『九輪草』 作 氷室 凛

「ただいま」


 ごく自然にガチャリと玄関ドアを開け、軽い荷物を降ろす。

 蓮よりも5cmほど高い細身の女性。黒髪を緩く後ろでまとめ、化粧なんてほとんどしてないのにはっきりした顔立ち。蓮の姉、凛はどちらかといえば母親似だった。

 2年ほど前に突然壊れてしまった姉。玄関で出迎えたのはいいものの、しばらくぶりの姉にどう対応しようか考えあぐねていると凛の方から声をかけてきた。


「ねえ、翼竜の素材が集まらないから手伝ってくんない?ソフト持ってるでしょ?」


姉は自由人だった。


 ♦


 姉がお盆直前のこの時期に帰省したのは墓参りのためだった。家から車で30分ほどの所に大きな霊園がある。そこで毎年先祖の墓参りをしていた。


「お姉ちゃん、明日はみんなでお墓参り行くからね」


 はーい、と母親の言葉に良い返事を返す姉。しかし視線は携帯ゲーム機に注がれており、手も休まずに動き続けている。姉はゲームが好きでジャンルはなんでもやった。ファンタジーRPGや謎解きパズル、戦争シュミレーション、育成ゲーム、ローグライクゲーム。今はモンスターを狩りまくるやつにはまっているらしい。

 蓮もさっきからずっと向かいで通信しながら姉の手伝いをさせられている。玄関で一瞬感じたぎこちなさも姉のせいですでにどこかへ飛んでいった。

 兄弟姉妹なんてどこもこんなものだろう。上のペースに振り回される下。上が自由すぎるんだよな、と操作しながらつくづく思う。手伝えって言ったくせに妨害して遊んでるバカはどいつだ。先程から笑ってる姉に蹴りを入れて姉が使っていたクッションを奪う。


「あー、とられたー」


 恐ろしいほどの棒読みにもう一度軽く蹴りを入れる。


「おい、素材集まったのかよ」

「あと爪がな」

「嘘だろ」


 時刻は夕方。その後も晩御飯の時間までひたすら姉に付き合わされていた。


 ♦


 お盆の時期はあの絵画廊は閉まっているようだった。それを聞いたのは数日前。平日は毎日通って勉強していたからか、少々申し訳なさそうに彼は少女に言ったのだ。


「ごめんね。祖父のお墓参りに行かないといけなくて、お盆の間は僕がここにいないから閉めないといけないんだ」


 大体のところはお盆はお休みのはずなので、気にかけてもらって申し訳ない気持ちになったのは少女の方もだった。

 それを伝えると彼はまた目を細めて微笑み、お盆が開けたらまたおいで、と言ったのだった。

 彼のことは何も知らないし、妖しいお兄さんだとは思うがここまで散々通ってなんとなく危ない人ではないなと勝手に思っている。

 そしておじいさんの墓参りに行くと聞いて、自分の中で彼に対する信頼度が少し上がったような気もする。

 あの画廊は彼の祖父のものだとも言っていた。よほどおじいさんのことが大切なのだろうなと、考えながらぼーっとしていると不意に名前を呼ばれる。


「蓮ー。お墓参り行くよー」


 階段の下から姉の声がする。結局、手に付かなかった過去問をしまって階段を降りた。



 車で30分。後ろのシートに姉と座り、運転席と助手席に両親が座る。その間はお互いにスマホをいじって特に話したりはしなかった。聞きたいことや話したいことがないわけではなかったが、両親が聞いている所でするような話ではなかった。



 霊園について桶と柄杓、線香、花を用意する。小さい頃から桶と柄杓で墓石に水をかけるのは姉妹の役割だった。

 小さい頃はよくどっちが柄杓使うか姉と揉めたな、と水を上から少しずつ掛けながら思い出す。昔は姉によく奪われていたような。でも今は姉は後ろからのんびりと見てるだけだから、今回は都合よく押し付けられた形になったのか。やはり姉だけなんかずるくないか。


