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 わたしの目に映った転校生は頬を徐々に赤らめながら目を見開き、振り返った一瞬嬉しそうに口角を少し上げたのだった。友人は見ていなかったのか「どうしたんだろうね?」と不思議そうに首を傾げていた。


♯♯♯

 

 転校生の彼女の反応に好意的な手応えを感じたわたしは、次の日から取り敢えず話しかけてみることにした。といっても、わたしも会話をするのが得意な人間ではないので、挨拶から。


「おはよう。夜辺さん」


「……」


「次、移動教室だよ。夜辺さん」


「……」


「また明日ね。夜辺さん」


「……」


 彼女から返事はなかった。でも、小さく頷いたり、少し目を細めて小さく微笑んでくれているのを、わたしは見逃さなかった。小さな変化。それだけでわたしは嬉しくて悶えてしまいそうだった。


「おはよう。夜辺さん」


「……おはよう」


「次、移動教室だよ。夜辺さん」


「……ええ」


「また明日ね。夜辺さん」


「……また、明日」


 一月も続けると、短い返事が返ってくるようになった。


 クラスメイトは転校生の軟化した態度の変化と、地味なわたしと高嶺の花の夜辺さんという二人の不釣り合いさに、なにか魔法でも使ったのか、いや、もしかしたら、蓮野が何か転校生の弱みでも握ったんじゃないかと訝しげな目を向けていた。失礼な人たち。


 過ごす時間が長くなるにつれて、彼女がわたしに見せてくれる表情は豊かになっていった。控えめに微笑む。少し拗ねたように目を細めて唇を尖らせる。大げさにため息を付いたかと思うと、すぐに相手を気遣うように微笑む。それらをクラスメイトは知らず、わたしだけに見せてくれているのだと思うと、ちょっと優越感。


 しかし、彼女が普通の女子らしい表情を見せる度に、わたしが見出していた彼女の神秘性らしきものは薄れてゆく。

 

 彼女は両親と三人家族。父親が日本人、母親がアメリカ人のミックス。父親の仕事の都合で転校が多く、元来の人見知りな性格も災いして人付き合いが人一倍苦手なのだと彼女はゆっくりと少しずつ語った。


 彼女が情報を開示する度にミステリアスさが失われてゆく。


 もしかしたら、吸血鬼ではないのではないか。なんて考えもよぎってしまう。いや、能ある鷹は爪隠すという言葉の通り、能ある吸血鬼は牙を隠して人間界に溶け込んでいるのかもしれない。きっとそうだ。と、わたしは自身に言い聞かせた。


♯♯♯


「ちょっと、待ってよお」


 授業が終わると足早に下校する夜辺さんを、わたしは走って追いかける。


「もう。そんなに走ったら転ぶわよ。蓮野さん」


 グラウンドの途中で立ち止まり、夜辺さんは振り返った。わたしの名前を呼んで、心配してくれるのが嬉しい。足が軽くなる。


「大丈夫だよ。子供じゃないんだからさ。――てっ」


 急に視界が急変し、地面が近づいてくる。何もない所で躓き、転倒したのだと気がつくのと、身体中に衝撃と痛みが走ったのはほぼ同時だった。浮かれていたせいで、受け身も取れずに身体を地面にしたたか打ち付けた。


「だ、大丈夫?」


 下校しようとする生徒が様子を見守る中、心配そうな声を上げ、夜辺さんが駆け寄ってくる。


 わたしは心配をかけまいと「大丈夫だよ。ほらっ」と跳ねるように立ち上がり、努めて笑って砂を払う。本当は身体中を打ち付けて痛い。


「……っ」


 夜辺さんが声を詰まらせて固まった。彼女の凝視する先を辿る。わたしの手の甲からは何かで引っ掻いたのか切り傷があり、真っ赤な血が滲んでたらりと垂れていた。


 吸血鬼だから、血に反応したんだ。


 わたしはニヤリと笑う。


 彼女と距離を詰めるチャンスだと思った。


 血の垂れる手の甲を見せつけるように突き出し、夜辺さんににじり寄る。


「わたし、夜辺さんになら血を吸われてもいいよ」

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