三章
更衣室は狭いらしい
街を行き交う人々も、ギルドで依頼を吟味していた戦士達も、突如鳴り響いた警報に皆が足を止めた。
『こちら管理局。ギルド【アスコーリア】さんは平原でオーガの群れを止めて下さるという事ですが、確か別件で人員が足りてないはずでは?……本当に大丈夫ですか?まぁいいです、とりあえず急いで下さい。────ええと、学園にも繋がってるんだっけ?』
『はい!リタと申します。我がギルド学園も、街と市民を守る為に尽力させていただきます』
『助かります~!生徒さん達は何人ほどお借りできそうですか?』
『遠征中の生徒を除けば1500人前後ですが、一年生はあまり危険な任務には行かせられないのです。大手ギルドの配置をお聞きしてもいいでしょうか?』
『北平原に【アスコーリア】。南門に【ホワイトナイツ】と【カーフリベア】。南東の森から迂回してゴブリン村へと向かうのが【グルム】【ブリランテ】【輝紅】【スワンちゃんのハッスル肉包丁】』
『なんですかそのギルド名は』
『生産ギルドなんですけれど、一部のメンバーが戦えるみたいなんで、一応……』
『そ、そうですか。でもやはり、100万人の命を守るにはギルドの数が心許ないですね。時期も悪いですし』
『そうなんです。【ジェネラル】も【竜の旗】も、タイミング悪く遠征中で……だからお願い!!生徒会の方々に力を貸して頂けませんか!?北平原が圧倒的に火力不足です』
『あー、そうしたいのは山々なんですが、あの子達はちょっと……トラブルがありまして』
管理局から街中のギルドへ、またはギルドからギルドへ。状況確認や人員配置、市民の避難誘導など、通信オーブを用いての直接のやりとりが各所で行われた。
ゴブリンのスタンピードは強豪ギルドが力を合わせ、防衛と囲い込みに分かれる作戦。それ以外のギルドはゴブリンに触発された周辺の魔物達の対処に追われた。
生徒らが続々と戦闘準備を整えて学園を出て行くなか、生徒会室の面々は第三の問題を前に二の足を踏んでいた。
「ふ、2人は……!先輩達は大丈夫なんでしょうか!?」
やや取り乱し気味のマリに、「落ち着きなさい」とマリヤは言う。
「でも今の……オーブも
「そうそう!グシャッてなってたよ?グシャッて。ゴブリンどころじゃないよ、あたし達も洞窟に行かなくていいの?」
何も言わないがユリナとシェーネルも動揺していて、マリに至っては今にも泣き出しそうな顔をしていた。
2人は果たして生きているのか、それとも…という次元の心配をする空気のなかで、だがミリカだけはあの瞬間に見ていた。
「待ってみんな!先生、さっきオーブに何かしませんでしたか?」
正体不明の魔物の攻撃が2人を襲う直前。オーブの操者はマリヤに切り替わり、彼女は右手を自身側に裏返して強く握りしめた。反応したオーブが白色の輝きを放った直後、砕かれたのだ。
「それ、本当か?」
リオの驚きを含んだ確認にミリカは頷いた。
「本当に一瞬だけだったけど」
「先輩達だけを見てて気付かなかった……それは『
シェーネルがそう言った。
「
「対象を瞬時に不特定の場所へ転送する魔法。支援オーブに組み込まれた第4の支援魔法だが、常人には使えないものだ」
説明したのはカレンだった。彼女も、マリヤの咄嗟の判断を見ていたようだ。
マリヤは沈黙するオーブから手を下ろした。
「オーブが割られる直前に、2人を洞窟内の別の場所へ転送した。少なくとも今のエスカルクイーンの攻撃は食らっていないわ。なるべく浅い層に飛ばされていればいいのだけど」
「場所を指定できないのが不便な点ですね」
と、エアートが付け足した。
「それじゃあ、先輩達は生きてるんですね!」
「「よかったー」」
ミリカ達は強張っていた表情を安堵に緩ませた。常に危険と隣り合わせの世界とはいえ、自分の身近な仲間が居なくなるとは思いたくなかった。
それぞれに息をつき、ひとまずの安心を噛み締めるが、マリヤ達3人の意識は既に次の段階へと向いていた。
「アーミア。管理局は生徒会を必要とする筈だから、ギルドの通信担当に4人の不在を伝えて」
「分かりました先生」
「その替わり、一年生の6人にゴブリン村の鎮圧に加わってもらうわ」
「えっ!」
ミリカ達は当然、一体何を言い出すのかという反応を示す。
「先輩達がまだ洞窟にいるんでしょう?」
「その件なら心配要らない」
シェーネルの確認に、マリヤはそう答えるだけ。
「カレン先輩とエアート先輩だけで2人を救出しに行くってこと!?あたし達は~?」
「俺達は手伝えないんですか?」
「洞窟という場所は、ベテランの冒険者でも油断すれば全滅しかねない魔境です。そして狭くて、大人数では逆に不利になる。だからカレンと私だけで潜入するほうが、かえって安全なのですよ」
落ち着きを失いかけた彼女らに、エアートの柔らかで説得力を伴った声が浸透していく。さらに彼は、固唾を飲んで見守っているマリへと安心させるように微笑みかけた。その一瞬に師弟のような絆があった。
「さすがに一年生を洞窟に行かせるわけにはいかないな。エスカルクイーンだっている」
カレンの声は、いつもと違って固い。
「でも、本当に2人だけで大丈夫なのですか?」とユリナ。
「予備の支援オーブを使うわ、私が操作する」とマリヤ。
あの魔物はエスカルクイーンというのか、と頭のメモに書き足しながらミリカはふと、ある考えが浮かんだ。
「じゃあ、お願いがあるんです。北からやって来てるオーガの群れの中に、きっとギガースもいますよね?」
