歌合戦!

@apollo37

第1話 12月28日 9:30

「本人、何時入りでしたっけ?」

ADの永田が尋ねる。

十四時、とディレクターの小田桐は答え、舞台袖の時計を見上げた。

針は九時半を指している。


渋谷の公園通りを登ったところにある公共放送センター。大晦日の国民的歌番組のリハーサルが行われている。

小田桐の役割は出演者の管理だ。何時に現場に入るのか、何時にスタジオに入るのか、上手・下手、どちらからステージに出るのか、または板付なのか、どこからハケるのか。

出演者は全部で四十組を越える。人数にすると百人以上だ。

その他、ダンサーやバンド、審査員、特別出演などを含めるとその数は五百人以上となる。

その全てを、小田桐は把握していなければならない。年末は生放送の歌番組が多く放映されるので、他局への送迎やリハーサル欠席時の対応なども頭に入れておかねばならない。


「顔合わせが十四時半から。その後のリハは欠席で、事務所の方が代役ですね」

永田が既にメモ書きでグチャグチャになった進行表にさらに書き足している。一度見たことがあるが、自分にしかわからない符牒のようなものを使っていて理解できなかった。しかし、ミスは少ない。大学を出て三年目で、最初はどんくさいやつだと思ったが、意外に細かいところを見ていて、大雑把な小田桐をうまくフォローしている。

今日はあっちのリハだからな、と小田桐は言った。あっち、というのは他局で毎年行われている賞レースの歌番組だ。近年では大賞の価値も下がりつつあるが、十二月三十日のその番組と、小田桐が携わっている三十一日の歌番組が伝統的に年末歌番組の二大巨頭として君臨している。

本人というのは出場回数三十回を越える大物歌手で、年末はこの二番組に加え、更に他局の生放送に出演したりするため、リハーサルなど代役が利く現場に関しては欠席することが多い。

「楽屋は○○さんと相部屋ですか?」と永田が尋ねてくる。バカ野郎、あの人とは犬猿だ、と小田桐は言った。昨年、出場回数五十回を節目に一番の大御所が番組からの卒業を表明した。出演者が多いため、楽屋は基本的に相部屋となる。たとえ大御所でも、褒章を受章したような歌手であっても、特別扱いはない。他局の民放では豪華な部屋を用意したりもするが、公共放送の現場に於いて無駄はあまり存在しない。

今年は本人は~~と相部屋だ。大御所より格は落ちるが、出場回数は二十回を越えるある演歌歌手の名前を挙げた。相部屋は基本的に同格の歌手でなければならない。同格であっても、業界的なNGも存在する。本人はキャリア、人気、出場回数ともにトップクラスだ。特徴のある歌い方で、モノマネされることも多く、知名度は日本国民の八十%を越えるだろう。

「~~さんか、まあ無難なところですね。××さんかな、とも思いましたけど。キャリアは長いけどイロモノですからね。いろいろ生臭い話も聞くし」

あまり余計なことを喋るな、誰が聞いているかわからない、と小田桐は言った。人の出入りは厳重に管理されているが、五百人を越える人間が全て口が固い人間のわけがない。ただでさえ出演者から歌唱曲、リハーサルに至るまで全てがゴシップの対象となっている番組だ。テレビの前には出てこないが、その裏側には権力と欲望がとぐろを巻いている。

舞台では巨大なセットが組まれ、照明と電飾の確認が行われている。舞台監督の怒号が響く。バカ野郎、素手で触るな、てめえの汚い手形つけやがったら殺すぞ、当然だが現場はピリピリしている。歌手にとっては国内最高峰の晴れ舞台だ。セットはおろか衣装まで巨大化する。毎年、ゲームのボスと称されるほど巨大な衣装を纏う歌手が話題になっているくらいだ。

