第16話

 つぐみと別れて、夕に途中まで送ってもらいながら、美空は帰路へと着いた。すっかり暗くなった住宅街からは、夕食を作る美味しい匂いが漂ってくる。その中を夕と二人で並んで歩くのが新鮮で、美空は切って軽くなった首元が落ち着かない。


 ふわふわと風が首元をかすめる度に、恥ずかしくなる。初めて作った前髪がこそばゆくて、何度もつまんで確認したくなった。


 今なら、美海が鏡を手放さなくて、隙あるごとに前髪をチェックしていた意味が分かる。学校でもみんなが手鏡を前に、前髪の別れ具合を気にしたり、巻き具合で一日の気分が良くなったり悪くなったりするのが分かる。


 こんな気持ちだったのかと、美空は思わず一人でふふふと笑ってしまった。


「先輩、ありがとうございます。私、なんか今日、本当に魔法かけてもらったみたいで……」


 美空は嬉しくてつい、口元がほころぶ。夕はそんな美空を優しく見つめていた。


「その魔法は解けない魔法だよ。自信を持って、美空くん。君は美しいし、世界に一人しかいない」


 まだ帰りたくなくて、立ち寄った公園のベンチに座りながら、並んで座ってほんの少しだけ話をした。美空は何度もなれない前髪を触り、夕はそんな彼女を見て嬉しそうにしていた。


 変じゃないか確認したくなるたびに、夕が可愛い可愛いというので、美空は照れて何も言えなくなってしまった。もう少しで秋が来るはずなのに、いまだにジメジメと蒸し暑い。


 暗くなった公園の街灯を見つめながら、美空は満足感でいっぱいになって、深呼吸をした。初めて出会う自分に、なんだか心まで変わったかのような気持ちになった。


 そうして美空がゆっくりと呼吸をしながら、遠くを見ていると夕が隣で動いた。見れば、ちょっとだけ照れたような顔がのぞいている。


「美空くん」


「……はい」


「僕は、君だけの神様だよ」


 そう言って、夕が視線を美空にまっすぐ向ける。紳士的で、至極真面目な瞳。美空は美しいその神様に向かって、ゆっくりとうなずいた後に、思わず笑顔になった。


 夕はいつだって勇気をくれる。前を向く力をくれる。だから、美空は一人じゃないと思えた。



 *



「――ただいま」


 美空が帰宅すると、お帰りと言う声が聞こえてきて、そしてパタパタと現れたのは妹の美海だった。


「わ、お姉ちゃんどうしたの!」


 あんまりにも美海が大きな声を出して、美空はびっくりした。しかし、それ以上に美海の方がびっくりした顔をして、興奮しているのか顔を上気させた。美空を強く引っ張って、よく見せてとせがんでくる。


「お姉ちゃんヤバイ、めっちゃ可愛いじゃん!」


 美海は美空の手を引っ張るようにして廊下を抜ける。美海の声に驚いた母親がどうしたんだと顔を覗かせて、髪の毛を切った娘を見て絶句した。


「……美空、あなた……」


 ちょっと来なさいと言われて、美空はその表情から、嫌な予感がする。行くのをためらったのだが、美海が脇をつついた。見れば、複雑な顔をした妹が口をとがらせている。


「お姉ちゃん、すごい似合ってるよ。お父さんとお母さんは気に入らないかもだけど、美海はそっちの方が好き。何か言われたって、言い返しちゃえばいいよ」


 いたずらっぽそうにそう言われて、美空は緊張しながらうなずく。そして、スリッパをはいてリビングへ行くと、母親が呆然としたまま美空を見、そして父親は普段から厳しい顔をさらに厳しくゆがめた。


「美空、髪の毛を切ったのか」


「うん」


「女の子は清楚なのが一番だといつも言っているだろう。なんだその髪の毛に、スカートまで短くして。眼鏡はどうした?」


「コンタクトにしてみたの」


 美空は、手伝っている生徒会の催し物でイメチェン大会があるという言い訳を考えていたのだが、両親の顔を見て、その嘘をつくのが嫌になった。夕の優しい笑顔と可愛いと言ってくれた言葉が、美空の背中を押す。


 もう、嘘をつくのも疲れた。そして、こんなにしてくれた夕とつぐみに、ここで嘘をついたら申し訳が立たないと思う。美海をちらりと見ると、やったれお姉ちゃん!とでも言いたそうに、目をキラキラとさせていた。


「あのね、お父さん、お母さん。急にこんなことしてごめんね。驚いたと思うんだけど……」


 そこまで言葉を紡いでから、美空は大きく息を吸った。


「私も、やりたいことやってみたいの。今しかできないから」


 三か月後に、自分は死んでしまう。それは、夕と美空だけの秘密だったから言わなかったが、やりたいことをやるというのはしっかり伝えたかった。


 たとえそれが、ただのイメチェンでも、髪を切ってスカートを短くするというだけのことでも、放課後に出かけるということでも。ほんの些細な事だったのだが、それでも美空はやりたかった。


 今までできなかったことへの想いが爆発しそうになって、美空は大きく息を吸って吐いた。戸惑う母親に、不機嫌な父。その顔を見て以前は気圧されて抑圧されていた気持ちが、今はしっかりと二人を向き合える気がしていた。


 私は、あなたたちの所有物じゃない。美空は、一個人として、対等な人間として、両親と向き合う覚悟を持ったのだった。

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