第5話 法定速度と抽象表現主義


 信号機の一番左のレンズが点灯する。

 車がのろのろと動き出す。

 エレナ先生の運転は超がつくほど安全だった。普段の様子からはとても考えられない。高そうなSUVなのに、宝の持ち腐れのように思える。


 俺は先生の車に乗せられ、カナに会わせるために自宅に向かっていた。自転車は学校に置いてきた。仕方がないので明日はバス通学だ。



「ねえ、伊月いつき


「なんですか?」


「そのアンドロイド、会話ができるのよね」


「はい。声は機械っぽさ全開ですけど、言ったことは通じるし、向こうが言ったことも理解できます」


「質問に対する回答は瞬時に返ってくるのかしら」


「難しいことを聞けば、考えるのに時間がかかるかもしれませんけど……」


「ふむ」


「それがどうかしました?」


「頭部の大きさは人間と変わらないのよね」


「はい」


「運動能力は? 体の動きはぎこちない? 転んだりしない?」


「ウチで普通に生活しているだけですから運動神経はわからないです。でも、掃除したり皿洗いを手伝ったり、メシ食ったりしてますよ。と言っても固形燃料らしいですけど。動きは──人間と変わらない気がします。転んだことはないですね、俺が知っている限りでは」


「……なるほど」


 バックミラーに向かって呟く。


「面白いわね。とても」


「どのあたりがですか?」


伊月いつきは、カナの他にアンドロイドを見たことがあるかしら」


「ないですよ」


「テレビでならあるわよね」


「それなら。国営放送でニュース読んだりしてますよね」


「ああ、朝7時の。あれは良くできてるわねー。表情も細かく豊かで自然で、動きも人間と大差ないし。でも、所詮しょせん操り人形よ。上半身だけしかないし」


「そうなんですか?」


「ええ。あのタイプのアンドロイドは、命令コードに従うだけで自分で考えて動くことなんてできないし、テレビには映ってないけど、外部に馬鹿みたいに巨大な演算装置が並列されていて、必死にデータ処理してる」


「そうなんですか……」


「いくら技術が進歩したといっても、外部処理装置を使わずに人間の体型で自立稼動が可能なアンドロイドを作ることなんてできやしないわ」


「実際にいるんですけど」


「だから面白いんじゃない。どこかにあるはずよ、が」


「人間がアンドロイドのフリをしてるだけとか?」


 ありえねーと思いつつ、聞いてみる。


「それも可能性のひとつね」


「でも先生、あいつ自分でアンドロイドって言ってましたよ」


「嘘でないとなぜ言い切れるのかしら」


「……それは」


 言われてみればそうだ。断言などできやしない。

 でも空から降ってきたし。

 自爆するって言ったとき、ブザーが鳴って、瞳の色が変わったし。

 アンドロイドを1体造るよりは、改造人間のほうが現実味があるけど……生身の人間にあんなふざけた改造をする理由なんて一生かけても見つからないだろう。


「アンドロイドっていまいち定義が曖昧なのよ。まあ人間ってことは無いでしょうけど、カナが単に人間を模したアンドロイドでないことは確か」


「はあ」


「とにかく、楽しみ」


「無茶しないでくださいよ」


「まかせてまかせて」


「……」


 不安だ。かなり。



 **********



 西日が眩しい。

 先生が校長に呼び出されたせいで、すっかり夕方になっていた。

 夕焼けがエレナ先生の横顔を照らし、運転席の窓から入ってくる風が、長い髪を激しく揺らしている。

 つい見惚れてしまいそうになるが、その横顔の奥で1台の車が追い越していく。

 

「14台目~」


 俺は露骨に呆れて見せる。


「うるさいわね。これは本気の私じゃないんだから。いつか見てなさい」


「はいはい」


 俺たちの乗った車を、また後続車が抜き去る。

 エレナ先生は、ひたすら法定速度を守りながら、しきりになにかを考えている様子だった。一応、目はしっかりと前方に集中している。

 その両目の下には青黒いクマがある。

 悪いことしたな……。


「……どうしたの?」


「え、」


「着いたわよ。ここでしょ?」


 何やってるのという顔をしてこちらを見ている。


「あ、はい」


 敷地内の適当な場所に車を止めてもらい、先生を連れて家に上がると、とてとてとカナが2階から降りてきて出迎える。


『おかえりなさい、進さま』

 

