夏日追想

もやし

一日目

 あれは私が、まだ少年と呼ぶべき年だった頃の話です。

 まだ一人称が、僕、だった頃の話です。


 ある夏休みのことです。僕は親に連れられて、父の実家だという山奥の村に来ていました。当時すでに普及していたネットは繋がらない、辛うじて電気水道が通っているというくらいの田舎でした。

 父は、二日後にお祭りがあると言って、その準備をするから好きに遊んでていと言いました。お祭りは十三年に一度あって、前回は僕が生まれるすぐ前にあったそうです。


 そんなわけで、その辺を歩き回ることにしました。といっても周りにはほとんど見渡す限りの畑、たまに家と山があるといった場所でしたので、対してみる場所もありません。興味を引かれるものは都会では簡単には見られない虫くらいでした。


 アスファルトも引かれていない、小さな山に沿って緩やかに曲がる道を歩いているとき、少しだけ異質なものが見えてきました。

 そこには石造りの鳥居があって、それは長年放置されていたようでかなり苔むしていました。鳥居の下を見ると道があり、それは山の奥へと続いていました。

 しかし、僕にとってそれは目の端に入る背景に過ぎませんでした。なぜなら、その鳥居の上、少し首を上げないと見えないようなそこに、一人の女の子が座っていたからです。

 その女の子は、見たところ当時の僕と同い年くらいで、長い黒髪に麦わら帽子を被せ、白い無地の、ノースリーブのワンピースを着ていました。そして鳥居に座って足をぶらぶらさせている様子は、端的に言って、可愛いな、と、少しだけ見蕩れました。それに加えて、足の動きに合わせてスカートがはためいて、僕はそれを下から見上げていたもので、子供心に、少しだけ、目を逸らしました。


 その鳥居はこんな田舎に、それも参道の入口にある割りには立派で、高さは三メートルぐらいありました。そんなところに彼女はどうやって登ったのかと思いましたが、こちらを見るやすぐに彼女はふわっと飛び降りて、全く危なげなく僕のすぐ隣へと着地しました。

 僕は呆けながら挨拶をしましたが、どうやら彼女は口がきけないようでした。結局最後まで、僕は彼女と一言たりとも会話をできませんでした。


 困惑半分見惚れ半分で固まっている僕に、彼女は小さく身振りをしました。それは明らかに、ついてきて、と言っているようでした。僕が頷くと、彼女はその鳥居の横をくぐって参道を歩いていきました。

 僕はその後を追って、一メートルくらいの間をあけて石畳の道を歩きます。道は平坦な場所と階段が半々くらいで、やはり古びていました。細い道以外の場所は、木が深く生い茂って少しの先も見えないような所でした。

 しかしながら、体感で百メートルくらい歩いた後彼女はふと道を外れ、その森へと入っていきました。見失わないように後を追いましたが、低い位置にまで生えた枝葉や地面をでこぼこにする太い根があって、簡単に進んでいける場所ではありませんでした。彼女はそれらがまるで無いかのようにするすると進んでいきますが、僕がそれらを避けたり、足を取られたりして進みが遅れるたび、振り返って待ってくれました。


 斜面に対してほとんど真横に歩いて僕の身体にいくつかの擦り傷ができた頃、彼女が急に立ち止まったので、僕はやっと彼女の横に立つことができました。

 するとそこで急に森が途絶え、そうして開けた視界に、美しい滝壺が飛び込んできたのです。

 それは陽光を反射してきらきらと輝き、一部だけは深いようで円く闇を湛え、奥の滝にはそのしぶきに虹が架かっていました。それは川となって流れ出し、村の遠くの方まで続いていました。

 彼女の方を見やると、彼女はこの景色にはまるで興味が無いかのように僕の方を見ていて、それでいてとても楽しげでした。

 これを見せたかったの、と僕が問うと、カノジョはゆっくりと頷きました。

 しばらくそれを眺めていると、次第に日が傾いてきました。橙色に染まる水面はそれは美しかったのですが、僕はそろそろ帰らないといけないと考え始めました。

 名残惜しいながらも来た道を戻り、元の鳥居の手前で彼女と別れました。彼女は手を振って、歩く僕を見送りました。僕は、明日もまたここに来ようと、密かに決意しました。


 家に帰ると、既に晩ご飯が準備されていました。その食卓を囲んで、僕は親に今日の出来事を話しましたが──彼女のことは一つも言いませんでした。当時の僕にとって、同年代の女の子と遊んだというのは、親に話すにはあまりに気恥ずかしいものでした。



  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る