 両親が花と線香を備えるとお坊さんがちょうど来てお経を唱え始める。

 するとみんな手を合わせて目を瞑るから、少女も少し遅れてゆっくりと目を閉じた。生ぬるくて湿った風が顔に当たる。蝉の音がひどく大きく聞こえる。暑さでフラフラする。そこにお経が混ざって、頭の中がぐるぐる、ぐちゃぐちゃしてくる。たまらずこっそりと横目で姉を見ると姉はしっかりと目を閉じて微動だにしていなかった。それを見て再び目を閉じる。長いお経の間、少女はただぐるぐるとしていたが、姉は何を考えていたのだろうかと少し気になった。


 両親がお坊さんと少し話しをするらしく、その間霊園近くの公園を姉と散歩することにした。公園には大きな池があり、その周りには湿地特有の草花が咲いている。水があるおかげか、さっきの場所よりは幾分涼しく感じる。

 池に沿って前を歩く姉が唐突に止まりしゃがみこんだ。


「え、何」

「いやさ、暇だから絵でも描くかと思って」


 そう言うと姉は近くの乾いた岩の上に座り、カバンから折りたたみ式の小さなパレットと、手帳ほどの大きさのスケッチブックを取り出した。


「お姉ちゃんって絵描いてたっけ」

「あっちでおばあちゃんに水彩画を教えてもらったの」


 隣に座って姉の手元を覗き込む。すると筆の内部に水が入ってる筆を使っていきなり紅い色を紙においていく。


「下書きとかしないの」

「別に落書きだからなー、いんじゃないの?しなくて」


 適当な返答をしながらもぽんぽんと紅、薄紫、白桃の色を紙にのせていく。姉の視線を追うと描いているのは目の前の背の高い花のようだった。


「何描いてるの」

「目の前の花」

「名前知ってるの」

「九輪草」

「なにそれ」

「いや目の前のあれだよ」


 九輪草、とスマホで調べてみると目の前の花と同じような画像がたくさん出てくる。


『九輪草:50cmほどの背の高いサクラソウの仲間。花弁は紅紫色、濃紅、白桃と様々。3cmほどの花が花茎を中心に円状になって、九輪の様に集まり重なって咲くことから九輪草と名付けられた。別名、七重草』


「お姉ちゃん、九輪って何」

「なんでそこまでスマホいじってるのに私に聞くんだ」

「何」

「九輪は仏閣とかの屋根の一番上から伸びてるアンテナみたいなやつだよ」

「あー」

「確か一番上の部分が宝珠って言って、お釈迦様の遺骨を納めるところだったかな。あとその下が竜車、水煙……あとは、忘れた。自分で調べろ」


 なんでそんなことまで知ってるんだこの姉、と思いつつ言われた通り九輪について調べるのはやめて、姉の手元を再び覗きこむ。どうやらもう完成しそうだった。


 最後にさっと緑を入れて、姉が終わりと言った。

水彩の淡い紅色が幾重にも重なって、さまざまな濃さで花を描いていた。滲みも花弁の柔らかさを表しているように見える。


「え、すご…」

「おばあちゃんもっとすごいよ」

「そうなんだ…」

「あげるわ」

「は?」

「あげる」


 そう言って紙を冊子なら切り離してパタパタと扇いで乾かす。

 それをはい、とこちらに渡してきた。反射でそのまま受け取る。


「いらなかったら捨てろ」

「それいうならよこすなよ」


 とりあえず暑さのせいかすでに紙は乾いたようなので、一応と持ってきた問題集の間にくしゃくしゃにならないように挟んでおく。まあ、綺麗な絵なのは間違いなかった。姉がくれるならもらっておくけれど。


