葬式
@phaimu
葬式
じいちゃんが死んだ.父方のじいちゃんだ.八十七歳だった.自宅で死んだ.突然,心臓が止まってぽっくり.「苦しまずに死んだでしょうね,よくあるんですよ,湯船につかってる間に突然心臓が止まってあの世へ行っちゃうことって」医者がそういっていた.「苦しまずに死ねたんならよかったかな,じいちゃん,もともと体が弱かったから.がんとかになって苦しんで死ぬのは大変なのよ,母さんのお父さんはね,がんで死んだのよ.あんたが生まれる前にね.大変だったのよ.治療で毎日苦しいって,痛いって,母さんも毎日見舞いに行って,それでもよくならなくってね.それで死んだの.だから,パパのお父さんは死に方としては良い方だったんじゃないかしら.苦しまずに死ぬのはいいことよ」母さんがいった.父さんはうつむいたままだった.何も言わなかった.けど,その日の夜,僕は父さんが夜に泣いていたのを知っている.そのとき母さんが黙って父さんを抱きしめていたことも.次の日の朝に父さんの枕をひっくり返すと,その表面がぬれていたことも.以上がじいちゃんが死んだ日に起こったことと,次の日の朝にあったことの僕の記憶.僕は中学生一年生で,父さんと母さんと僕の三人家族.父方のおばあちゃんはもう死んでいたから,じいちゃんが死んで父さんは両親がいなくなったことになる.それがどういうことなのか,父さんがどういう気持ちになるのか,僕はあまり想像したくなかった.
今日はじいちゃんの葬式だ.黒い喪服に着替えて葬式会場に向けて出発する.車の後部座席に僕は乗り込む.助手席に母さんが乗り込んで,運転席に父さんが乗り込んだ.
「いくぞ」
父さんが,うなだれた声でそう言った.
葬式会場に着くと叔父さんの家族が僕らを迎えてくれた.従妹のみっくんもいた.「このたびはどうも,,,,,」僕の両親と叔父さん家族が互いに挨拶をして,寺の本堂に入っていった.僕の前に父さんと母さんがいて,その前に叔父さん夫妻がいる.僕はみっくんと一緒に歩いた.みっくんは小学生三年生だった.じいちゃんが死んだことは分かっている.そして,これから,死んだじいちゃんと会うことも分かっている.だからだろう,僕とみっくんはあまりしゃべらなかった.
「父さんは今,棺にいるよ.葬式は,午後の四時くらいから始まるからそれが終わったら,父さんの家にいって,いろいろものを整理しよう」
叔父さんが父さんとこれからのことを話し合っていた.
葬式会場の中に入り棺の中のじいちゃんと対面する.最初に叔父さんと父さんたちが見て,最後に僕とみっくんが見た.死んだじいちゃんの顔はいつもの顔という感じがした.じいちゃんがいつも寝ているときにしていた顔.苦しみに悶えているようでも,悲しみに暮れているようでもない,かといって,喜びにあふれているようでもない.いつも通りの厳しいじいちゃんの顔だった.
「じいちゃん眠ってるな」
父さんがいった.僕は父さんの顔を横目に見た.瞳が涙でいっぱいになっていた.叔父さんの顔もちらっとだけ見た.やはり悲しそうな顔をしている.葬式会場に着いた時には気づかなかったが,少し目が赤い.
「みんな,控室に行っててくれないか,父さんはここで,ちょっと叔父さんと話すことがあるから」
父さんがそういった.僕らは棺の前を後にして,控室に向かった.
控室には机が四つあった.それぞれの机にはお菓子が置かれている.お菓子といっても置いてあるのは,茶菓子とかせんべいだった.僕はそれをみっくんと一緒にぽりぽり食べてた.
