畑を荒らす者(2)

 先週、東の森へ向かう途中で通った農業地帯を、ミリカは覚えている。周囲を森に囲まれた広大な土地で、東区の住民達が栽培・収穫・出荷までを担っているのだという。


「よく荒らされるのは、決まって東の森の近くの畑なんです。魔物じゃないから無闇に殺すわけにもいかないし、全く困ったもんだ」


 アーサー・ノルトンという男は、農作業で鍛えられた逞しい腕を組んで、森がある方角を恨めしそうに睨んだ。


 彼はこの一帯をまとめているリーダー的存在で、畑が被害にあった者達から代表で管理局に通報したらしい。ギルドに頼まなくとも、自身で魔物の一匹や二匹は容易くやっつけられるのではないかと思うほどの筋骨隆々な体を持ち、態度は堂々としていた。


「動物は殺さずに追い払えばいいんですよね?」


「あぁ。でも、見せしめに一、二匹殺してやれば、しばらくは夜のうちに来ることも無くなります。それぐらいなら大丈夫でしょう」


 少々残酷な気もするが、人間の生活の為には必要な犠牲だ。


「分かりました。魔物は見つけ次第倒しておきますね」


「本当は、原因が分かれば一番助かるんだが」


「もちろん、それも探すつもりです!今日は何と、3人もいるんですから!」


 ユリナはいつものように横で静かに佇んでいるし、リオは離れたところで話が終わるのを待っていて、意気揚々と胸を張っているのは自分だけだった。


「はぁ……」


「あの、もしかしてザストとかも畑を荒らしにやってきたりします?」


「いや、ああいう奴らは物好きの冒険者が退治してくれるんですよ。そういやそうだな、洞窟からも魔物が出てくるんだとか。ギルド学園の生徒さん方も近頃は忙しくて大変なんじゃないかね。無理はせんで下さい」


 さり気ない気遣いに感謝しつつ、ミリカ達は森へ向かうことにした。





 眠い。あくびが出る。


「夜更かししてんのか?」


「え?あぁ、うん。昨日ちょっとね」


 ユリナの視線が刺さるが、気付かないふりをしておこう。


「こういう異常事態が起こってるのはレイオークだけなのかな?」


「野生動物の件はな」


「というと?」


 ユリナが答えてくれた。


「魔物が凶暴化するのはそんなに珍しいことじゃないの」


「え?でもさっき、普通はありえないって」


はね。既に他の町では……というより実のところ、もう何年も前から大陸全土の魔物が活発になっている」


 ユリナはそう言うと、背中に担いだ剣の調子を確かめた。既に農業地帯から遠ざかった草原で、ここまで来てしまえばいつ魔物が姿を現すか分からない。


「レイオークも時間の問題だったという事よ。他の生徒達も薄々気付いてたと思うわ」


「それって、まずいんじゃないの?世界の危機ってやつじゃん!どうして軍は何も対策しないのかしら」


「原因が分かってるからだよ」


「えっ?」


 リオは立ち止まり、人差し指で上を示した。真上を仰ぎ見ると、そこには雲一つない晴天が広がっている。


「……天上界?」


「神々が荒れてるんだ」


 広大な空の遥か高く、ぼんやりとしたシルエットでしか確認する事ができず、ともすれば雲に隠れてしまう。そんな、人間達にとってまさに雲の上の存在。神々の住まう地。


「“神の情緒、人の運命となりて″」


 空を見ること無くリオが言う。「誰もが知ってる言葉だろ?」神々の機嫌がそのまま人間界の情勢に直結するという意味だ。


 皆、文字を読み書きするより早くこのことわざを親から教わり、神の存在を知る。


「つまり、魔物が暴れ回っているのは天上界に原因があるってこと?」


「バルドルが死んだ年に世界中が荒れた歴史があるだろ。それがまた起ころうとしてるって事だよ」


 人の運命が神の掌の上で転がされているというようなことは実際は無い。ただ、神々の世界で何か事件があれば、それが人間界にも影響を及ぼすというのは事実としてあるのだ。光の神バルドルが死んで、世界中で魔物が人々を襲い続けたという恐ろしい時代がかつてあった。


「そんな……!もしそれが本当だとしたら、なおさらどうにかしないと、大勢の人達が犠牲になるんじゃ……」


 今しがた事情を知って慌てているミリカと違って、2人は少しも焦ったりしていない。


「時間でしか解決することの出来ない、人にはどうすることもできない現象。だから国がせいぜい出来る事といえば、軍の警備を増やすとか、傭兵を多く雇って襲撃に備えることくらいなんだ」


「えぇっ?それで本当に大丈夫?」


 もし本格的に魔物が人里を襲撃するようになれば確実に大きな被害が出るのに、そんなに悠長でいいのか。


「いち傭兵が、それもただの学生が何とかしようと思うなよ。ぶっちゃけ、天上界の影響なんかより、人間達が自分で起こした戦争とかの方がよっぽど人が死ぬんだぜ。まずは手前の下らない争いを見つめ直した方がいいと俺は思うけどな」


