あの日の彼

 「お疲れさまですっ。」

仕事が終わり、誰にも捕まらないようにそそくさと出る。亮さんがパソコンに打ち込みながらチラッとこちらを見たが、声はかけられなかった。


 家に帰り、息を整え電話する?いやぁ電話こそ緊張する.....。アドレス帳に電話番号を登録した。松本 賢人けんとさんが出てきた。よし、これでメッセージがうてる。


『こんにちは 連絡先ありがとうございます。私は細谷 真由です。八千代の.....』

駄目だ、なんか軽すぎる。やり直し!

『正一さんへ 今は賢人さんですね。メモありがとうございました。

私は辻 八千代の孫 細谷 真由です。私もずっと探していました。』


送信しました


あぁ緊張する.....。スマホを持ったまま待機すること数十秒。


通話着信♪

え?!

「はいっ。もしもし」

「あっもしもし.....松本です。賢人けんとです。突然ごめんなさい」

「いえ、とんでもない」

「今から会えますか?」

「あ、はい。」

「近くまで行きます」

「ありがとうございます」


 私の家の近くの公園で待ち合わせる。

現代に本人が居たなんて、しかも近くに。神戸ではなく東京に。走ってくる正一さん、じゃなく賢人さん。あぁなんて言おう、なんて言おう....。

目を見て近づくに連れ、彼の周りの風景がまるで何もないあの田舎のように見える.....。あの時の真っ直ぐで澄んだ瞳は変わらない。


 「会いたかった....会いたかった.....」

そう言いながら私を抱きしめる彼の胸の中でただただ溢れ出る涙におぼれていた。


元気でいましたか?

ずっと探していました

もう一度会いたくて

何度も何度も顔を思い浮かべました

と心の中で囁いた。


 状況はおかしいが、戦争へ行った愛しい人に再会できたのだ...生きているだけで嬉しかった。ベンチに座りゆっくりと話を始めた。


「じゃ、賢人さんのおじい様が倒れたときに向こうへ行き、亡くなられた時にこっちに.....」

「はい。僕は出征したあと訓練中のある日朝目覚めたら今の時代でした。だから空襲で怪我を負ったのは、じいちゃん本人だったんだね」

「私は一度戻りました。ばあちゃんが意識を取り戻した日に。でも、ばあちゃんが認知症で詳しいことも聞けず.....。」

「僕も唯一の虎吉さんを訪ねたらあの状態で。結局真由さんの所にたまたまお世話になれたから、こうして再会できたんだけど。」



 畑の前より、ずっと多くを話す二人。

お互いに未来から来たなどと言えなかった私たちは自然と無口になっていたのかもしれない。


 「不思議だなぁ」

「はい。とっても。何かばあちゃん達が私達に望んだ事、伝えたかった事があったのかと.....。」

「僕らをこうしてもう一度会わせてくれたのにも意味があるんだよね」


 賢人さんは、あの時と同じように夜空を見上げた。その横顔をじっと見つめる私に真剣な顔をして切り出した。

「こうしてまた会えて、僕はすぐにでも君とずっと一緒にいたいって思ってしまう」

思ってしまう?思ったらいけないのか...私は何か不安を感じた。

「だからこそ、言わなくちゃいけない。

えっと、君も昭和へ行く前...その...大事な人がいたかもしれないよね。」

ズキンと胸に響いた。

これはショックでか、心当たりがあるからなのか.....不安から動揺へと感情が移行する。


 「僕はさ.....」

こちらを向いて微笑む賢人さん。

何?どうしたの賢人さん。何を言おうとしてるのだろう.....私には時が止まったように感じた。


 「僕には、婚約者がいた。君と出会って、少しの時間しか一緒に過ごせなかった、少しの会話しか出来なかったのに。壮絶な戦時下で君を守りたい一心で過ごしたあの時間。そして、戻ってからは、君に会いたい一心で、君を探したんだ。


もう、僕には彼女との時間も気持ちも巻き戻すことは出来なかった。

君を知ってしまったから.....。

ごめん。これは僕の一方的な気持ちだから。結局、僕は彼女に別れを告げたんだ。」


 私は言葉を失った.....。私だって想いを寄せていた亮さんへの気持ちに蓋をしているのは確かだ.....。でも婚約者.....そんな、こんな私が。私は誰かから大事な人を奪う..... ?奪うことに。


 そう考えると、あの戦時下で非日常の状況下だから気持ちが舞い上がったのではないか.....。急に第三者のように分析する自分がいた。


 「だから、一度考えてほしい。僕は待ってるから。」

「あっはい。」

私は魂が抜けたような返事をして再び賢人さんを見た。そこにはやっぱり私が恋い焦がれたあの日の彼がいる。

一度考える.....とても冷静な提案だった。

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