第32話

 クラスから大慌てで出て、美空は廊下を早足で歩きながら、顔を真っ赤にした。


「先輩、あんなこと言ったら恥ずかしいじゃないですか」


「あはは、良いじゃん。だって、誰にも邪魔されたくないでしょう?」


 夕はほほ笑みながら美空の手を握った。その手に引かれながら、踊り場に設置された休憩用の椅子に座って、パンフレットを見つめながら行きたい場所を決める。時間は二時間。美空が行きたい場所と、夕が行きたい場所を交互に回ることにした。


「意外と、屋台ものボリュームがすごいのが勢ぞろいですね」


「今年の三年生は、お腹にパンチのあるものがいいって、みんな張り切っていたからね」


 外に屋台で食べ物系を並べられるのは三年生の特権で、いつも食べ物系屋台だけでグランプリ合戦をするので、三年生たちの気合の入り方は格段だった。売り子の先輩たちが、メガホンを持って派手に練り歩く姿は、この学校の文化祭の名物となっている。


「先輩のクラスは……ああ、焼きそばなんですね」


「びっくりでしょ? 女子たちが青のりつけて学祭なんて回れないから却下って騒いでいたけど、青のりはオプションにするからってことで、男子がごり押しして通ったんだ」


 それに美空は笑った。確かに、学祭は他高からの生徒が来るので、恋人をつくるチャンスを待っている人は多い。やたらとみんな浮足立って、いつもよりも入念にメイクをして、青春をぎしぎしと身体中に詰め込んでいる。そんな彼女たちからしたら、青のりはかなり危険素材だった。


「じゃあ、せっかくだから焼きそば食べましょう?」


「あんなにたくさん食べられないよ? リンゴ飴にしようよ」


「先輩、疲れています?」


 ほんのりと、顔色が悪いように感じられたのだが、それに夕は首を横に振った。


「美空くんの顔見たら疲れが飛んだから大丈夫。さ、行こう」


 手を繋ぎながら屋台をいくつか回って空腹を満たした。お化け屋敷は並ぼうかと思ったのだが、中から聞こえてくる悲鳴があまりにも恐ろしいので、二人して止めようという話になって退散した。


 二時間の休憩は、すごく多いと思っていたのに、実際に夕と過ごすとあっという間だった。それこそ、瞬きしているうちに過ぎ去ってしまったかのようで、美空は名残惜しい。


 夕の手を握って、その温もりをしっかりと刻み付けるようにしながら、戻る時間のちょっと前に、美空は屋上へと夕を誘った。絶対に渡したいミサンガは、カバンに小さく入っている。


 立ち入り禁止のバリケードが築かれていたのだが、夕はそれをちょっとずらして、するりと入り込む。二人でこっそりと階段を上って、外へと出ると冷たい風が吹き抜けた。


 学祭の喧騒が遠くに聞こえるほど、屋上には誰も人がいない。二人で柵にもたれかかりながら、動いている人たちを上からこっそりと見ていた。まるで天使にでもなった気分になれたのは、屋上は人がいないからだった。


 涼しい風が二人の間を吹き抜けていく。もうすでに秋が来ていて、気が付いた時にはきっと、すぐに冬がやってくるのだ。


 美空はカバンから、小さな袋に入れたミサンガを取り出すと、夕へと渡した。


「……これは?」


「〈大事な人にプレゼントを渡す〉の、最後の大事な人が先輩です。これで、あのお願いが叶います。受け取ってください」


 夕は渡された紙袋を開けて、ミサンガを見ると目を丸くする。


「ミサンガ?」


「はい。私が作ったんです……おそろいで。重いですよね」


 拒絶されるのが怖くて、美空は矢継ぎ早にそう告げた。死にゆく人からの贈り物、それも手作りなんて、重たいに決まっている。夕には拒否する権利だってある。美空はそれでも、拒絶されることを考えてすくんでしまう心を奮い立たせていた。


「どうしても先輩には手作りのものを渡したくて」


「キレイ……」


 夕はしばらくその手編みのミサンガを陽に透かせて、色合いを確かめるように目を細めて眺めていた。まるで、映画のワンシーンのような夕のその表情と仕草に、美空は声が出なくなった。


 この一瞬が永遠で、このまま時が止まってしまえばいいのにと思う。そんな、世界一わがままなお願いは口には出せないけれど、心の片隅で美空はそう思った。


 夕をしっかりと目に刻み付けて、それだけでも天国に持って行ける思い出としては最高だと美空はゆっくりと深呼吸をした。

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