第二章

第18話

 坂木美空が変化を遂げた。地味な委員長がいまどきになった。


 そういう嘘のような本当の話が飛び交ったのは、美空が髪型を変えて眼鏡からコンタクトレンズにして、そして制服のスカート丈をほんの少し短くした時だった。


 つぐみに魔法をかけてもらった翌日、美空が登校すると、一瞬にしてざわついていた教室が静まり返った。唖然とする教室のみんなの顔を、美空はしばらく忘れられないだろうと思う。


 どんな先生の叱責よりも効力を発揮した美空の変化は、おおむね良好だった。あまり話してこなかったクラスの女子たちも、美空の変化に驚いたのと興味から、声をかけてくるようになった。


 そしてそれは、美空にとっては恥ずかしかったのだが、嬉しい出来事でもあった。真面目そうだから話しかけにくかったと、素直に打ち明けてくれる子もいた。見た目が変わっただけで、こんなに変わるのかと、美空も驚くばかりだった。


「美空ちゃん、最近いい感じだね」


 いつも一緒にいる奈々は、美空の変化を特に喜んだ。色付きのリップならこれがおすすめだとか、マニキュアは禁止だけれども爪磨きでツルツルにするのは学校で流行っているなど、色々な情報を仕入れては美空に伝えた。


 美空は、まだそういったことの良し悪しも分からずだったのだが、美海や奈々に相談しつつ、今しかできないオシャレやメイクがあることを知って、毎日がほんのちょっと楽しくなった。


 雑誌を持って来ては、お昼休みにそれを読んで話をしたり、気になる生徒の話を聞いたりするのも、なんだか新鮮な気持ちがした。


「委員長、なんか雰囲気変わったよね……彼氏でもできたの?」


 派手で目立つクラスの女子、赤石まゆがとつじょ話しかけてきたのは、生物室でグループ席が一緒になった時だった。高校生にしては、ちょっと盛ったメイクをする、とてもハキハキした女子だ。


 美空は向かいの席に座ったまゆを見てから、ゆっくりと首を横へ振った。


「彼氏は、できてないよ」


「ふーん? じゃあ、好きな人とか?」


 それに美空は困りつつの笑顔で「違うよ」と返した。本当は、夕のことが気になっていたのだが、それは彼が優しくしてくれるからであって、恋ではないのだと美空は思っていた。


 恋と言うものが、美空はまだ分からない。夕のことは人として、神様として好きだけれども、それが果たして恋と呼ぶものなのか、恋をしたことが無いから分からなかった。


「好きな人も彼氏もいなくてイメチェンとか、意味分かんないけど?」


 突然、まゆは口を尖らせた。棘のある言い方に、思わず一瞬、美空の気持ちが引いてしまう。棘があるように感じただけで、まゆはいたって普通に聞いたのかもしれなかったが、美空は引っ掛かりを覚えた。


「だって高校デビューなら、ちょっと遅いじゃん?」


 美空の表情が若干曇ったことに気がついているのかいないのか、まゆはさらに眉根を寄せた。


 隣に座るまゆと仲の良い友達に話すようにして、はっきりと美空に聞こえるように、今度は敵意を向けた。


「いい子ぶっててうざかったけど、今もうざいのに変わりないよ」


 まゆ、聞こえるってと友達の方は慌てたのだが、まゆは気にも留めない様子だった。しっかりと聞こえてしまった美空は、胸の奥がじくじくと痛み始めた。


 こういう時に、しっかりと自分のことを言えていたらと思う。外見だけ変わって少々浮かれていたから、しっかりと釘を刺されてしまった。


 悪いことに、変わったのは外見だけで、中身はあの時の美空のままだということに、気がついてしまった。せっかくつぐみが魔法をかけてくれたのに。夕が、解けない魔法だと言ってくれたのに。


 結局は、美空は周りを気にしすぎる、いい子で優等生で、胸の内を素直に口にすることをいつも躊躇う。悔しさと苦しさで下を向くと、友達の方が慌てた。


「委員長、まゆも悪気があったわけじゃないんだってば。この子、はっきり言っちゃう子だから、気にしないで」


 それでもまゆは「本当のこと言っただけだもん」と一切引かない様子で、美空を怪訝そうに眺めていた。美空は膝の上に置いた拳を握りしめたまま、ぎゅっとただ耐えた。それから、ゆっくりと口を開く。


「……大丈夫だよ。ごめんね、なんか、気に障ることしちゃったみたいで」


 美空はそう息を吐くようにつぶやくと、立ち上がった。


「先生、気分が悪いので、保健室へ行ってきます」


 そう言い残すと、美空は教科書を全部置いて、先生がびっくりするのも止めるのも聞かずに教室を飛び出した。胸の中の何かがパンクしそうになっていた。


 言われたことも悔しかったが、変われていない自分が何よりも悔しい。あんなに二人によくしてもらって、妹と仲良くなれたのに。ちょっとでも変われたと思っていたのに、結果がこれでは意味がないように思えた。


 涙があふれて来そうになって、美空は慌てた。そしてそのまま、保健室ではなくて屋上へと飛び込んだ。

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