府が置かれている城市まちとは思えないほど非常に小さな城である。

 未開の密林が多く、漢人の入植自体が少ない事もあり、中原の基準では小城であるこの味城でさえ寧州では大きな城と言えた。


 そんな味城の中に建てられた兵舎の庭で、李秀りしゅうが独り、刀法の訓練をしている。その刀は雁翅刀がんしとうという細身の刀で、片刃ではあるが刀身が直剣のように細い。この時代に一般的な刀身の幅が広い刀に比べると軽量である為、小柄な李秀にも扱いやすい武器である。


「精が出るな、淑賢しゅくけん


 李秀をあざなで呼ぶ者はそう多くはない。振り返った先には、彼女よりも幾分か年上の十代の少年がいた。

 少年の名は王載おうさい、字を昇之しょうしと言った。元々は巴蜀はしょくから寧州に派遣された兵士の子であり、戦死した父の後を継ぐように兵に志願した者である。

 李秀にとって、この寧州で生まれ育った同世代の漢人として非常に仲の良い幼馴染であった。寧州刺史の子と、一兵士の子と言う身分差はあるのだが、幼少期からの付き合いである事から、個人間に於いて互いにそれを持ち込む事は無かった。


「昇之もやる?」

「手合わせか? そんなの俺が勝っちまうに決まってるだろうよ」


 そう言って挑発する王載であったが、いつもの冗談めかしたやり取りである。李秀の武芸の腕の上達に内心では彼も一目置いていた。


「そろそろ負けそうだから、逃げ始めたってわけね」


 李秀の方も挑発には慣れた物で、笑顔でそう返した。互いに談笑している中で、自然と現在の情勢についての話へと移り、二人の顔から笑みが消えていく。


 この時期、彼らの故郷である蜀の地、えき州では、異民族であるてい族に率いられた北方からの流民が押し寄せて暴徒化し、益州の州府が置かれている大都市、成都せいとにまで迫っていたのである。

 益州刺史である羅尚らしょうは、流民軍の掃討の為、周辺の州に援軍を要請した。

 北の漢中かんちゅうからはりょう州刺史・張殷ちょういんが、東からはけい州刺史・宗岱そうたいが、そして南からは李秀の父である寧州刺史・李毅りきが、三路から益州に攻め寄せて包囲殲滅するという話となっているのだ。


 ほとんどの寧州兵にとっては、故郷である蜀の危機である。勇んで馳せ参じるは望む所であるが、同時に南蛮なんばんという後顧の憂いが存在しているのも事実である。

 それゆえに先日、李秀の発案による誘因策で出鼻を挫き、その後に主要な南蛮の集落へと停戦の使者を送って話を付けたのだが、どうにも不安は拭いきれなかったわけである。


 そして何よりも、現在の寧州では疫病が蔓延しており、民も兵も熱病で寝込んでいる者が多く、死者もかなりの数に上っている。

 故郷の危機であるという状況で、今この時に兵を出さねばいつ出すのかと勇む声と同時に、その出兵自体が現状では無理な話という意見も多く出ていたのである。


「兄上ならば、何と言うだろうか……」


 李秀は思わず呟いた。李秀の兄である李釗りしょうは既に成人しており、都へと赴いて外兵郎がいへいろう(軍の士官)へと出世していた。中枢での政争に翻弄されてはいるが、故郷である益州、そして父や妹のいる寧州は常に気にかけており、今度の益州出兵では荊州軍として参じるという知らせが先日届いた所である。

 仕官する以前は李釗もまた寧州で育っており、李秀の幼馴染である王載にとっても、李釗は実の兄に等しい存在であった。


 益州の危機、疫病の蔓延、そして寧州の防衛。それら全てを好転させられる正解がどこにあるのか、李釗とて決断に苦慮するであろう。離れた土地で尽力する彼に思いを馳せた王載も、李秀の呟きに答える事は出来なかった。




