第46話

「え、嘘……どうして……」


 美空は手の震えが収まらないまま、携帯電話を放り出した。打ち込んでいた文字を、途中で放棄して送ってしまった。驚きと焦りとが一気に押し寄せてきて、パニックになる。


 幽霊か何かの間違いか。いつの間にか体中が震え始めていた。ガタガタと息の音が合わないまま、美空は電気を消してすぐさまに布団へと入った。


 しかし、しばらく胸がドキドキして眠れない。心臓が久しぶりに血液をたっぷりと全身へ放出していて、耳の奥にまでその音が聞こえるようだった。布団に入っているのに、脚の震えが止まらない。寒いからではない。おまけに、冷や汗まで全身の毛穴からぶわっと出てきた。


 これはもしかして夢なのかもしれない。もしかしたら、アカウントが乗っ取られたか、誰か別の人が夕と同じIDを使ったのかもしれない。様々なことが考えられたのだが、どれがあっているかなど分からなかった。


 万が一、携帯電話が鳴ってしまったらどうしようか。心霊現象かもしれないと思った。しかし、現実的に考えてそれは無いと思い直す。


 では、アカウントの乗っ取りか、ハッキングか。機械の不具合かもしれない。でも、もし万が一、誰かが美空のメッセージを見ているとしたら。


 ――それは、一体だれなのだろう……?


 美空は怖くなって、ベッドから飛び起きると、震える手で携帯電話の電源を切って眠った。すぐさま布団にとんぼ返りすると、頭の上まで掛布団をかぶってすっぽりと収まる。


「夢だ夢だ夢だ……」


 誰が、なんで、どうして。なぜいきなり読まれた形跡が出てきたのだろうか。考えれば考えるほどに不安が押し寄せて来て、美空は震えて丸まりながらぎゅっと目をつぶった。


 何度も何度も寝返りを打ちながらも、恐ろしくて携帯電話を触る勇気が出ない。そのうちに、緊張しすぎたせいで一気に疲れが押し寄せてきて、美空はいつの間にか重たい瞼に押しつぶされて、眠りの中へと引きずり込まれていた。


 ――翌朝、恐る恐る携帯電話を取り出して、いまだにドキドキする胸を押さえつけながら、震える手で電源を入れた。


 たった数十秒の起動時間が、永遠に思えるほどに重たい。早く早くと思いつつも、もし怖い人から脅迫のメッセージが来ていたらとか、個人情報が盗まれていたらと化を考えると、気が気ではない。


 携帯電話の電源が入ったのを確認すると、恐怖に震える指先で、パスワードを解除する。そこに通知されていたお知らせを見て、美空は携帯電話を落とした。


 自分でも驚くほどに身体が震え、立っていられなくてその場に崩れ落ちた。


「嘘、じゃないんだ……」


 美空が送った途中までのメッセージの後に、明け方に一言メッセージが来ていた。


〈 美空くん、会える? 〉


 震えすぎて使い物にならない手をなだめながら、息を整える。涙がいつの間にか零れ落ちていて、顔中がぐしゃぐしゃになっていた。しばらく落ち着く努力をして、やっと美空が携帯電話を手に持つ。


 もう一度確認すると、やはりメッセージが来ている。夢ではない。美空は混乱した。


「夢? 幻? どうしよう、こんなことってあるの……?」


 美空は再度、いまだに小刻みに震える手で携帯電話を掴むと、画面をのぞき込み、頭に血が上りすぎて貧血を起こした。目の前が真っ白になり、慌てて布団に行くと身体を横に倒した。


 目の前が真っ白になっていた。ドクンドクンと心臓が脈打つたびに、視界まで揺れて見える。ドキドキしすぎて、吐き気さえせり上がってくる。


「ほんとに、ほんとに、先輩なの……?」


 だって、遠い所に旅に出たんじゃないの、とのその奥で声が絡まる。


「会えます……」


 本物か幽霊か、はたまた、全くの偽物か。とつじょ届いたメッセージに、美空は心臓が鳴りやまない。血液が逆流しているかのような感覚で、気持ちが悪くなって目を閉じた。


 そうしてしばらく美空が横になって身体を休めていると、ぴこん、とメッセージの通知音が鳴った。


 見れば、〈 十時に、駅前の公園で 〉と一言書いてある。美空が時計を見ると、時刻は九時三十分だった。美空は今さっき吐き気を催していたのが嘘のように、慌てて飛び跳ねるようにして起きると、ものすごい勢いで階段を駆け下りた。


 美空の見たことのない慌てっぷりに、両親が目を真ん丸にしてぽかんと口を開ける。そんなみんなを無視するかのように、美空は大慌てで朝食をかきこんだ。


「美空、どうしたの?」


 コーヒーを渡した母親が、目玉が飛び落ちるくらいに驚いた顔をしている。コーヒーのカップを受け取ると、ガブガブと飲み干して、ごちそうさまと手を合わせた。


「ちょっと、出かける用事」


「そんな急ぐと、危ないわよ?」


「平気!」


 美空はすぐさま洗面所で顔を洗って、コンタクトレンズを目に入れる。軽くお化粧をして、部屋へと大慌てで戻ってパジャマから服に着替えた。


「ちょっとお姉ちゃん、そんなに慌ててどうしたの?」


 家を出ようとする美空と入れ違いに起きてきた美海が、眠たそうに目をこすりながら、パジャマで寒そうにしている。美空があまりにもばたばたしたから、起きちゃったとぶうぶうと口をとがらせている。


「ちょっと、ちょっと行かなくちゃで……!」


 美空の決死の表情を見て、美海は何やらニヤリと眉毛を持ち上げる。


「ふーん。彼氏?」


 それに美空は靴を履いて振り返った。マフラーがずるりと首から落ちて、それを元に戻すのさえ億劫だ。


「……わかんない」


 言われて美空は泣きそうになる。そのなんとも複雑な表情をみて、美海の方がぎょっとした。


「へ? 分かんないって、なにそれ。どういうこと?」


「わかんないから、確かめてくる! 夕飯いらないって母さんたちに言っておいて」


「え、あ、ちょっと! お姉ちゃんってば!」


 不可解な表情をする美海を玄関の扉の後ろに追いやって、美空は慌てて家を飛び出した。あまりにも慌てすぎて、手袋を右手しか持って出て来なかったのだが、時間が間に合わないので、そのまま全速力で走った。


 マフラーが跳ねて邪魔だったし、途中で何人もぶつかりそうになって、その度に謝りながら、美空は待ち合わせの駅へと向かう。


 幽霊か本物か。夕なのか、別の人なのか。その答えを探しに、美空は真っ白い息を吐き出しながら、一直線に走った。

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