第3話 女性として
「じゃあ、入る?」
「あんたの買い物なんだ。好きにしてくれ」
華やかな装飾の店の前で、ルミはアベルと共に並んでいた。男物とは違って、どこかカラフルで種類の多い衣服の数々がガラス越しに展示されている。
「入っていいかな?」
「だから好きにしろって」
「……本当に?」
隣に立つアベルを一瞥する。彼は少しだけ面倒くさそうに息を吐いた。
「俺を揶揄ったり好き勝手するくせに、なんでこういう時には照れるんだ」
「いや、さ。男二人で女性物の店に入ってる危ない人って感じがして……」
「どこからどう見ても、ルミは女性にしか見えないから安心しろ」
女性の身体になっていることは理解している。けれど、社会的な立場として女性であることは受け入れられていない。きっとそれが正しい。
だから女湯など女性のための場に踏み入ることへ強い抵抗を覚えるのだ。
「よし行こう」
すぐに考え方は変わらない。だから視点を変えよう。
自分の服を買いに来たのではない。ルミという美しい少女を飾り付ける服を買いに来たのだ。
そうだ。ルミと自分を切り離してしまえば、ゲーム内でアバターを着飾ることと何ら変わりはない。多少は緊張が抜けてくる。
覚悟を決めて、店の扉を開けた。
「いらっしゃいませー」
明るい女性店員の声に愛想笑いを向けながら、ゆっくりと店内を見渡す。文化の違いから見たことがない衣服なども多い。まずは無難にズボンでも探そうかと視線を巡らして──
「あれ……? ズボンとかないの?」
「女性物の店じゃ売ってないんじゃないか」
「え、なんで?」
「……? ズボンは男の服だろう。冒険者や開拓者なら女性で履いてるやつも時折見るが、あれは専門店の丈夫なやつだからな」
「あーそういう……」
この世界の女性の扱いを察して眉根を寄せる。明確に禁止されているわけではなくとも、基本的に避けられる風潮が残っているのだろう。前時代的な考えだが、売っていないものは仕方がない。
最悪、男物を別の店で調達しよう。早々に諦めて、別のボトムスを探す。
とはいえ、ズボンがなければ選択肢は大きく削られている。
「スカートかワンピースとかしかないよね……」
「今も着てるじゃないか」
「これ以外にまともな服がないから着てるだけだし。仕方なく着るのと、自分で選ぶとじゃ難易度が違うっ」
「…………そうか」
「また面倒くさいとか思ったよね?」
露骨に顔を背けるアベルをジト目で睨みつけ、視線を正面に戻した。やはり抵抗はあるが、身体に見合った服装を選んだ方が良いに決まっている。
これは自分で履くものではない。ルミに着せるためのものだ。そう己に言い聞かせて、見繕っていく。
「無難だけど黒のスカートに白のブラウスで……これから暑くなるの?」
「なるな。涼しい格好の方がいい」
「じゃあノースリーブかな。でもまだそこまで熱くないし、一枚羽織るものを……」
可愛い娘は可愛い格好をすべきだ。つまりルミも可愛らしい服装を選ぶべきである。そしてあくまでも、それはルミであって自分ではない。
自慢のアバターを着飾ると考えれば、買い物は楽しいものになってきた。だが、夢中になる前に重要な確認事項を思い出して、同伴者に振り向く。
「その……予算は?」
「金の心配はするな。……実際、仕事ばっかりで趣味に回す時間も少ないから、貯金は有り余ってる」
「じゃあお言葉に甘えて……」
どこか自嘲げにアベルは笑う。実はミリアに言われた仕事人間という言葉を気にしていたのだろうか。一方的にお世話になっているルミとしては下手に触れづらい。
身を縮こまらせながら、あまり高額ではない服を優先して──それでいてルミに似合うものを選ぶ。
「ワンピースって着やすいから一着ぐらい。あと……はぁ……」
憂鬱な気持ちでゆっくりと目的のものを探して。
それは店の奥側にあった。外からは見えない箇所に設けられたコーナーに、直視しがたい光景が広がっている。
悪魔のように悍ましいからではない。男性としては、どこか聖域のような立ち入り難い雰囲気を醸し出しているからだ。
「……俺は隅で待ってるからな」
「なんでさ!? ついてきてよ!」
「自分の服ぐらい自分で選べるだろ、二十一歳の男なら」
「ぐっ、うぅ……」