「ただいま」


「あなたがカナ?」


 初対面の人間にいきなり話しかけられて戸惑っていたので、俺の通ってる学校で古典を教えてる先生だと説明する。


『そうでしたか。いらっしゃいませ』


 深々と頭を下げる。

 特に疑問を持ったり警戒しているようには見えない。

 そんなカナの動きを、先生は瞬きもせず真剣な面持ちで凝視している。


「俺はカバン置いてくるから、悪いけど、先生にお茶でも出してくれないかな」


『はい。では、宇佐美うさみさま、こちらに』


「ええ。ありがとう」


 カナに誘導され、先生は客間のほうに歩いていく。

 これでしばらく俺が戻らなければ、2人で話ができるだろう。


 カナが勘ぐらないように、1度客間に顔を出して、親父と話があるからもうしばらく先生の相手をしててくれと頼み、そそくさと部屋を出た。


 靴を履いて離れにあるアトリエに向かう。


 丸いドーム状の建物のなかには、相変わらず意味不明の銅像や絵や彫刻なんかが無造作に並んでいる。


「……はぁ」


「人の職場でため息をつくな」


 この有様を見れば、ため息のひとつもつきたくなる。

 親父は、汚いエプロンをして、サッカーボールくらいの大きさの粘土を両手で捏ねていた。


「どうした息子」


「最初にカナが落ちてきたときに床下の穴を学校の先生に見てもらったことがあっただろ? あの時の先生がいま来てるんだよ。カナを見たいんだってさ」


「そうか」


 人差し指を粘土ボールに突き刺す。

 遊んでるようにしか見えない。


「俺は先生の邪魔にならないように、時間をつぶしにきた」


「私の邪魔だとは思わないのか」


「粘土遊びの?」


、だ」


 ぶすり。

 目潰しの要領で、中指と人差し指を粘土ボールに刺して穴を開ける。


「それのどこが芸術だ? 適当やってるようにしか見えねーぞ」


「方法論で言えばチャンス・オペレーションの一種だこれは。統御された偶然性の介入によって、」


「意味わかんね」


「ふん。青瓢箪あおびょうたん青二才あおにさい蒙古斑もうこはんのお前にはわかるまい」


 無視して、室内を改めて眺めていると、奥の壁に飾ってある胸像が目にとまる。

 石灰岩でできたそれは、7、8年前の母さんをモデルにしている。非常に精巧に創られていて、当時の本人と瓜二つだ。何度見ても素晴らしい出来栄えだと思う。


 これだけの技術がありながら、ここ数年わけのわからない抽象的で大雑把な造形物ばかりを創作している親父の考えが俺には理解できない。


 わかる人だけがわかればいい。

 その態度が、いらつく。


「反論はどうした?」


 穴だらけになった粘土を木の台に植え込むように押しつける。話しながらも作業は続けられている。


「もう、ああいうのは創らないのか」 


 胸像を見つめながら、聞いてみる。

 いらいらするのは、芸術家としてそれなりに世間に認められ、好き勝手やってる親父に対する嫉妬なのかもしれない。

 だがそれを認めたくない気持ちがある。


 いつからだろう。

 俺が小学生のころ、親父は、写実的なものを中心に描いたり創っていた気がする。

 だから、親父が何を創っているのか理解できたし、次にどんなものが出来上がるのかを想像するのも好きだった。


 予想が当たったことはなかったけれど、悔しさは無くて、毎回のように完成品の凄さに驚き、感激させられた。


「創ってパパお願いしますと100回言ったら創ってやらんこともないが」


「256回死ね」


「まあそう言うな。冗談だ」


「たまにはヒトらしい受け答えができないのか、あんたは」


「真面目な話は苦手なのでな。ただ、これだけは言っておく」


「なんだ?」


すすむ、お前には感謝している。私がいまこうして好きなようにできるのは、お前と母さんのお陰だ」


 なんで急に感謝されなくちゃいけないのかわからなかったけど、


「苦手って言うだけあって、聞いてて違和感ありまくりだ」


「ふはは。たまにはいいだろう」


「さて、と。そろそろ俺は家に戻るよ」


「私は作業を続ける。悪いが、宇佐美うさみ先生によろしく伝えておいてくれ。それと母さんにも、今夜も遅くなると伝えておいてくれ」


「ああ、わかった」


 庭に出て家に戻ると、カナがひとりで床を拭き掃除していた。


「あれ、先生は?」


「お帰りになられました」


「え?」


 確かに、表に駐車してあった先生の車がなくなっていた。

 再びカナのところに戻る。


「一体何があったんだ?」


 何も言わず帰るなんて。


「さあ。わかりません」


 眉をひそめ、首をかしげるカナ。

 何せあのエレナ先生のことだから、カナと話をして、正体に繋がるヒントとかが見つかって、我を忘れて学校に戻ったのかもしれない。

 そういうことなら大いにありそうだ。


 納得できない点がいくつもあったが、明日学校で聞けばいいと思っていたから、次の日、エレナ先生が休みだと聞いて驚いた。

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