 それは本当にそうかもしれない。投げやりな口調で言うあたり、やはりリオは普段から人間に対して思うところがあるのだろうと思った。


「うん……」


 ミリカは空を見るのをやめた。


 人と神は滅多に触れ合うことがなく、ミリカも姿を見たことがない。そんな遠い存在を気にするよりも、コツコツと依頼をこなして社会に貢献していった方がきっといい。


「でも、レイオークはこの先大丈夫かな?」


「さぁな。むしろ魔物討伐の依頼が増えてよかったじゃん、報酬が弾むぜ」


 歩き出したリオが鼻歌でも歌い出しそうなトーンで言うものであるから、さすがに追いかけて抗議した。


「あ!そんな不謹慎なこと言って!」


「制服代とか立て替えてもらってるんじゃなかったのか?寮代も払わなきゃいけないだろうし」


「あ……そ、そうだった。私、お金の問題山積みだったんだ」


 転入にかかった諸々の費用や、必要なものを買い揃えるのにミリカの全財産では足りなくて、学園側が建て替えてくれたのだ。これから稼いで返さなくてはならない。


 この学園の良いところは、学びながらしっかりと給金を貰えるところだ。才能はあるのに金銭的な事情で進学できなかった、なんて悲劇が起こらない。真面目に依頼をこなしていれば在学中に奨学金を返済できるし、生活に余裕も出来る。


「だったら稼がないとな。走り撃ちが出来るなら普通の魔術師ウィザードじゃ倒せないような魔物も相手に出来るだろうし。俺的おすすめは北方面にいるオーガだ」


 見事に話題を逸らされたことにミリカは気付かない。


「冗談でしょ?こないだのザストすらまともに倒せなかったのに」


「オーガなら知能が低いから、背後や足元を狙えば実は簡単に狩れる。問題は無駄に威力だけある事だけどな」


「あ、セラカもオーガを倒したって言ってたけど、背後や足元を狙ったのかな」


「そんなわけあるか。弱点を狙うほどの頭脳がセラカに備わってるわけがない」


 何だかひどい言われようだ。でも確かに、セラカは戦う時に何も考えてなさそうな気はする。


「し、辛辣……セラカとは仲が良いの?」


「そこそこな。イオ以外の4人は前過程から入学したんだ」


「あ、それ知ってるよ!じゃあ先輩じゃん。先輩、よろしくお願いします!ウッス」


「何言ってんだ」


「じゃあ、ユリナ以外の4人は、ユリナより早く生徒会に入ってたんだ?」


「いや、前過程の生徒は生徒会には入れない。あくまで見習いだからな。イオは首席入学だったのか?」


 首をねじるようにして後ろを振り向き、質問する。


 唐突に話を振られたユリナが、一呼吸置いてから返答した。


「いえ。一位は確か別の人で、私はニ位」


「点数は?」


「7教科中、699点」


「やるな。前過程から通ってた俺でも500点越えるのがやっとだったのに」


「それだけ取れれば十分だと思うわ」


「だよな。メインは実戦だし」


「何はともあれ、」と、再びリオがミリカに向き直った。


「奨学金を返済しても学費があるし、こだわる奴はより良い装備を揃えるために貯金なんかしてる暇ないからな。頑張れよ新一年生」


「とか言って、俺も一年生だけど」と、半笑いに言いながら先頭をずんずん進んで行く彼の後ろ姿を見て、ミリカは意外な光景に感心していた。


 なんだ。ユリナと普通に喋るんだ。それに笑った顔も見せてくれる。警戒こそしているが、やはりこうやって一緒にいれば打ち解けられるのかもしれない。


 なんだかんだで喋りながら東の森に足を踏み入れていた。この森は東方のサラセス荒地に近いため、乾燥に強い木や繁殖力の高い草花などが多く自生している。


「ジャッカロープ?」


「さっき見てた依頼書のなかにあったの。ミモレザ公国周辺に現れるって噂で。聞いたことない?」


「いやミモレザ公国って。行くまでが遠いぞ?」


 リオは続けた。


「歩く宝石って言われる動物だな。ミルクは万能薬になるし、角や毛皮、骨まで全部高く売れる。俺達人魚みたいにな」


 重い空気になってしまうのが嫌で、最後の一言には敢えて反応しないようにした。


「そうそう、そのミルクがどうしても病気の治療に必要なんだって。まぁ、遠いから私は受ける気はないけど、ちょっと聞いてみただけ。リオ、耳触っていい?」


「駄目に決まってんだろ」


「ミリカ!」


 一瞬、叱られたのかと思ったが違う。後方からの珍しく切羽詰まった様子のユリナの呼び声。一体どうしたのかと振り向こうとした瞬間、近くの茂みから黒い影が飛び出し、ミリカに襲いかかった。


「あぶね!」


 リオが目の前に飛び出し、盾でミリカをかばう。盾にはじかれて地面に着地したのは……


「ゴブリンね」


 ユリナが言いながら斬りつけにかかった。


「わぁっ、びっくりした!」


 待ち伏せに失敗したゴブリンは、ただでさえ醜い顔をさらに憎悪で歪ませ、ユリナに棍棒で殴りかかった。一匹ではない。草むらで息を潜めていた仲間も姿を現し、3人を取り囲む。


「20匹くらいか。まぁいけるな」


 強敵が多く出没する北方面や、警備が厳重なレイオーク周辺には現れない癖に、森や洞窟で自分より弱い者を狙い、このように物陰に隠れるなどして集団で獲物をリンチする。そういう卑劣な魔物がゴブリンだ。


「いけるの!?この数を相手に?!」


「あ?これぐらい片付けられなくてこの先どうすんだよ。ほら行くぞ、自分の身は自分で守れ」


「そ、そんなー!転入生に優しくしてよー」


「都合の良い時だけ転入生ヅラしてくるなよ……仕方ねぇな」


 ミリカに縋り付かれたリオは、一瞬呆れて気が抜けたようになったが、すぐに表情に鋭さを取り戻して抜刀すると、


「報酬ぶんの働きはしてやるよ」


 盾と剣を構えて不敵に笑った。

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