 そんな混乱の最中、寧州を揺るがす出来事が起こる。停戦交渉を堂々と破り、今までに無かった程の大軍勢を以って南蛮の一斉蜂起が起こったのだ。

 雲南うんなん永昌えいしょうと言った、奥地の城が次々と陥落。この事態を収めない限り益州出兵その物が不可能な状況に追い込まれたのである。更に疫病の蔓延は留まる事を知らず、将兵も次々と倒れてしまっているのだ。


 個別での守備によって戦力を分散させては各個撃破されてしまうと判断した李毅は、周辺の支城に早馬を走らせると、城を一旦放棄して味城へと集結するように命じた。そして動ける将兵を集め、即座に支城から撤退する兵や領民を援護に回ったのである。

 この撤退の際、動く事が出来ない病人たちが各地の支城に取り残され、悲劇的な最期を遂げたであろう事は想像に難くない。

 李毅とてそれを想定していないわけはなかったが、このまま各個撃破されて全ての支城が陥落すれば、全員が同じ道を辿る上に、寧州そのものを失陥してしまう。それは指揮官としての苦渋の選択だった。


 李秀も王載も、共にこの撤退援護にそれぞれ参加する事になる。密林の中の悪路を、何とか歩ける病人を抱えて長蛇の列で進む民たち。いつ周囲の茂みから蛮族に襲われるかもしれないという恐怖の中、馬で護衛する将兵たち。


 幸いな事に李秀の守備していた民たちは襲撃を受けることなく味城に到着した。間もなく別の隊列も到着し、王載も無事に帰還する。

 しかし父である李毅の指揮する本隊はいつまで経っても帰っては来ない。李秀のみならず、指揮官である寧州刺史が戻らない事に、味城の全員に焦りの色が見え始めている。


 密林の向こうに陽が落ちるという時になって、大勢の民が慌てた様子で味城の方向に走って来るのが見えた。すぐさま城門の中に迎え入れ状況を聞くと、雲南方面から撤退する民の列が南蛮の大部隊に襲われ、李毅率いる将兵たちが殿軍しんがりとなって民を逃がしたという事だった。


 李秀らはすぐさま兵馬を集めて民の駆けてきた方向へと進んだ。散り散りに逃げ延びてきた民を味城へ誘導しながら、奥へと進む。

 既に辺りは陽も沈み、空は満天の星空、周囲の密林からは虫や獣の合唱が聞こえていた。


 周囲に敵の伏兵が潜んでいる可能性もあったが、それを警戒する余裕もないまま、李秀は密林の先に見える松明の光に向かって駆けた。

 近づいた李秀たちの目に映ったのは、何とか生き残った将兵たちが、満身創痍の様子でふらふらと撤退してくる姿であった。その人数からすれば、多くの将兵が命を失っている事が嫌でも伝わってくる。

 幸いな事に李毅の姿もあったが、体に数本の矢が刺さり、兵に肩を借りている状態だった。


「父上!」


 馬を飛び降りて駆け寄った李秀に、李毅は弱々しく笑顔を見せた。


「お前は無事であったか……」


 李毅を自分の乗ってきた馬に乗せると、共に来ていた王載らもそれに倣うように負傷兵を馬へと乗せ、周囲を警戒しながら味城へと撤退した。


 この撤退戦によって、寧州兵の将兵、特に部隊を指揮できる指揮官のほとんどが戦死してしまった事は大きな悲劇であった。

 味城へと撤退できた李毅もまた、体に受けた矢が毒矢であった事もあり、城に着いた頃には既に会話が出来る状態ではなくなっていた。李秀を始め部下たちの看病の甲斐もなく、李毅は数日後に息を引き取った。


 寧州刺史を失い、軍を指揮できる将軍たちもほぼ全員が戦死。こうして味城には、部隊の指揮をした事が無い兵士たちと、大勢の民だけが取り残される事になったのである。






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