「一発であんなに描けるものなの」

「あー、慣れだよ、慣れ。」

「そんなもん?」

「そんなもん。慣れただけ。慣れればどうとでもなる」


 そうだ、と思いつき親が戻ってくる前に姉に尋ねる。


「さっきのお経の時って、何考えればいいの」


 あんなに長いと暇じゃない?と聞くと、姉はこちらを見ずに口を開いた。


「謝ってた」

「うん?」

「ご先祖様に、ごめんなさいってさ、ずっと謝ってたの」

「なにそれ」

「だって、こんなはずじゃなかったからさ。ちゃんと途中まではいい子だったんだよ。いい子のまま、いい子になりたかったのにさ、どこで間違ったかなって」


 だから謝ってた、と姉は言った。少女にとってよくできた姉はそうなろうと、ずっと思っていて、そうなれなかったことを悔やんで、それを今も思ってる。壊れてしまったことを悔やんでる。

 いい子、姉がそんなことを思っていたなんて知らなかった、そう思わせてしまったのは自分という妹がいたからだろうか。瞬間的にそう思い姉の顔が見れなくなる。


「でもまあ、前より息はしやすくなったよ。ああなってよかったって手放しでは喜べないけど。あの時はごめんね、びっくりしたでしょ」


 それは、姉が字が読めないと口にした日のことだろうか。あれ以来姉が泣いてるところなんて見てない。本当にあの時しか姉が泣いているところは見たことがなかったからずいぶん驚いたものだった。

 姉に謝られて、もっと早くに気づけなかった罪悪感や追い詰めたのは妹の自分ではと思ってしまう暗い感情で、また頭がぐちゃぐちゃになる。もしかしたら泣いてしまうかもしれない。今更姉の前で泣いても小さい頃から喧嘩で何回も泣かされていたから、歳のせいで感じる恥ずかしさ以外は何も感じないが、姉は違うのだろう。自分には、見せたくないのだろう。そう思うともっと悲しくなってくる。もう17だぞ、と込み上がってくる気持ちを抑える。


「さっきの話」

「ん」

「さっきの慣れれば上手く描けるって話」

「うん」


 姉の方を見ずに短く相槌をうつ。姉の声の調子はさっきから全く変わらない。明るい調子のまま。


「慣れて上手くなったらまずいものもあるからさ、だから私のようにはならないで。私は黙ってることに慣れちゃったんだ。だから何も言わないでそのままきた。だから何も言えなくなっちゃった」


 だからああなったんだ、明るい声のまま姉はそう言ってしまう。


「なんでもいいからさ、なんか言った方が良いよ。なんでもいいから声に出して。ツライでもイヤダでもタスケテでもなんでもいいから」


 口を閉じていないとそれこそ今、声を出して泣いてしまいそうで、それが嫌で、悲しくて、口を閉じたままうなづいた。それこそ、小さい子供のようだった。

 耳の奥がぼーっとして、蝉の声がグワングワン響いて、喉が痛くて、暑くて。

 うるさい蝉と高い気温がひどく不快だった。


 ♦


「そういえばさ、九輪草の花言葉って何」


 家に帰るなりそう姉に聞かれて、お前も自分で調べろと言いそうになったが大人しくスマホをタップする。九輪は知ってて九輪草の花言葉は知らないのか。


「幸福を重ねる、物覚えの良さ、少年時代の希望」

「へー」

「関心薄いな」

「誕生花はどうよ」


 続けて尋ねられそのままさらにタップする。


「……誰の誕生日とも重なってないけど」

「へー」

「なんか腹立つな」


 適当な相槌をうつ姉に、先ほどとはうって変わって軽く腹立たしさを感じる。自由すぎる。


 自由な姉。だからこそ責任感が強くて全て自己責任にして口を閉じた姉。

 姉はよくできた人だったが、先ほどの話しを聞く限り器用な人ではなかったらしい。


「あ、そうだ。古龍行くから手伝って」


 自由に傍若無人に振る舞うくせに姉は少女にはなにも言わなかった。少しは楽になったと言っていたが、そこらへんは多少は解消されたのだろうか。

 自分に言う必要はないがなんとも腹立たしい。が、今の姉がそれでいいなら、自分もそれでいいと思った。


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