リード・ミー

不朽林檎

 きっかけは、死んだらどうなるのだろうという素朴な疑問であって、それ以外のなんでもなかった。それに思い当たったのは大学に入って一年が経過した頃だった。ある日ぽっかりと、僕は小説を書くようになった。

 漠然と漫然と、ぜんぜん面白くもないようなことばかり書いていた。

 人に見せる予定もなかったし、何かしらの賞に応募する心算つもりもなかった。ただ、死んだらどうなるのかということばかり考えながら手を動かしていた。万年筆で字を書くのは億劫だったから、安いラップトップにワープロソフトを突っ込んで、暇な時に開いては書いた。

 これと言って何ができるわけでもなく、また一年が経過した。

 気づけば僕は、大学三年生になっていた。

 卒業の二文字が頭を過ぎり始めていた。


 約二年前の春に入居したアパートは思いのほかボロくて、出所不明のシミが天井や壁にへばりついていた。ひと月が経つ頃までは、誰かに見られているような気さえしていた。事故物件ではないので、ただの錯覚である。しかし思い返してみれば、本当に何かに見られていたような気もする。今となっては判然しない。

 単位は順調に揃いつつある。授業の数も徐々に少なくなってきて、僕はそれなりに暇を持て余し始めていた。向学意欲を鼻から吸って口から吐き出すだけの日々に、さしたる生産性も見当たらない。そんなものだと思う。少なくとも僕にとっては、この二年、一人暮らしを除いては変わるところのない人生が続いている。


 僕というヤツは本当に、教室の端っこで虐められもせずに生きて来たような人間である。

 幼い頃の思い出は、覚えているだけでちっとも実感できないけれど、一つだけ、いまだに多少は肌に触れて感じられるようなものがある。

 僕が小学生の頃の話である。

 僕の通っていた小学校には普通な校庭が設えてあって、長い休み時間には、子供たちは外へ飛び出して遊ぶのが恒例だった。ブランコや鉄棒みたいな遊具はコンスタントな人気を博していたが、やはり、児らが我先にと奪い合ったのはボールである。サッカーにバスケットに、時に険悪なムードになってまで、僕らは夢中になった。

 そんなボールについて、僕らの学校では暗黙の了解があった。それは誰が決めたわけでもなく、いつの間にか、そこにあったルールである。

『最後にボールを触った人が、責任を持って片付けること』

 この、いかにも教育的に見せかけて、なんだかいやらしい決まりを、しかし皆が守っていた。由来も意味も正当性も、僕らは当たり前に求めなかった。

 ある日のこと、クラスメイトの中でも割かし強いような──それは、実社会で謂うところの偉い人にも似ていた──奴が、そのルールを破った。そいつは終わりのチャイムと同時にボールをどこかへ蹴り飛ばし、一度は探しに行った振りをして、そのまま放ったらかしにして来たのであった。ボールが一つ足りないことは直ちに先生の知るところとなり、僕らの帰りの会は反省会に挿げ替えられることになった。

 当たり前だが、ここで糾弾されるべきはルールを破った張本人であって、その当事者以外にとって、この反省会は苦痛以外の何物でもなかった。実際、サッカーに参加していた面子以外の白けた顔といったら、なかった。だから公平な裁きを求めているのも、自然また、ほんの一握りであった。

 僕は当事者の一人として若干の緊張を覚えつつも、元凶は判りきっているのだから、彼一人が責任をとり、この場を収めるものだと決め込んでいた。しかしながら、議論は僕の思惑を外れて展開し始めた。あろうことか、ヤツはクラスでもパッとしない僕に、その罪を擦りつけようと考えたのだ。運悪く、彼の直前にボールを蹴ったのが僕だった。

 この災禍の火種そのものである彼はぬけぬけと、僕を狡そうな目で睨んでいた。

「僕は知りません」

 当然にそう主張したが、目撃者も極端に少なく、僕の味方はほとんど皆無だった。ああでもないこうでもないと、些か滑稽にも思われる議論が続いた後、結局、僕が罪を被る羽目になった。担任の先生は僕に反省文の刑を言い渡した。原稿用紙にして三枚程度、それほど苦痛でもなかったが、未だ溜飲の下がらぬ僕は、その反省文に思いの丈をぶち撒けた──すなわち、暗黙の了解の正当性や必要性を、改めて問い直したのである。そうして、不当なルールの代替案を詳細に記してみせた。

 我ながら上手く書けた自信はあったし、果たして、それは正式に採用された。その代わりに、それから小学校を卒業するまで、僕は皆から遠ざけられた。もっとも、それがイジメに発展することはなかったし、露骨に嫌う素振りも見なかった。ただ、皆が僕を、何やら奇特なものを見るような目で取り扱っていたのは、なんとなく察せられた。

 それ以来、僕は、いかに自らが理性的であると思われても、私見を述べなくなった。そんな陳情には何らの意味もなく、ただ、自分が当然の暗黙知を承知しない変人だと表明するだけの行為であると悟ったのだった。

 然るに、僕は少々、理性の働きがへんに強いのやもしれぬ。

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