見送る者は悲しく
「八千代ー八千代ーっ」
おひささんが、畑の道を走ってくる。小さな体で走る姿に私も涙が溢れた。ひぃばあちゃんが私をこんなにも心配して.....。私を力一杯抱きしめ、顔をシワシワにして。
「良かった 良かった。大変な目に合わせたなぁ。私が行かせたばっかりに。」
「う゛ぅ゛ん 行かせてくれてありがとう。正一さんが居たから戻ってこられました。」
私も汚れた顔をくしゃくしゃにして言っていた。私の汚れた手を擦り握りしめたおひささんは正一さんに深々と頭を下げた。
「正一さん。ほんまにありがとう。ありがとうございます。」
「いえ。僕だって八千代ちゃんが居たからどんな道も頑張って走れました、帰ってこられました。」
「親父さんは?僕達と離れ離れになりまして」
おひささんは急にしゃんとした。
「あの人なら大丈夫。ここらでくたばるはずはない。きっと戻ります。」
父は本当に戻ってきた。私達もほっとした。
+++
正一さん出征の前日がやって来た。やってきてしまった。
落ち着かない様子の夏代姉さんとおひささん。
「あれは入れたか?」
「あれて、何よ?」
「ほな、どこやろ」
「あっちか」
何を探しているのか.....落ち着かない二人を私はぼーっと見ていた。
どんな時でもしんみりするのが苦手なこの家族。
「明日朝、写真撮りに奥山さんが来てくれるんや。」父も写真で着る服を用意してうろうろしている。
「何から何まですいません。ほんとに.....。」正一さんは自分の準備を本当の家族のように一生懸命な川端一家にすごく感謝しているようだった。
私たちは正一さんのたすきに一人一人名前を書く。『無事に帰ってきて』と言えない。その代わりに自分たちの名前を刻んだたすきを掛けていって貰うのだった。
―――――その日の晩
また畑の前で座る私達。でも互いにしばらく何も言わない。
想いは溢れかえっても掛ける言葉が出て来ない私は空気を吸い込んでは飲み込む。
あと5ヶ月、あと5ヶ月で終戦がくる.....。
今からこの人連れて逃げようか....そんな事、正一さんは望まないだろうけれど。でも私はこのまま連れ去りたいぐらいだった。もし現代へ戻る扉があるならこの人と扉の向こうへ行っただろう。
寝転がり夜空を見上げた彼の切ない顔、けれど覚悟を決めた凛々しい顔
私はどちらの顔も壊せなかった。ただ隣で黙って居ることしか出来なかった。
「見送る者は、きっと旅立つ者よりも悲しくさみしい」
「正一さん...」
「ごめん。悲しくさせて...大丈夫。
国の為は
「はい...」
私をきつく抱きしめる正一さんの胸の固さを、ぬくもりを、腕の逞しさをぐっと全身で消えることの無いよう、心に刻み込んだ。
私ってこんなに乙女だっただろうか。昭和、戦時中という状況がそうさせるのだろうか。素直かつ控えめな自分に改めて驚かされた。そんな私は何も言葉をかけられなかった。
―――――翌朝
数名の出征を村を上げて見送る。女学校生徒も駆けつけた 兵士を送る歌を小学生が歌う。
「―――万歳 ―――万歳」
正一さんは私達家族の前に立ちまっすぐ向いたまま言った。
「行きます。頑張って参ります。」
戦況悪化の中の出征。徴兵検査も無くすぐの出征だった。
しばしの訓練の後、陸軍へ配属となるそう。
私は強く願った。
あと5ヶ月、どうか生き抜いてこの世界を。
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