「そろそろ△△のリハですね」

ある若手バンドだ。若手の出番は早い。今日も長い一日が始まる、と小田桐はため息をついた。ユミコの奴、機嫌悪いだろうな。小田桐は同棲している恋人のことを想った。毎年の事だが、年末は打ち合わせと現場でほとんど家には帰れない。クリスマスは空き時間になんとか手に入れた香水とネックレスを持って深夜二時に家に帰った。ユミコはそれでも喜んだが三十分後にそろそろ行ってくる、と言うと、馬鹿っ、と叫んでプレゼントを投げつけてきた。どれもこれも演出家のせいだ。あの野郎、直前で変更ばっか出しやがって。何か一つ、例えば歌手の衣装の色が変わるだけでそれに繋がるセクションを全て動かさないといけなくなる。

「何難しい顔してるんですか、またユミコちゃんのことでしょう、ちゃんとケアしてあげないとダメですよ、あ、ユミコちゃんにこないだ頂いた春巻きすごいおいしかったですって言っといて下さいよ。ボクやっぱりユミコちゃんみたいな女の子と結婚したいなあ、料理上手だし、本とか読んでて頭もいいし、ボク本なんて東野圭吾の『秘密』しか読んだことないですよ、何でしたっけ、こないだお邪魔した時にユミコちゃんが読んでたやつ、ユンボだっけな」

ユングだよ、と小田桐は言った。ユングだとかフロイトだとか、ユミコはそういう小難しい本をよく読んでいる。当たり前だがユングもフロイトも生きていく上で全く必要のないものだ。生きていくのに必要なのは知識ではなく、知恵だ。あらゆる分野でトップに立つ人間には必ず知恵がある。アスリートや格闘家でさえ、自分に必要な知恵を必ず持っている。歌手もそうだ。それがどういった類の、どういった世界観のものであれ、働いている人間は知恵を持っている。

△△さん、入られまーすとADが叫ぶ。今日一発目のリハーサルだ。小田桐は一つの事を願った。この業界にいる人間誰しもが思うことだ。

「何事もなく終わりますように」

小田桐はそうつぶやいた。


「もしもし、お世話になっております、水野です」

シルビアのハンドルを握り、首都高を走りながら水野は耳につけたブルートゥースを使い電話していた。確認ごとが山積みになっている。既に再来年のスケジュールまで決められている。マネージャーとして本人に付いて四年になる。身の回りの世話から公演地のスタッフ確保、移動手段、弁当に至るまで水野が背負っていた。がむしゃらに目の前にある仕事をやっていたらそうなったという感じだ。休日がほとんど取れないことや食事が取れないのもきつかったが、一番きついのは睡眠が取れないことだ。もう二週間は布団に入っていない。どこかのソファや新幹線での移動中など、仮眠程度でしか睡眠を取っていない。日中は打ち合わせや本人帯同、夜は資料作成や確認ごとで寝る暇がない。先日、ついに血尿が出た。赤く流れていく小便を見ながら、なぜこんなことになってしまったんだろう、と水野は思った。中学生の頃から水野はギターを弾き始めた。その頃はパンクロックしか知らなかったが、パンクロッカー達のインタビューなどを読んで目に付いたミュージシャンを片っ端から聴き漁った。ロック、ヒップホップ、メタル、レゲエ、テクノ、ジャズ、クラシック、ブルース、民族音楽と音楽の幅が広がり、気づけばシュトックハウゼンやクセナキスなどの現代音楽に傾倒していた。そんな頃、登録していた転職サイトからスカウトメールが届いた。歌手のマネージャーだった。その時就いていた音楽制作の仕事にウンザリしていたのもあり、水野はその世界に飛び込んだ。右も左もわからないことだらけだったが、日々が過ぎていくにつれ少しづつ仕事をこなせるようになっていった。本人よりも、本人の周りにいる人間に怒られていた気がする。やがて、本人が接する芸能界、政財界などの大物に会うことにも慣れていき、水野の名前は演歌・歌謡曲界隈では少しづつ知られるようになっていった。別にそんなつもりじゃなかったのになあ、昔からガツガツしたところのない、飄々とした性格だと言われた。俺はただ、と水野は思った。俺はただ、やれるだけのことはやったっていう言い訳が欲しいだけなんだよ。目の前にある仕事を見据え、イメージが及ぶ限りの手を尽くす。水野がしてきたのはただそれだけだった。やりがいを感じたとか、逆につまらないとか、そういった感情はない。ミスをして、ああしておけばよかった、と思うことは何度もあったが、次の機会では必ずそこをカバーした。その繰り返しだ。