「本当に急だったらしいですわね」
「そうですね,こんなに早くお亡くなりになるとは思いませんでした」
母さんとおばさんが話をしている.隣のみっくんは菓子を食べるのに飽きたのかリュックサックからゲームを取り出してゲームを始めた.僕も時間を持て余していた.だから,スマホを取り出して,ゲームをすることにした.いや,暇を持て余していたというのには若干の嘘が混じっている.僕はどういう風にふるまえばいいのかわからなかったのだ.じいちゃんが死んだのは確かに悲しい.でも,父さんみたいにじいちゃんの死体を見ただけで,目が涙でいっぱいにならなかった.悲しいことは確かなんだけど,悲しみの度合いが父さんとは明らかに違う.でも,今は時間を持て余してしまった.そこでみっくんがゲームをやり始めたから僕もゲームはやっていいのかなと思ってスマホを取り出してやっている.しかし,本当はもうちょっと張り詰めた表情をして,悲しんでいるようにした方がいいんだろうか? 僕はそんな風に思った.でも,同時にこんなことを考えること自体が悪いような気がしてきた.どうすればいいんだろう? よくわからない.僕は薄情な奴? 人の心がない? おかしな奴なんだろうか? 僕は分からなくなった.だから,近くにいるみっくんに話を聞いてみることにした.かなり直接的な形で.
「みっくんはじいちゃんが死んで悲しいかい」
「悲しいよ.悲しくないはずないじゃん」
みっくんがゲームの画面から目を離さずに言った.「そっか」とだけ僕は言って,またスマホの画面に目を戻した.みっくんは悲しんでいる.でも,それはゲームをしながら感じられる程度の悲しさ,そういうことなんだろう.それとも,悲しさを紛らわすためにゲームをしている? わからなかった.僕とみっくんがゲームをしていると時間が過ぎて,父さんと叔父さんが控室に帰ってきた.
「そろそろ,式が始まるからいこっか」
叔父さんがそういうと,僕らは,棺のある葬式会場に向かった.
葬式が始まる頃には,棺のあるホールは黒装束を着た人間で覆いつくされていた.じいちゃんの喪に服している人がこんなに大勢いるんだ......そう思って僕はびっくりしていた.やがて,坊さんのお経が始まった.木魚をたたきながら,ちーんと,金属の椀をたたいている.その音はそのホールにいる人間にこれから葬式が始まることを明確に知らせた.焼香が始まり,父さんたちから焼香をしていく,僕は焼香のやり方が分からなかったので父さんの真似をした.でも,焼香の量が多すぎたのか,僕がやった後は煙が多く立ち上っていた.焼香が終わって,席に戻るとき,父さんが泣いているのが分かった.叔父さんもすでに赤かった目をもっと赤くはらしている.隣にいる母さんと叔母さんは泣いていなかった.僕が席に座ると,隣にみっくんが座った.みっくんは泣いていなかった.焼香はどんどん進んでいった.僕はどうしていいかわからなかった.ただ座っていればいいんだろうか? それとも悲しんでいるようにすればいいんだろうか? 何度も言うが悲しくないわけじゃない.でも,悲しんでいる様子が僕は外に出にくいのだ.僕はやがて,隣のみっくんがぐすんぐすんといい始めたのに気づいた.やがて,母さんとおばさんも涙を流していることに気づいた.どうしよう? 僕だけ? 僕だけ? 僕だけが泣いてない? 父さんも叔父さんもすごい悲しそうだし,母さんもおばさんもみっくんも泣いてる.なんで俺は涙が出ないの? 薄情な人間だから? なんでなんだ......このままじゃまずい気がする.何とかして泣いた方がいいんじゃないか? そう思って僕はじいちゃんとの日々を思い出すことにした.厳しかったじいちゃん.礼儀に厳しくてじいちゃん家に遊びに行ったときに挨拶をちゃんとしないと怒ったじいちゃん.でも,時々優しかったじいちゃん.いつもじいちゃん家に遊びに行くときは大盛りの刺身を用意してくれた.夏休みになれば裏山に虫取りに行ってくれた.大きなカブトムシを取った......楽しかった......でも,そんなじいちゃんにはもう,会えない......そう思うと僕はすごく悲しい気持ちになった.でも,涙は流れなかった.