ぐうの音も出ない。ここで引き下がらなければ、男として残り少ないプライドを捨て去るしかないだろう。
状況が状況がだったとしても、ただでさえ人前で涙を見せたりしてしまっているのだ。これ以上は情けない姿を晒せない。
「ああ、わかったよっ! 大丈夫、大丈夫、別に不自然じゃないし……!」
けれども、おかしいだろう。男として矜持を見せる方法が──女性の下着コーナーへ突貫することなのは。
逃げ出したい。通販か何かは無いのだろうか。馬鹿げた思考が浮かぶが、逃げることは許されなかった。まさか一着しかない下着を使い続けるわけにもいかないのだから。
さっさと終わらせよう。だから初手で最適解を選ぶ。
「すみませーんっ!」
「はーい、何かお困りですか?」
「その……下着のサイズがわからなくて……」
「なるほど。それならサイズを測りましょうか。一緒に試着もしていきます?」
「そ、それでお願いします……っ」
緊張で声が上擦りながらも、どうにか要望を伝えたルミは店員の案内で試着室へと連れていかれた。さほど広くない空間で女性店員と二人きり。
購入候補の衣服を傍に置いておく。
「じゃあ下着だけになってください」
「……はい」
初めからわかってたため、動揺は薄い。さっさと観念してワンピースを脱ぎ捨てる。
「すぐ終わりますからねー。両手を上げてください」
「……はい」
頷く以外の言語を消失し、ルミはされるがままになった。手早く胸に巻かれていくメジャー。
ふと、この身体になってから誰かに触れられるのは初めてだなと、思い至ってしまい羞恥心が破裂しそうになる。
ここに立っているのはルミだ。自分ではない。そう己を騙そうにも無理があった。鏡に映っているのは確かにルミだ。
けれど、自分についている胸を膨らみを測られている光景が、すぐ真下に広がっている。他人事ではないのだと嫌でも突きつけられていた。
「アンダー●✕……トップ●✕ですね。Bの●✕か……いやB●✕でもいけるかも? こんなに細身なんて羨ましいですね」
「あ、ありがとうございます……」
「適当に丁度良いものを持ってきましょうか?」
「お、お願いします……」
自慢のアバターだから当然です、なんて胸を張る余裕はさすがになかった。魂の抜けた顔のまま待機していると、すぐに店員が戻ってくる。
実に晴れやかな笑顔で。華やかな色の下着をセットで携えて。
「え、あ……っ、ごめんなさい! そういうのじゃなくて動きやすいので……」
「恥ずかしがらないで一回試着してみましょうよ? 彼氏さんもこういう綺麗な方がきっと喜びますよっ」
「いや僕は誰かと付き合ったりは……ああ、一緒に来てた人も違いますよ?」
一体何を言っているのだと眉を顰め、同行者の存在を思い出す。もう何度目かわからないが、そう勘違いされるのも無理がないとはいえ。
恋愛に興味津々な若い女性店員には残念ながら、中身が男であるルミに恋人ができることはあり得なかった。
「でも二人きりで買い物に来るぐらいには仲が良いんですよね? 試しておきましょうよー」
「だからいいですって!! 動きやすい、シンプルなものでお願いしますっ……!」
「そうですかぁ……」
あからさまにテンションを落としながら、店員は引っ込んでいった。集落の女性もそうだったが、本物の女性のなんと強かなことだろうか。
偽物でしかないルミは、彼女らの押しの強さに戦々恐々だ。
「こちらが運動する方にも人気なタイプですね……」
「そ、そんなに落ち込まなくても……」
のっそりと同一人物とは見えない店員が顔を覗かせる。要望通りのシンプルなデザインの下着を受け取りながら、ルミは頬をひきつらせた。
どうしてルミが悪いことをした気分になっているのだろうか。
「だって私は可愛い子が可愛くお洒落してるのを見たくて働いてますのでー!」
「なんか……ごめんなさい」
「じゃあこっちを──」
「でも試着はしませんっ!」
「ちぇ」
背中から先ほどの下着を取り出す動作を見逃さず、ルミは即座に拒絶の態勢を取った。なんて油断ならないのだろうか。
こちらが乗ってくれることを察したうえではあるのだろうが、顧客相手に随分と大胆な対応だ。
一瞬の隙も見せられない。とはいえいつまでもにらみ合ってるわけにはいかず、店員へ身構えながらも、ルミは早速白い布切れを試着してみた。男性としては悲しいことに、身に着け方がわからず戸惑う事態は既に乗り越えている。