「舞台公演の打ち合わせ?局じゃ無理だ。適当な喫茶店、個室がいいな。近くにないか探して。必ず栗原をつけて、うん、十八時で切り上げて、会食には絶対遅れるなよ、まずい相手だ」

電話の相手は事務所のデスクに替わっている。栗原というのは付き人だ。水野が決めたことを実際に動かしている。本人にずっと帯同しているので、水野にまだ届いていないようなことを知っていたりする。

「入りは十四時だ、十時から築地で新聞の取材、十一時には切り上げて銀座で衣装合わせ。十三時には三井が局に入って楽屋仕込んでるからそのつもりで。うん、リハだから最低限でいい。常温の水と軽食があれば大丈夫だ。最初のリハは十四時半から一時間、オープニングと二曲目までの立ち位置と動きの確認だ。それが終わったら昼食。松濤の『みうら』に仕出しを頼んである。三井に取りに行かせて。あとは進行に合わせて代役と本人でうまいこと進める。うん、栗原には全部伝えてあるから」

プッ、プッとキャッチホンで着信が入る。何かあったらまた、と通話を切り替える。

「もしもし、野田ですが」

プロモーターだ。演歌・歌謡曲周辺のプロモーターというと半分ヤクザのような奴もいたりするが、野田のところも例外ではない。三十日の賞レース歌番組や大晦日の歌番組についても影響力がある。水野も全てを知っているわけではないが、悪い方向に転がれば人が消されることもあるらしい。

「なんだよ」

ぶっきらぼうに水野は答える。この仕事を始めた頃から野田とは付き合いがある。最初はバカにされたりからかわれたりしたが、業界のルールや仕事のノウハウも多く教えてもらった。年が近いせいもあり、ざっくばらんに話し合える相手だった。

「博多のギャラの件だよ、チケットの売れ行きは悪くはないが良くもない、バンド15人はきついな」

大御所とは言え、公演が毎回売り切れるということはない。知名度はトップクラスだが全盛期に比べればセールスも落ちている。チケットの値段を理由もなく落とすわけにはいかない。歌手の格にも関わってくるからだ。

「ストリングスを一人減らす。あと音響と照明のスタッフも一人づつ減らすつもりだよ。それより野田ちゃん、いいとこに電話してきた」

「嫌な予感しかしないな」

「本人がハワイで公演したがってるんだ」

電話の向こうからため息が聞こえる。海外公演は問題だらけだ。日本人のスタッフには本人の威光が利くお陰で何も言わずとも万全に近い体制を取ってくれるが、海外ではそうは行かない。いい加減な奴が多く、ホテルや交通手段の手配確認だけでノイローゼになるほどだ。

「無茶だ、チケットも売れないしツアーもファンクラブからせいぜい100人くらいしか来ない。1000人は集めないとペイしないぞ」

「そんな大規模じゃなくてもいい、なんだったらカラオケでもいいんだよ、バンドを連れて行く場合と行かない場合、両方の経費を出してみてよ。あ、こないだのパウロはもう使うなよ」

パウロというのは海外のプロモーターだ。いい加減なやつで、勝手にいろんなことを省いたりするので本人の機嫌がすこぶる悪くなる。

「わかったよ、社長にも相談してみるが、あまりギャラは出ないものと思っててくれ」

実際のところ、本人がどこまで金に執着があるのか水野にはわかっていない。神楽坂に豪邸を建て、高い衣装を仕立て、高級外車を乗り回したりしているが、拍子抜けするほど物事にこだわらないところもある。一度、あまりにも時間がないスケジュールの時にどうしても食事が用意できなくて、怒られるだろうなと思いつつも、ユミコが包んでくれた弁当ならあるんですがと言ったら、おお、それでいいよ、食わせてくれるか、と喜んで食べていた。しかし車はベンツのSLRだし衣装は全てオーダーメイドだ。ギャラにもうるさいが、羽振りもいい。

プッ、プッとキャッチホンがまた入る。じゃあよろしく、と水野は電話を切り替えた。


「歌合戦、か」

水野はそうつぶやいて、高速の出口に向かってハンドルを切った。


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