じいちゃんの家の片づけがひと段落済んだ.叔父さん家族はそのままじいちゃん家に泊まって片づけを明日もやるらしい.僕と父さんと母さんは家に帰ることになった.家族全員が車に乗り込んでまた車は出発する.社内は静かで,誰一人しゃべらなかった.母さんは後ろの席で眠っている.僕は助手席で窓を開けてぼーっとしていた.父さんは黙って,ハンドルを握っている.やがて車は高速道路に入った.トンネルを抜け,出て,また,トンネルに入ってを繰り返した.やがて,父さんがタバコを吸いだした.眠気覚ましなんだろう,この時間帯で高速の運転は眠くなると父さんはよく言っていたから.そんなことを思っていたら父さんが僕に話しかけてきた.
「葬式どうだった? じいちゃんとちゃんとお別れできたか?」
僕は無言でうなずいた.父さんは少しだけクスッと笑った.
「案外人が死んでも,涙って出ないもんだろ? お前今回の葬式で一回も泣いてなかったもんな」
僕は少し狼狽した.どうしよう,ここは少し嘘をつくしかないんだろうか.嘘をついて泣いてたって言った方がいいんじゃないのかな.そう思って僕はあたふたした.そんな僕の様子を見て父さんはまた笑った.
「いや,いいんだよ.別に無理に泣かなくたって.葬式っていうのは自分の中にいる死んだ人とちゃんとお別れするためにやるもんだと俺は思ってる.だから,無理に泣かなくてもいいんだ.ちゃんと自分の中にいる故人とお別れできればね」
「でも,みっくんも,父さんも泣いてたじゃない.僕以外の周りの人は泣いてる人が多かかったよ.自分で言いたくないんだけど,僕は薄情者なんじゃないかな.じいちゃんが死んでも本当はあんまり悲しくないのかも」
「それは違うよ」
突然父さんの声のトーンがまじめになった.
「いいかい,葬式っていうのはさっきも言ったように自分の中にいる故人としっかりお別れをするってことなんだ.だから,無理に泣く必要はない.泣いてないからって,死んだ人のことを大切に思ってないわけじゃない.人が死んだときに悲しむことは義務でも何でもないんだ.むしろ悲しむってことは死んだ人に対して何かやり残したことがあるから悲しいっていう気持ちが湧いてくるんだと俺は思ってるんだよ.俺は父さんに対してやり残したと思ったことがあった.だから悲しかったんだ.だからな,お前は葬式で悲しまないようにしろよ.今,周りにいる人に対して精一杯尽くすんだ.そうすれば死んだときに後悔しないで済むからな......」
父さんがやり残したことって何だろう.僕は父さんに聞きたくなったが,それはやめておいた.
「ごめんな.少し説教くさくなっちゃったな.本当はこんな話をしたいわけじゃないんだ.そうだな,葬式っていっても世界には面白い葬式もあるんだ.楽しいお葬式とかな」
「楽しい葬式?」
「そう.日本は故人を悼んで悲しむ葬式だから,悲しむんだけど,死んだら,死んだ人の新しい人生が始まったって考えて楽しむ葬式だってあるんだ.だから,無理に葬式で悲しむ必要はない.葬式は,死んだ人としっかりとお別れできればそれでいいんだよ......」
父さんとの話は家に着くまで続いた.だけど,楽しいお葬式の後の話は記憶にない,なにかたわいもない話だったはずだ.僕は父さんの話を聞いて少し安心した.自分が薄情な人間でも何でもないと分かった.葬式は故人としっかりとお別れをすればいい.それが分かればなんだっていいんだ.僕はそう思った.
じいちゃんが死んで十五年が経った.僕は葬儀屋で働いている.近頃は悲しむだけのお葬式じゃなくて,楽しみながら葬式を開きたいという案件も増えてきた.故人のことを思い,悲しむ葬式もあれば,故人のことを楽しく話す葬式もある.....そのどちらもが,個人としっかりとお別れができれば,それ以外はどっちでもいい.悲しい葬式もあれば,楽しい葬式もあっていいんだ.僕はそう思いながらコーヒーをすすった.
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