その22 退院

 退院も間近。 

 この頃には訓練義足から仮義足に変わっていました。


 できあがった仮義足をはいて、義肢装具士さんの前で歩いてみます。

「うまいこと歩けるようになったなぁ。リハの先生のおかげやなぁ」

 装具士さんがそういうと

「いえ、本人の努力の賜物です」 

 と、リハの先生が言ってくださいました。

 嬉しかった。

 痛かったり、うまく歩けなくてイライラしたり、凹んだり。

 そんな日々の努力がこの一歩一歩に繋がっていたのです。


 階段を上ってみたり、今後、外で普通に歩いていくための訓練が続きました。


 リハ最終日、三人トリオにお別れのご挨拶。

 半身麻痺の方もまもなく退院されるとのこと。

 残されることになる高次脳機能障害の方がしきりにさびしがっておられました。

 その気持ち、とても分かる。

 私も半年入院してきて、先にリハビリを卒業して退院していかれる方を見送りました。

 家族や知り合いも頻繁にお見舞いに来てくれたけれど、病院がその頃の私の「世界」だったのです。

 これは書き忘れていたことですが、胸のカテーテルには血が凝固しないように一日1回薬剤を注入する必要がありました。

 そのため、外泊は最大でも1泊。

 車椅子卒業したのは退院間近だったため、そうそう外泊する機会もなく病院が生活の場でした。

 いいなー、退院、いいなー、っていつも思ってました。

 

 そして!

 ついに退院の日がやってきました。

 半年間暮らした部屋から去るのはさびしいような、嬉しいような不思議な気持ち。

 退院の朝、一番に入退院のときに使うカートを取りにいきました。

 前回退院したとき、カートの確保に苦労したので。

 お昼前、父と叔父が迎えにきてくれました。

 カートを持ってw

 まぁ、私はテレビを見ないので本をひたすら読んでいたので荷物が多く、ちょうどよかったのですが。

 あ、あと韓国語の勉強もしてましたよ(`・∀・´)エッヘン!!

 半年間病気と闘うのみではちょっと時間がもったいないなー、と思い、ちょうどクラブハウスで韓国の方と交流する機会が多かったことと、あの記号のような文字を読み取ってみたい、と始めてみました。

 結果? んー、大体読めますが単語力がないので意味は分かりません( ー`дー´)キリッ


 お会計は200万と少し。た、高い……。

 高額医療療養費もほとんど個室代ですね。

 生命保険のおかげで財布にはノーダメージ。

 というか、余って6年経った今でも残ってます。

 支払いはどうしたんだったかなぁ。

 振り込んだのか、現金だったのか、よく覚えていません。


 そんなこんなで家路へ。

 数回した外泊と同じ道ですが、退院してみる風景はまたちょっと違って見えました。

 「お泊り」ではなく「帰宅」した我が家。

 体は少し変わってしまったけれど、まぁ特に不自由はなかったです。

 

 退院祝いの夕食。

 リクエストを聞かれて迷わずお寿司。

 病院では絶対生ものはでないからねー。

 それに化学療法中は生ものはあまりとらないほうがいいので外泊のときも食べられなかったし。

 そしてビール。 

 半年振りにとるアルコールは勝利の味がしました。


 切断を宣告されたときはあんなに落ち込んだけど、今、私は笑って食卓についている。

 どんなもんだい。

 もう普通に歩けるし、好きなところにもいける。

ざまぁみやがれ、軟骨肉腫。

 

 久しぶりの自室のベッドで(外泊中は危ないので1階の客間で寝てた)、大満足で眠りについたのでした。

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