「うん……確かに動きやすくていいですね」
「きつかったりしませんか?」
「大丈夫です。じゃあ同じのを幾つか。これは……買ったまま着ていっちゃいます」
「かしこまりましたー。お洋服の試着も終わりましたお声がけください」
騒がしい店員が立ち去っていくのを確認して、ルミは下着姿で大きくため息をついた。僅かに躊躇いつつも、備え付けられた鏡に目を向ける。
そこに映るのは当然、下着姿の少女だ。化粧はしておらず──そもそもやり方がわからず──小柄な肉体に動きやすさ重視の下着を纏った姿は、普段以上に幼さが前面に押し出されていた。
「はぁ……っ」
裸を見た程度で狼狽える段階は通り過ぎたが、それでも哀傷を感じずにはいられない。
現実から眼を逸らすように手を動かす。先ほど選んだスカートとブラウス。それを持ち上げて。
「これ、着るんだよね……?」
ルミに似合うように。そうアバター感覚で考えようとしていたが、こうしていざ着るとなると“自分”と“ルミ”を切り離して考えることが難しくなってくる。
こんなフリフリが大量に付いた可愛らしいブラウスを選んだのは一体誰だ。八つ当たりのように内心で吐き捨てた。
「……っ」
こんな小さくて可愛らしいものを着るのか。必要に迫られたわけでもなく、自らの手で選んで。
身体が少女になっても、中身は男性のままだ。だから女装をしているような錯覚に陥る。第三者から見れば正しい姿であり、社会的な面ではその正しい姿であるべきとはいえ。
ルミの心情的には悪いことをしている気がしてならない。
「ええい! 男がうだうだとするなっ!」
自分自身に鞭を打ち、羞恥心を外に追いやる。ブラウスのボタンを外し始めて、違和感を覚えた。そしてすぐ理由に思い至る。
ボタンが左右逆なのだ。そんなところに変な男女差を感じて辟易としつつも、てきぱきと身に着けていく。一度手を止めてしまえば、そのまま恥ずかしさで動けなくなる自信があった。
「うっ……なんか思ったよりも短そう……」
そして次はスカートだ。本当に世の女性はこんな頼りなさげな布一枚で外出しているのだろうか。
集落で貰ったワンピースは、まだ丈が長かったうえに、他に何も着るものがないからと言い訳ができた。アベルの家では、男物のシャツ一枚でギリギリ隠れているような状態だったが、女性の格好をしていないため羞恥心はさほど刺激されなかった。
実際、アベルを揶揄って遊ぶ程度の余裕はあったわけで。
きっと、女装して街中を歩くよりも、裸で家の中を歩く方がよっぽど抵抗がない。
「……えっと、これでいいのかな」
被るだけで良かったワンピースと違い、スカートの付け方なんて知るわけがない。見様見真似でどうにか身に着けて。
「はっ、はは……」
見上げた先にある鏡には、“女の子”が映っていた。白いノースリーブのブラウスに、膝が隠れる程度のミディスカート。女性物らしいフリルなどが随所に飾られている。
どうして彼女はこんなにも顔を赤くさせ、俯いているのだろう。こんなにも似合っているのならば、恥ずかしがる必要なんてないはずなのに。
「そうだよ……似合ってんじゃん。流石ルミだねって……」
軽口で誤魔化そうにも限度をとっくに超えている。俯いた先にある可愛らしい服装が。膝を擦るスカートの頼りなさげな感覚が。肩が丸出しなことで、はっきりとする線の細さが。
あらゆる感覚が“今のお前は女の子なんだ”と訴えてくる。“自分”と“ルミ”が別人なんだと切り離せなくさせてくる。
「やめろ……男なら、堂々としなくちゃ」
制御できない感情を抑え込もうと無意識のうちにスカートを握り締める。その動作が“羞恥に悶える少女”を一際強く演出してしまい、すぐさま取りやめた。
けれど赤くなった顔はどうしようもないし、胸の中に蠢く感情は無視できない。
この姿のままで人前に出るのか。とても耐えられる気がしない。
「ルミ、いるか? まだ時間はかかりそうか?」
「へぁ!? い、いますよー……試着してたところでして……」
「どうした? 急に敬語になってるぞ」
「……ちょ、ちょっと見てもらっていい? 変じゃないかなって」
