第20話
涙が収まってきたころ、美空の頭を撫でていた夕が、ゆっくりと覗き込んできて、美空の涙を指先でぬぐった。美空は夕の人形のような顔をぼんやりと見つめてから、今さっき、まゆに言われたことを話す。
夕はその間中、急かすことも話を遮ることもなく、真剣に耳を傾けてくれた。美空は涙が込みあがって来ながらも、本当にうざいのは自分自身なのだと、それも夕に告げた。
美空の話を聞き終わると、夕はうんうん、とうなずいた。美空が納得して、言葉を吐ききるまでずっと、夕は隣で静かに話を聞いていた。
その態度だけで、美空は十分に自分は幸せだと思うことができた。話を一生懸命に聞いてくれて、理解してくれる人がいること、一人ではないということ。こうして、駆け付けてまでそばに居てくれる人がこの世に一人でもいること。
いずれ死にゆく自分に、これはご褒美なのだと思えた。孤独ではないと、夕がいつも教えてくれていた。
話し終わると、気持ちがすっと楽になっていた。いい子ぶって生きて行くのはやめようと思えた時、嫌われることへの恐怖心が消えた。
夕がいてくれる。必ず、自分から離れないでいてくれる。死んでしまうその瞬間まで、夕が味方でいてくれる。絶対的な安心感が美空を強くした。
「先輩、ずっと、私の味方でいてくれます……?」
「もちろん。僕は美空くんのことをとっても大事に思っているよ」
それは、どのように変わったとしても、美空のことをずっと受け入れて、嫌うことのない愛情を向けてくれる人がいると気がついた瞬間だった。
「美空くん。例え君がクラスの全員から嫌われたとしても、僕は君の味方だ。だけどね」
夕はそこで言葉を切った。膝を抱えたままぼうっとしていた美空は、隣に座る夕を見つめた。
「だけどね、一つ言えることは、君はクラスの全員から嫌われることは無いということだよ」
「え? どうして……?」
「僕には未来が見える時があるからね。あとね、百人全員に好かれる人なんていないんだから、嫌われたって気にしなくていいんだ。完璧な人間なんていないんだよ、美空くん」
言われて美空はうなずいた。百人に好かれようとして親友の一人もいない人生を歩んできた。
これからは、九十九人に嫌われても、たった一人が自分を好きと言ってくれる人がいる方が、価値があると思える人生を選択したいと美空は夕を見つめた。いつだって、美空に勇気と力をくれる音は、目の前の人だった。
「先輩、私、先輩の隣を堂々と歩きたかったんです。見た目を変えたいってお願い書いたのも、先輩の隣が似合う女性になれたらいいなって思って」
それに夕は驚いた顔をした。迷惑だったかなと美空が思ったのが恥ずかしくなるほどに、夕は照れ笑いをする。その顔を見てしまって、美空の方もなぜか恥ずかしくなった。
「そんな風に思ってもらえるなんて嬉しいよ、美空くん。今でも十分なのに、僕は幸せ者だ」
「先輩、私の方が……」
幸せ者だと美空は声にならない気持ちがせりあがる。夕がものすごく嬉しそうに笑うので、美空の涙は引っこんでいった。
いつまででも夕のその笑顔を見ていたいと思えた、それは夏も過ぎ去った昼下がり。背中に天使の羽根はないけれども、美空にとって夕はそういう風に見えてしまうほどの存在だった。
美空は、そんな夕を見つめながら、ぎゅっと腹の底に力を込める。
変わりたい、見た目だけでなく、心の中も。その勇気を、その自信を授けてほしかった。
「先輩、私、男の人とおつきあいしてみたいです」
残り、二カ月ちょっとの人生。オシャレもした、イメチェンもした、メイクもした。変わりたい、そう思えるようになった。
意を決した美空の声は、震えるように紡がれる。しかし、ちゃんと言えた。美空はそこレ、溜めていた空気を吐き出した。
「私と、つきあって、恋愛をしてもらえませんか?」
こんなお願いいいのかな、と半分は思ったけれども、半分は夕と恋愛ができたら、何かが変わるのではないかと思っていた。
変わりたいと、心の底から思えたのは、寿命が後数か月だからではない。目の前にいる、夕という人物がいたからだった。
美空が真剣に夕を見つめると、夕はほんの少し驚いた後に、いつもの穏やかな笑みになっていた。
「それが、次の美空くんのお願い?」
「はい……私は先輩のことが気になっています。でも、恋愛をしたことがないから、これが恋愛感情かどうかわかりません。でも、この気持ちを放っておいてまま死んじゃうのは嫌です。異性を好きになってみたいです」
勇気が欲しい。人を好きになる勇気が。美空は、夕を見つめた。
それに夕はほんの少し考えるそぶりを見せる。まずいことを言ったかなと美空が不安になっていると、夕はぎゅっと真摯に美空の手を握った。
「美空くんの貴重な時間なのに……僕で良ければ、喜んで。おつきあいさせてください」
夕は何やら嬉しそうな顔をしていた。しかし、その瞳の奥にほんの少しだけ悲しみが覗いていたように見える。しかし、それを確認する前に、夕は目を閉じてしまった。
美空の手を握ったまま、額をくっつける。美空は幻想的なその仕草に、思わず涙がまたもや溢れそうになっていた。
授業の終わりを告げるチャイムが鳴り響いて、美空と夕は、お互いの手を握り合って、そしてほほ笑んだ。
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