馬小屋ねる子は石の中にいる!
細茅ゆき
Ⅰ.馬小屋ねるこの消失~戦士オデンの章Ⅰ~
地下迷宮と黒衣の少女
第1話 消えた宿屋の看板娘
山間の街、デルピュネー。
オーカサス山脈を越える街道の街であり、山脈を越えるものは必ずこの街にて宿を取る。オーカサス山脈は
そんな理由で、デルピュネーは高地の
街の中心にそびえ立つ大聖堂も、デルピュネーの名物であった。古くから修道院があり、信仰の街としても知られる存在であった。
人との物が行き交う場所には商売が生まれる。街道沿いにはいくつもの露店が並び、例えば山を越えたくないが、隣国や遠方の珍しい物品がほしいという横着者も、この街を多く訪れていた。
この街が盛況な理由は、もうひとつある。
オーカサス山脈には、モンスターが多数生息している。
また、ゴブリンやオークといった亜人たちの村も点在していた。
そのため「旅の護衛」の需要があり、戦間期で職にあぶれた傭兵たちや腕自慢の冒険者たちが、稼業や修行、腕試しといった理由でこの街に多く滞在しているのである。
放浪の剣士オデンも、そんな理由でデルピュネーを活動拠点にしている一人であった。
彼には、親がこしらえた莫大な借金があった。
一家ごと敵軍に囚われてしまった。命こそ奪われなかったものの、身代金代わりに店の財産はすべて奪われた。
さらに都合が悪いことに、父は新規事業のために
両親は心労のために立て続けになくなり、借金は跡取りであったオデンに引き継がれてしまうことになった。
債務を負ったオデンは、傭兵となって各地で転戦した。
稼ぐ手段なら他にもあったろうが、故郷の街が占領された時、力なきものがどうなるか身を持って知った。
強くなりたいと思った。
自らの身体を鍛え上げ、戦う術を手に入れられる傭兵、剣士という生き方を選ぶのに、迷いはなかった。
しかし、程なく戦争は終わってしまった。
後に七年戦争と呼ばれる隣国との戦いは、最後の一年で母国、ブリンガル王国が完全に劣勢にまわった。
いくつかの街がオデンの故郷のように占領、破壊され、ブリンガルはついに降伏。
戦争は帝国の要求通り、国境付近の鉱山地帯を割譲することで終わったのである。
稼業がなくなったオデンは、各地を転々としながら日銭を稼ぎ、やがてデルピュネーに流れ着いた。そして他の冒険者たちと同じく、キャラバンの護衛やモンスター退治の仕事で収入を得て生活をするようになったのであった。
借金があるオデンの、デルピュネーでの生活は過酷であった。
まず、彼には宿賃がない。月に一度、定期的に借金取りが現れ、彼の稼ぎを巻き上げてしまう。
そのため、オデンは宿屋の馬小屋の軒下を貸してもらい、そこで寝泊まりしていた。
この宿の主人とはちょっとした因縁があり、ちょっとした力仕事をこなすことで、馬小屋の軒下ならタダで貸してやるということになったのだ。
デルピュネーにいる間、オデンは馬糞の匂いや小さな
そんなオデンの姿を他の冒険者たちは笑ったが、オデン自身はあまり気にはしなかった。それよりも借金を早く返済し、窮屈な暮らしをしている妹や弟たちを楽にしてやりたかった。
さて、この宿屋には、馬小屋ねる子という娘がいた。
エキゾチックな容姿の東方人の美少女で、言うまでもないが宿の主人の娘ではない。
なにかの縁でこの宿に引き取られ、以来住み込みで働いているそうだ。
「オデンさん、おはようございます」
藁床から起きると、宿泊客の馬の手綱を引いたねる子がいた。
彼女のファミリーネームの「馬小屋」は、ねる子の国の言葉でStable(馬小屋)を意味する言葉であるらしい。そのせいなのか、ねる子は馬小屋で寝泊まりするオデンに対し、とても親切であった。例えば、宿の従業員の食事の残りを持ってきてくれたり。
「この馬、きれいな栗毛ですね」
ねる子が引いてきた馬の首を撫でる。
「はるか南の、砂漠の国の馬だな。砂漠の馬はよく走る。速いし、そして、いつまでも走り続けることができる」
オデンの家にも一匹、砂漠の馬がいた。他の荷役の馬と違い、背が高く華奢であったが、どこまでも走った。その馬も、故郷が陥落した時に、敵軍に「戦利品」として奪われてしまった。
生きているなら、隣国の将を背に乗せていることだろう。それだけの馬だった。
「砂漠の馬に乗るとは。結構な御大尽が泊まったんだな」
「なんでも、どこかの貴族の血縁者だとか」
「ふうん」
砂漠の馬の持ち主に、オデンは少し興味を持った。
ねる子とともに宿屋前の街道に出た。
そこには、数人の従者に囲まれた女性が立っていた。
従者たちは革の鎧で身を固めていたが、女性は高価そう
オーカサス山脈を越えてきたのだろう。
「ご苦労さまでした」
女性は馬を引いてきたねる子に歩み寄り、品のある声で礼を述べた。
小柄な女性だ。背丈もねる子よりわずかに低い。長身なオデンの肩ほどだろうか。
鎧のせいで分からないが、実はまだまだ少女なのかもしれない。
女性はオデンの視線を感じたのか、彼の方に顔を向けた。
馬小屋の藁の上を寝床にし、決して清潔とは言えない姿のオデンに対し、女性は嫌な顔をせず、ニッコリと笑みを浮かべた。
少し風が吹いて、彼女の銀色の髪がなびいた。
美しい娘であった。端正な顔つきをしている。
だが、ただ綺麗なだけの娘ではないのだろう。戦争は終わったとはいえ、少ない手勢だけで山脈を越えてきたのだ。
そしてなぜか、オデンは彼女の顔を、どこかで見たような気がしていた。
記憶には残っていないが、彼女の目鼻立ちや輪郭に既視感がある。
さて、どこだっただろう…。
「どうしました?」
思い出そうとしたあまり、不躾にもジッと彼女の顔を見ていたのだろう。
「いや、すまない。なんでもないんだ」
彼女は小首をかしげて、従者達の元へ戻っていった。
結局、既視感の原因は分からなかった。
「あの人は魔法も使うみたいですね」
ねる子は、彼女の腰にあった魔法具の存在も見逃していなかった。
それは経典だった。信仰を力に変える魔法を使うのだろう。
ねる子は目の良い子だ。宿で働く中で様々な人達を見ている。
人の観察が趣味だと、彼女自身が言っていたこともある。装備や身のこなしで人となりを推測し、その人物が歩んできた人生や歴史に思いを馳せるのが好きなのだという。
賢く、気遣いのできるやさしい娘だった。
そのエキゾチックなかわいらしい外見もあって、ねる子はこの宿「
しかしその日の午後、この看板娘が消えてしまった。
オデンはその事を、翌朝、血相を変えた宿の主人から聞かされることになる。
(つづく)
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