そうだ。どうせ遅かれ早かれ、女装姿は誰かに見られる。ならばアベルに所感を確かめてもらいつつ、適当に揶揄って遊んでやろう。気を落ち着かせるために、そんな計画を思案する。
「別に構わないが……俺は女性のファッションなんてあまりわからないからな」
「それは僕もだし……変じゃないかだけでいいからさ」
大きく深呼吸する。少なくとも壊滅的な見た目ではない。自信をもって胸を張れば良い。鏡に映る少女をゲームのアバターだと捉えれば、間違いなく似合っていると太鼓判を押せるのだから。
ゆっくりと試着室のカーテンを開けて。正面に立つアベルが目を見開いた。
「ど……えっと、その……」
口が回らない。女装姿を見られた。男なのにこんな女性の格好をしているところを見られた。そんな言葉ばかりが頭を支配して、話すはずだった言葉が喉元で詰まる。
「アベル……? あのぉ……何か言ってもらえると助かるっていうか……?」
アベルは何も口にしない。どこかおかしいのだろうか。“ルミ”に似合っていても、元男性が着ているのはドン引きなのかもしれない。
きっとそうだ。やっぱりもっと無難な服装にしなくては。
「ご、ごめん……変だったよね。やっぱ他のに──」
「いや待て! そういうわけじゃなくてだな……」
慌てて試着室に引っ込もうとしたのに、アベルによってカーテンを無理やり抑えられた。
「無理に気を使わなくていいし、むしろはっきり言ってもらわないと後で恥かくからさ……」
「だから違うって言ってるだろ! 本当にルミはツボが良くわからないな……!」
つまり何が言いたいのだろうか。視線で催促すると、アベルは逡巡したように目を伏せて。けれどすぐに意を決して顔を上げる。
「凄い似合ってる。驚きすぎて声が出なかっただけだ」
「………………そ、そうかな?」
すぐには言葉の意味を理解できず、たっぷりと時間をかけてようやく呑み込んだ。そうなのだろうか。こんな可愛らしい女性の服装でも変なところはないだろうか。
少しだけ冷静になってくる。これが恥ずかしい格好でなく、似合っている服装ならば、問題ないのかもしれない。
「は、ははっ、何その言い方。口説いてるつもり? 僕は男ですけどっ?」
「普段と比べてキレがないぞ。少なくとも誰かに白い眼を向けられることはないから安心しろ。良い意味で注目を集めることはあるかもしれないけどな」
「まあ、“ルミ”は可愛いからねー」
もう一度、鏡を見る。白いノースリーブのブラウスに黒いスカートで飾り付けられた白髪の少女が所在なさげに佇んでいた。いっそ狙い過ぎなほどに若々しい格好だが、それが少女には良く似合っている、と思う。
派手過ぎない程度に短い膝丈のスカートやブラウスのフリルが若く可憐な少女の長所を更に押し上げ、さらけ出された肩が細い女性らしいラインを見せつけている。
そう、他人としてみれば冷静に判断できるのだ。なのに、自分自身と重ねてみた途端にしどろもどろになってしまう。それはやはり、己の性別の変化を受け入れられていない証拠だった。
慣れなくてはいけない。けれど、慣れてしまえば元に戻った時に変な癖がついてしまいそうで怖い。
なら、いっそ、いっそだ。元に戻らなければ。そもそもこの身体になった原因も、元に戻る方法も不明なままだ。だから一生このままだと諦めてしまえば──
「……いや、ない。それだけはないや」
自らの言葉で一蹴にする。それはやはり嫌だ。可愛らしい少女の容姿は得をすることも多い。だが、同時に苦労することも多い。
あの“プレイヤー”に襲われた時だって、こんなか弱い“ルミ”ではなく、元の男性の身体ならば。或いはメインアカウントだった“ブライ”の身体ならば。
あんなにアベルに負担をかけることはなかったかもしれない。
第一、女性として生きて、死ぬことができるとは到底思えなかった。人並みに結婚願望はあるのに男性と恋愛などできる気がしない。それだけでも男性に戻る動機には事足りる。
「ほ、他の服も見てもらっていい?」
「ああ。構わないからゆっくり選べ」
だから、別に慣れなくていい。受け入れなくてもいい。ただ少しだけ我慢しよう。いずれ元の身体に戻るまで。
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