「え、あ、はい!ギガースもいます」
ミリカの質問にアーミアは慌てて答えた。
「私達にそれの討伐をさせてもらえませんか?」
一瞬の沈黙の後。
「お前達の実力は認めているが、3年生でも倒せなかった相手だ、無謀すぎる」
未だカレンの声は固く、しかしミリカは折れない。
「こないだのザストの件、挽回したいんです。お願いです、やらせてください!」
「わ、私からもお願いします!ミリカちゃん達と一緒に頑張りたいんです」
「あたしもギガース殴りたいよ~!」
「俺も俺も」
「遠足じゃないんだぞ全く。こういう場合、経験の多い者が北へ行き、それ以外はゴブリンと決まっている」
「う~、先輩のけち~」
「けちで結構、ダメなものはだめ」
「まぁまぁ」
エアートが苦笑しながら両者の間に入る。カレンは大事な後輩を危険に晒したくない。ミリカ達は成果を上げて生徒会に貢献したい。互いを思いやる故の意見の相違だった。そこでアーミアはとある事を思い出し、あっと声を上げる。
「どうしたアーミア?」
「先ほど管理局から連絡がありまして、リタさんが言うには、ギルド【アスコーリア】が人員不足のままオーガの群れに突っ込んだので、至急生徒会の応援求む、と」
「ほら!ほらぁ、聞いたでしょ?あたし達の出番ってワケ!」
弾けるように喜びの舞を踊るセラカ。カレンは溜息をつき、一体どうしましょうと言わんばかりにマリヤを仰ぎ見、最後の判断を彼女に委ねた。
「……いいでしょう、行ってきなさい」
6人はぱっと表情を輝かせて、互いを見合って小さく喜びを共有した。
リオは盾や鎧を身に付け、ユリナは胸当てを装着してから剣を取り、ミリカとシェーネルはケープを羽織って杖を握った。マリは杖だけを取り、セラカはグローブだ。
「あたしのグローブは~?」
「ここにあるだろ。ほらよっと」
「よっと!」
「ナイスキャッチー」
「更衣室の掃除当番は誰~?汚くて敵わないわ」
「当番とかまだ決めてないんじゃない?」
「マリ、私のブーツ取ってくれる?貴方が今踏んでるそれ」
「わっ、ごめんなさいユリナちゃん!はい、どうぞ」
「ミリカ!俺の鞄の上に座るなよ!」
「ごめんごめん~」
「せんせー!更衣室もっと広くしたらー?」
「考えとくわ」
姿の見えないセラカの声に、マリヤは面倒そうに答えた。
「ていうかこの学園、部屋余ってるよね?元はお城だったんだから」
「痛っ!頭ぶつけちゃった」
小さな更衣室は騒がしい。
「……ハッ! こうしてはいられません。私はリタさんに報告をしてまいります!皆様、どうかご武運を!」
元気に青い髪とスカートを翻して出て行ったアーミアも、心なしかワクワクしているように見えた。
「準備が整いました」
全員が更衣室を出た時、6人を代表してユリナが言った。
「無茶だけはしないと約束しろ。分かったな?」
カレンの念押しにユリナが応えようとすると、背中をグイグイ扉口まで押される。ミリカとセラカだ。
「分かってますって!まかせてくださいよ~」
「先輩達もお気を付けて!では、行ってきまーす!」
リオとシェーネルも続いて、忙しない一年生達が生徒会室を飛び出して行く。困惑していたマリが最後に残され、迷った末に、申し訳なさそうにマリヤ達へ頭を下げてから皆を追いかけて出て行った。
どこまでも真っ直ぐで能天気な彼女達の行く末を案じ、本当に大丈夫かなぁとぼやくカレンなのであった。
ロークスが到着したのは、カレンとエアートが装備を整え、まさに東の森へ出発しようとしていた時だ。
「二年生は南東から遠回りのルートでゴブリン村へ向かいました。一年生は門付近で待機。北方面はマカロン先生が対応しているかと」
「ご苦労様です。アルトとユーファスの件はもう知っていますか?」
「先程アーミアから聞きました……行くのか?」
聞かれて、「はい、今から」と、支援オーブの子機を手にしたカレンは答えた。
「では、私達も行ってきます。先生、本当に更衣室は別に作ったほうがいいと思いますよ」
「……考えとくわ」
二度目の提案にマリヤが静かに応えると、2人はふっと微笑んで廊下に消えた。
「北へ向かい、マカロン先生達と合流して下さい」
「ですが、」
そこで言葉を切ると、ロークスは目線だけで辺りを確認した。2人の他には誰もいない。
「彼らは」
一年生がいない事を言っているのだろう。
「6人で北平原へ向かっているはずです。目標はギガースだと、意気込みながら出て行きました」
「……そうですか」
「アーミアと貴方の2人には、監視と情報伝達の役割を頼んではいましたが、あの子達のことは随分と手厚く見守って下さっているようですね」
「あくまで仕事に過ぎません。では」
非情に言い置いて踵を返した背中を、マリヤは無言で見送った。
寡黙で、一見冷酷なようにも見えるが、マリヤから見て彼はそうではない。生徒を守り、正しい道へ導くという志は同じく、マリヤは彼を信頼に値する人物と認めているし、彼もマリヤに対して忠誠を誓っていた。
目の前には、子機よりも一回り大きな支援オーブが台座に置かれている。会議用テーブルの上に手を組んだマリヤは静かに息を吐き、オーブを起動した。
「全員、無事に帰って来なさい」
今は彼女しかいないこの会議室に、敵を蹴散らし終え、勝手に打上げでもしに帰って来るであろう者達の姿が目に浮かんだ。
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